自問自答をする

何日も鼻血が続いて咳、痰がひどく
何日か出張続きだった早く帰れた
先週のある日の夕方に耳鼻科に言ったら
花粉症の薬を処方されました。

中学生くらいから毎年3月限定で、
花粉症になるのですが、症状が様々。

中学、高校時代は目のかゆみ、
大学時代は鼻が寝れないほど詰まり、
社会人になったらおさまったりしつつ
ここ数年はノドに症状がでてます。

薬が効いたのか3月が終わりそうなのか
症状はかなり治まりました。
はやく4月が来てくれないかな・・・。

さて、今日、3月28日は
私が社会人になった日です。
大学を卒業し最初に就職したのは
某大手ハウスメーカー。

海に浮かぶ島の研修所に缶詰にされ(笑)、
私の社会人生活は始まりました。

希望と不安でいっぱいだったあの日から
22年の年月が経ちました。
時間が過ぎるのはあっちゅーまです。

私は毎年、3月28日に
こう自問自答をするようにしています。

あの時の自分が今の自分を見て
「あの時になりたかった自分になれているか?」
それを問うようにしています。

学生時代、憧れたミュージシャンが軒並み
当時40代だったこともあり、
「男は40代が一番カッコイイ」と思って
ずっと生きてきました。

その考えは今も変わっていません。

で、私は今、45歳。
まさに「男としてカッコイイ時間の真っ只中」なのです(笑)!

いろんなことがありましたが、
毎年、自分で「あのときなりたかった自分」に
「なってる」とは断言しにくいですが、
「未だになろうともがいている途中」とは思えるので
「よーし、この1年も頑張ろう!」と思えています。

そう思えることに毎年感謝します。

いままでお世話になった方々、
いろんなことを教えてくださった方々、
両親、恩師などたくさんに人にも思いますが、

何よりそう思える日々を
一番身近で助けて、感じさせてくれる
奥さんと2人の娘に心から感謝したいと思います。

希、智美、志保。
いつもありがとう。
あなたたちがいるから
父ちゃんは毎日、踏ん張れます!

今晩は、父ちゃんが晩御飯を作る日。
感謝を込めて、今晩は餃子鍋にしようと思います(笑)。

そうして自問自答したあと毎年、最後に
22年前に社会人の第一歩目を踏み出した
あのときの自分にこう問うのです。

「22年前の俺!
夢と希望に満ち溢れてますか?
45歳の俺は、まだまだ満ち溢れてますよ!」と。

話上手はマクラ上手

暖かい日と寒い日が
交互でやってくるこの時期。

体調崩しがちになりますが、
それ以上に花粉がいっぱい飛ぶのか
目のかゆみ や くしゃみ、
ノドの痛みに悩まされています。
毎年3月だけ大変なので
早く4月になってほしい森下です。

さて、今日は「お笑い」の話。

芸能の世界では私は「漫才」が一番好きです。

年に数回は機会をみて見に行きます。
相方との会話の中、お互いのやり取りで
「間」の応酬に大笑いします。

その「間」に勉強になることが多く、
日々の会話に活かしていきたいのですが
といっても、これはパートナーがいてこそ。
そうなるとなかなか日々の生活に活かすのは
難しいものです。

なので、日々の話しかたでは
「落語」が大いに勉強になるなと思ったりします。

大御所はもちろんですが、
生で聞く落語はとても面白いです。
姫路の街でも月に1回、落語が聞ける
寄席のような場所もあり、
大笑いさせてもらいます。

お話が面白い落語家さん
ベテランの域までくるとなおのこと
「マクラ」がとても面白いです。

マクラとは
最初の導入部で話す自己紹介や
言葉の説明などをする
一言でいったら雑談のようなもの。

個人的には名人といわれる人ほど
このマクラが抜群に面白い。

なんばグランド花月などで出られる噺家さんは
時間の都合上、マクラと言うか
小噺だけで終わりますが、
嫁との初デート(笑)だったとき観た
仁鶴師匠は笑わないといけないと
思わされる「間」の応酬で嫁さんが
とても大笑いしてたのを思い出しました(笑)。

