「ルール違反」と「マナー違反」

1年でほとんど雪の降らない姫路でも
雪が舞っています。