でもこれって何でも一緒です。
例えばセミナーでのお話だったり、
学校の授業だったり、
セールスを受けてたりしても同じです。

やっぱり面白い人、
その上でいい情報をくれる人は
話し上手というか、マクラがとても上手です。

いきなり本題に来られると
身構えてしまいますが、
最初の会話でリラックスさせられ
その上でクスッとでも笑わせてくれたら
相手の会話に引き込まれることが多いです。

いい情報をくれるのですが
マクラが下手な人って
スピーカーとしてイマイチで
結局、何が言いたかったのか
よくわからなかったりします。

雑談を上手く活かすとか
イエスセットやミラーリングといった言葉で
マニュアル本には書かれてますが、
これらも言い方をかえたら
話し上手、マクラ上手なことを
言っているように思うのです。

私のモットーは
「何を言うかでなくて、どう言うか」
言い方一つで伝わることも
感じることも大きく変わります。

同じことを言ってるのに
言う人が違ったら
受けとりかたが大きく違うのは
「どう言うか」の部分がとても大きいわけです。

雑談上手といった表現もいいですが、
雑談好きな人は話が脱線する人が多いので(笑)、
導入部分のマクラが上手な人といったほうが
ニュアンスがうまく伝わるように思います。

ちなみに落語は
名人といわれる人が多いですが、
個人的には「立川志の輔」さんが観たいです。
生で観れる機会があったらな・・。

むずかしいことをやさしく

今週、たぶん人生で初めてだと思うのですが、
インフルエンザにかかり寝込んでました。

ここ10数年間、毎年11月には予防接種を受けて
万全の体制で日々過ごしてきましたが、
今年ついにかかってしまいました。

体調も弱っていたのかもしれません。
禁酒してゆっくり寝て充電できたと
今は結果論でプラス思考の森下です(笑)。

さて、今日は
「どんなときにプロフッショナルって感じがする?」
といったお話。

娘たちは学校にいく準備が早くできたら
朝はNHKを見ています。
子供向けの番組ですが、大人が見ても
面白い番組が多いですね。
なかでも「ピタゴラスイッチ」のピタゴラ装置は
本当、秀逸で面白いです。


(こんなやつです)

本当は頭のいい人達が
とても高度で
難しいことをやってるのでしょうが、
身の回りのものを使い
とても簡単そうに
とても面白く実演されるのを見て
すごい「プロ感」を感じてしまいます。

私は「むずかしいことを
どれだけ簡単に伝えられるか?」が
プロフェッショナルの第一条件だと思うのです。

むずかしいことをむずかしく言う人って
どれだけ自分がスゴイのかを
アピールしたい人にしか思えず、
どれだけ凄くてもアマチュアのすごい人って
感じがします。

むずかしいことこそ
最初に簡潔に一言で言えないと
専門家同士でない限りは相手には伝わりません。

そう言ったら
「わからない奴にはわからなくていい」
といったような上から目線の
みもふたも無いことを言う人も多いですけど
そんな人に限って、一般のエンドユーザー相手に
商売をしていたりするので、
「どないやねん!」とベタの若手漫才師みたいに
ツッコミたくなります(笑)。

「むずかしいことをやさしく」
これって本当に難しいですが、
商売でも教育でも躾でもとても大事ですよね。

井上ひさしさんの言葉に
こんな言葉があります。

「むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをおもしろく
おもしろいことをまじめに
まじめなことをゆかいに
そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」

なかなか奥の深い言葉です。
でも、この通りですよね。
学校の授業に置き換えたら納得します。
こんな授業なら面白かっただろうな。

予備校時代の名物講師の授業は
まさにこんな感じでした。
週に1度の授業が楽しみで仕方なかった19歳の頃。
あれは金曜日の4時限目でした。

後、永六輔さんの信条
「法にのっとり 比喩を用い 因縁を語るべし」は
筋道を立て たとえ話を使い 原因と結果を話すことというのを
井上ひさしさんが言い換えたものだとも聞いたことがあります。

むずかしいことをむずかしく言うことが
悪いとか言いたいのではなく、
むずかしいことでも相手に伝えたいことは
伝えなければいけないわけで

それならそれをどうやって伝えたらいいのかを
考えていけば、やっぱりどれだけ簡単に
伝えられるかが大事なのではないでしょうか?

(それこそ小学生にも分かるような
具体的な言い方がいいですね。
ちなみに当時10人に1人が読んだとされる
大ベストセラー福沢諭吉「学問のすすめ」は
もともと小学生の教科書用に書かれたものらしく
これがまた難しいことを簡単に書かれてる名著。
機会を見ていつかこの話も書きたいです。)

頭ごなしに言われるよりも
わかりやすく言われたほうが
聞いてるほうも頭に入るし、
そこに笑いがあればなおさらですから。

そのプロセスには
「たとえ話」がとてもポイントになるのが
むずかしいことを優しく言うヒントのような気もします。

ちなみに私は「たとえ話」が異常に多い人です(笑)。

儀式を行うこと

3月です。
あっちゅーまに今年も2ヶ月終わりました。

暖かくなってきましたが、
そのぶん花粉がたくさん飛んでるようで、
不意にくしゃみが10連発くらい出てます(笑)。

穏やかな花粉症でありますように・・・。

先月のお話。
2月24日は長女の9歳の誕生日でした。
毎年、24日前後の都合のいいときに
お誕生日会をするのですが、
今年は25日に家族で行ないました。

「もう9歳になるんだな。早いな。」と
お父さんは細い目を一層細くして娘を見てました。

毎年、産まれた日のことを思い出します。

予定日より1週間くらい遅かったこと。

夜の21時くらいに陣痛?らしき感じになり、
奥さんを家において会社に戻り仕事して
翌日休める準備をして0時過ぎに家に帰ってから
病院にいったこと。

病室で産まれかかって
緊急で分娩室に入ったこと。

出産に立ち会ったものの
分娩室に入って5分くらいで産まれてきて、
娘が泣くより先に父ちゃんが大号泣したこと(笑)。
昼の12時41分だったかな・・・。

産まれた顔を見たら
私にソックリで心が痛んだこと・・・・。

産まれて1時間後くらいの14時頃に
会社からクレームの電話がかかってきて
さすがに今、対処はできるような状況でないので
部下の責任者に代わりに謝罪に行って
もらうように言ったら
「僕はいきません。」といわれ、
ムカつきながら家に帰って着替えて、
子どもが産まれてすぐに謝りにいったこと(苦笑)。

それを見て、奥さんが
不安そうな心配そうな顔をしてたこと。

いろんなことを思い出します。

誕生日は毎年、娘にリクエストしてもらい
夫婦で御飯を作るのが恒例になってます。
最近は娘たちも手伝ってくれて
楽しく準備しています。

昔は毎年リクエストが「たこ焼き」でしたが、
小学校入ってくらいから
「唐揚げ」「ポテト」になってます。
変わり映えのしない定番メニューを作ります。

平凡な家族でのお誕生会。
レストランに行くでもなく、
ご馳走を食べるでもなく、
昭和テイスト満載なお誕生日会をしています。

でも、こういった区切りやけじめの儀式は
大小問わず、きちんとセレモニーとして
したほうがいいといつも思っています。

誕生日会はもちろんのこと、
結婚式や告別式といった大きなことから
入学式や七五三といった行事や
クリスマスや節分、結婚記念日のお祝いなんかも
区切りとしてやったほうが人生、楽しいです。

もちろん、ちょっとしたことでいいんです。
ケーキを食べるとか
お酒を呑むとか
みんなで写真を撮るとか
そんなことをすることで
毎日を楽しく生きれるように思っています。

なので、家族の誕生日は
いつも賑やかに楽しくしています。

そんな我が家は毎年、結婚記念日の前後には
家族で写真館にいき、家族写真を撮っています。
今年の5月で10年目。
今も9枚の家族写真が家にはあります。

何にも変え難い家族の宝物ですね。

こうした区切りを一つ一つ儀式で
確認することの大切さは
人生においても
仕事においても
何においても同じなわけで、
それならそれを楽しみたいのが私の考えです。

今日はひな祭り。
私は仕事で、娘たちは習い事ですが、
明日の夜はみんなでチラシ寿司作って
雛人形の前でみんなで食べる予定です。

(先月の長女の誕生日に
長女、次女と一緒に撮った写真です。)

チームは脇役が大事!

先日、名脇役といわれた
大杉漣さんが亡くなられましたね。

映画にドラマにバラエティに多数出演され、
あんまりテレビを見ない私でも
知ってましたからかなり人気の方でした。

ご冥福をお祈りしたいと思います。

しかし、名脇役といいますけど
主役も脇役がいてこそ存在できるわけです。

チームや組織であれ、
興行の世界であれ、
脇役がしっかりしてないと何事も上手くいかず、
何より主役こそ脇役が
引き立てるからこそ輝けるのに、
そのことを勘違いした主役のいる世界って
本当、長続きしていません。

会社でもそうですよね。
スタッフみんなのサポートがあってこそなのに、
俺が凄いから結果がでてると思ってる
社長や幹部、トップ営業マンがいる会社に
ロクな会社はありません。
とはいえ、結構多いから困りますけど(笑)。

人間、生きてりゃ誰しも
いつ何時でも主役になりたいですが、
自分のキャラや立ち位置を理解して
脇役を演じて主役を盛り上げてくれる人が
いるからその組織は強いのであって、

盗塁や送りバンドで舞台を整えてくれるから
長嶋さんも王さんも野村さんも
プロ野球の世界で主役を張れたわけです。
(もちろん、自分の人生は自分が主役ですよ!)

こういった脇役を語るときに
私はプロレスの世界が一番わかりやすいと
いつも思っています。

善玉がいて、悪玉がいる。
スター選手がいてヒール選手がいる。
スターはいつも歓声をあび、
ヒールはいつも罵声をあびる。

ところがどっこい、実はプロレスって
ヒールの選手こそが本当に技術がないと
試合はグダグダになります。

誤解無く言わせてもらえば、
スター選手なんて見栄えさえよければ
極論、誰でもさせれるけど
試合運びをコントロールするヒール選手こそ
誰しもできるわけでもありません。

馬場さんしかり
武藤さんしかり
海外遠征の時にはヒールをしていた選手こそ
試合運びが上手く、お客様を呼べる
花形のスター選手なわけです。

プロレスが一時衰退したのも
複数スター制にしたからでしょうね。

そもそも一人のスターをみんなで神輿で担いで
盛り上げるからこそ面白いのに
「俺もスターになりたい」と言って
何人もなったから面白くなくなったわけです。

昔のように大部屋で食事をして
そのまま寝たりする団体活動だからこそ
いろいろなことが分かり合えたのに
個別で食事をして、
個室で寝るようになって
お互いがお互いを理解しあう機会が
減ったことも衰退した要因でしょうね。

会社でも 打上げ が減ったり、
一緒に御飯を食べたりする機会が減ると
相互理解においては
難しくなったりしていませんか?

時代は変わったといえ、
大事なことや見誤ってはいけないことは
そうそう変わるものでもないですから
本当に強い組織を作りたいのなら
なにもかも今までを否定するのも
結局、遠回りな気がします。

こんなこと言ってたら
プロレス話が書きたくなりますが、
長くなるので今日は辞めます(笑)。
でも、小出しでたまには書きます!

とはいえ、最後にもう一つ。
子供のころに大嫌いだった悪役レスラーに
上田馬之助さんがいるのですが、
大人になり、いろんな経験を経てきたら
実は奥の深い凄い人だと分かりました。

「野球は筋書きのないドラマと言うけれど、
あれは試合をしながら監督が
筋書きを書いているんだ。
だから野球は面白い。」

「どうして、力道山がスターだったか?
それはみんなが力道山を持ち上げて
スターにしたからだ。」

「私たちがリングで戦っているのは
相手ではない。お客様だ。」

確かこんなことは言われてました。

プロである以上、私は
技術や見た目より
「お客様を呼べることが一番」と思っています。

個人だけでできればいいですけど、
そんなスターばっかりではありません。
でも、チーム内で主役も脇役も
みんなが一致団結して
みんなでスターになることは可能なわけです。

そんなチームをつくるお手伝いこそが
私のやりたいことだと、
こういった話をするたびに
いつも思う森下です!

美学

今日はバレンタインですね。
女の子のお祭りです。
我が家は一昨日に家族みんなから
チョコもらいました。
義理チョコでないことを祈ります(笑)。

そろそろ娘たちが
好きな男の子にあげて、父ちゃんのチョコは
おまけみたいになっていくのでしょうが、
大きくなったなと成長を喜びたいと思います。

さて、今日は唐突に「美学」のお話。
美学とは、いろいろ意味もあるのでしょうが、
私は「価値観」のことだと思っています。

例えば、プロ野球選手で言えば
王さんと野村さんが対照的ではないでしょうか?

ボロボロになる前に引退した王さん。
ボロボロになるまでやり遂げた野村さん。

どっちが好きか嫌いかは置いといて
これは各自の美学であり、
私はどっちもカッチョいい!と思ってます。

あと、何の世界もですけど、
「偉くなるほど、強くなるほど謙虚な人」が
私はとても素敵だと思っています。

自分が偉くなったと勘違いしている人は
たくさん見てきましたが、
「正直、かっこ悪いな。」としか思ってません。

それでもそんな風になりたい人も
たくさんいるわけなので
外野がどうこういうものではないのでしょうが、
結局はどうでありたいか?
各自の美学に委ねられるものなのでしょうね。

ただ、その姿勢に
好き嫌いはあるのも仕方ないですけど。

私は勝者が敗者に向かってする
ガッツポーズは好きではありません。
負けた相手の傷口に塩を塗りこむのも
いかがなものかと・・。

元阪神の中軸だった掛布さんは
たしかホームランを打っても絶対しなかったと思います。
確か野茂さんもガッツポーズはしなくて
王さんも世界記録を達成したときに
バンザイ?したくらいではないでしょうか?

日本人は相撲で言う「心技体」を
勝者に求めます。
そういう考え方を美しいと思うのでしょうね。

「そういうスポーツだから」とか
「まだ若いから」とかいいますが
中学生くらいの子が「チョレイ」とか言ってる様を見ると、
全然エレガントではないなと思ってしまうのです。

まぁ、これも好き嫌いなのでしょうから
私がどうこう言うのはよくないのでしょうが・・・。

優勝した瞬間とかなら
納得もするのですが、
いちいちポイントとるたびに
何度も言われると、
「なんだかな~。」と
阿藤快さんみたいに言いたくなるので
あのスポーツは見なくなりました(笑)。

結局、好き嫌いとはいえ、
「対戦相手に対して敬意があるかないか」は、
大人として、
男として、
人間として
持っておきたいと思うのが
私の美学ということですね。

そう思ったら
昔は全然好きではなかったですが、
何歳になっても
立ち位置が変わっても
いつまでも選手であり続ける
サッカーの三浦知良選手は本当に素敵ですね。
あの人の美学は、
この歳になると本当に素晴らしいと思います。

誰がどんな考えでもいいのですが
自分で納得のいく姿には、なっていきたいですね。

「どこに行くか?」ではなく「だれと行くか?」

昨日、姫路の街は姫路城マラソンでした。
7000人のランナーがフルマラソンを走り、
今年で3回目。

私が挑戦することはないですが、
なかなかの賑わいと交通規制でした(笑)。

そんな中、この連休は
私の大学時代の友人が奥さんと二人で
姫路に旅行に来られました。

来ることが決まったのも2週間前。
急に連絡があったのですが、
「・・・・えっ?マラソンあるの知ってるのかな?」って連絡。
もちろん、知るはずも無く
マラソンの前日に姫路城見てもらい、
マラソン当日の昨日は
大阪方面に行ってもらいました。
(姫路城周辺も規制されて
結構、移動しにくいので)

日中は私も仕事していたのですが、
昨晩は、友人夫婦と合流し、
一緒に食事をすることに・・。

姫路名産のものが食べたいとのことで
アナゴ料理を食べに行くことになりました。

姫路はアナゴは有名で、
友人夫婦も我が家もアナゴ料理は
大好きなので即決!
お酒を呑みつつ、楽しい一時を過ごしました。


アナゴの刺身


焼きアナゴと白蒸アナゴ

「・・・・・・・・・・おいしかった(笑)。」

私は旅行に関しては
「何処にいくか」より「誰といくか」で楽しさが決まり、
「何を見て」「何を食べるか」で満足度が変わると
思っています。

友人も奥さんと来るわけですから、
楽しいのは当然で、
「姫路城」や大阪で「通天閣」なんかを見て
大阪では「だるまで串カツ」を食べ、
「アナゴ」「ひねぽん」「姫路おでん」
「姫路風たこ焼き」なんかの
姫路名物を食べてもらい満足して
もらえたように思います。

昨晩はウチの家族もあわせて6人で
楽しい会話の連続でした。
小3の長女が一丁前に友人夫婦と
会話しているのが笑えました。

でも、よく考えたら
いくら良い「モノ」でも
誰から買うかで、結果的に満足感が
随分違うように思います。

なんか一味、足りないような
満足感が足りないときがあるというか・・・。

「買うからには安いがいい」と思って
安く買えたからと言っても
結果、満足感が満たされるものでも
ないことは日々、多いようにも思います。

なので、大きな買い物ほど我が家は
「どこ」で買うかでなく
「だれ」で買うかが基準になりがちで、
ほとんど友人か知り合いから買うようになります。

なんか旅行も買い物も人生も
自分にとっての満足のいく基準は
全部同じなのかもしれませんね。

なので、今度は我が家が
家族で旅行して、観光して、
その地方の美味しいものを食べたいと思います。

どこかいいところあったら
教えてください!!

因果応報

本当、寒い日が続きますね。
風邪をひかない様に予防で、
葛根湯を飲む毎日です(笑)。

今日は「麻雀」を例にお話したいと思います。
このご時勢、麻雀する人は
少なくなってきたのかな?

今となっては、
1年に1~2回したらいいほうですが、
20代の頃は結構しましたね。
麻雀は世界一面白いゲームと思っています。


(この前の夏に麻雀したときの写真。
綺麗な手だったので記念撮影しました。
このときはアガれたと思います(笑)。)

麻雀って考え方に
オカルトかデジタルかって考え方があります。

オカルトは、
流れや運、ツキがあると思う考え方。
デジタルは、
流れとかなく、1局ごとの勝負であるという考え方。

どっちが正しいはないのでしょうが、
結構、考え方は分かれるように思います。

と言う私はどっちかって言ったら
「オカルト派」なんですけどね。

物事はすべて「因果応報」。
いいことしたら、いいことが返ってくるし、
悪いことしたら、悪いことが返ってくるのが
人生だと思っています。

人を裏切ったらいつか自分も裏切られるし、
人を大事にしたらいつか誰かに
大事にしてもらえる。

よほどのことがなければ
人とは敬意を持ってつきあいたいですね。

なので、この瞬間がどうこうだけでなく
大きな流れの中で人間は評価されるもの。
だから流れはある。
そんな考えなので、オカルト派です。

あと、ここだけの話、
物事は関係も繋がりもないといった
デジタル的な考えの人は、
自分勝手、都合いい人がやや多いので
ちょっと苦手なんですよね(苦笑)。

特にチームや仲間にいると
本当、大変なので、
考えはオカルトチックになってしまいます。

とはいえ、こういった論争は
結果がでてこその話なので、
ここで熱く語る前に
結果がでることを第一に、
まずは頑張ります(笑)!

言葉ではなく、行動を重視する。

2月4日から1年間、
新しいバイオリズムが始まります。

それを直感で感じたのか
昔の人はその前日を「節分」として
過去の嫌なことは振り払い、
未来の期待感を自分に取り込もうと
「鬼は外、福は内~。」という風習を作りました。

その理にかなった行動に
「先人たちはすごいな。」といつも感心します。

ちなみに私は今日からから
大きな区切りを経て、
新しい上昇していく流れになるそうです。
体には気をつけて、頑張ります。

(溝口耕児先生のバイオリズム理論でいくと、
私は今日から「種」の1年が始まります。
楽しみです。)

今日は、そんな行動の大切さを、
人間関係、対人関係において
大事だなと思うお話を書きたいと思います。

以前、本で読んだのですが、
中国人は、言葉を信じず行動を重視するのだそうです。
日本人は謝ることに一定の評価がありますが、
中国人は言葉で謝っても「言い訳」と受け取り、
行動が伴って、はじめて許すそうです。

ドライな考えと思いつつも
実際、その通りだなと感心しました。

「すみません。」とか
「もうやりません。」とか反省の言葉を聞いても、
繰り返し同じミスが続くことがあることを思えば、
これは言葉を信じたから起きていると気づきます。

そこに行動が伴うことが大事だと思うのです。

個人的に
1年間かかって失った信頼を取り戻すのは、
きちんと約束をそれから1年間守り通して、
初めて相手は許してくれると思っています。

人間関係、対人関係が
うまくいかなくなってきたときは
「相手の言葉だけを信じて、
行動を見ていないことが多いのでは?」
と思えたら、「ハッ」と何かに気づけるのでしょうね。

厳しい感じもしますけど、
信頼される人は行動(結果)が伴う人なのは
いつの時代も変わらないですから。

なので、私も
体に気をつけて頑張りますと書きましたが、
行動にも気をつけて頑張ります(笑)!

今、世の中に上岡龍太郎が足りない。

最近、自分が歳をとってきたなと思うことに
テレビを見なくなってきたことがあります。

子どもの頃はテレビばっかり見てました。
ニュースくらいしか見てなかった親を見て
「なんでニュースみたいな面白くないものしか
見ないんだろう。」と思っていましたが、
今、ニュースとスポーツ、
ケーブルテレビで麻雀くらいしか見なくなった
同じような大人になった45歳の私がいます(笑)。

最近、移動中や子どもが寝たあとに
youtubeをみることも多くなり、
昔のテレビ番組を見たりしていますが、
今年に入ってから
上岡龍太郎さんの番組ばかり見ています。

「爆発的なボケ」や
「動き」で笑いを取るタイプでもなく
「屁理屈」や「紳士的な立ち振る舞いで吐く毒舌」等
今も昔もなかなか存在しない
唯一無二のスタイルだったりします。

最近は運動神経の悪さなどを売りに
滑稽な立ち振る舞いのお笑いが
多いようにも思いますが、
「お笑い」はいろんなスタイルがあります。

どんなスタイルでも
面白いものは面白いのです。

何より「知識」「表現力」「間のよさ」が
際立っている上岡さんの話しぶりに
この歳になって一層、ハマっています。

個人的見解ですが、面白い人とは、
「知識の引き出しが多いこと」と
「話す<間>が上手な人」という
2つのイメージを持っています。

とはいえ
知識の引き出しは実際、多くなくても
多いように見せかけれたらいいとは、
島田紳助さんが言われていました。

何か一つ極端に掘り下げて知識があり、
熱く語れればいいという意見も妙に納得します。
(私は音楽が詳しいといったキャラらしいですが、
実はストーンズのことしか詳しくないですけど、
それが深いからそう見えているだけです(笑)。)

今、昔の映像を見ていると
この2つの条件を満たしている上岡さんの話ぶり。
本当、面白くて全然古く感じません。

いつの時代も本当に面白いものは
いつでも古臭くなく面白いものですし、
そう思えないのは、それは「流行」だったのでしょう。

「間のよさ」というタイミングではなく、
「時代」というタイミングがよかったのでしょうね。
一発屋さんってまさにこうですよね。

「お笑い」って私は「芸術」と思っています。

絵画や書道、歌舞伎などに比べたら
身近すぎて庶民的なものであり、
価格も他に比べたら安価なため
どっちかと言えば低くみられがち。

でも、昔、伊東四朗さんが言ってた言葉
「笑いが一番難しい。」は本当だと思います。
まさに人を笑わせることが一番難しいものです。

だって、他人を怒らせることや
泣かせることって比較的簡単ですよね。

そう思ったらいつの時代でも
何より大人を笑わせることは本当に難しく、
今見ても面白いと思える
上岡龍太郎さんのような芸こそ
いつの時代も必要なのかもしれません。

最後に上岡さんが引退して十数年経ってから
故 横山ノックさんの弔辞をされた映像を
貼っておきます。

悲しみの中にある、愛に満ちた想い。
その愛を「笑い」と「感謝」で語る姿。

タモリさんの赤塚不二夫さんの弔辞も
素晴らしかったですが、
この弔辞も本当に素晴らしい。

不謹慎にも「面白い」と思ってしまったのは
「知識」「表現力」そして何より「間のよさ」が
そう思わせてしまっているように思います。

上岡さんの話。
あえて、今、もう一度聞きたいものです。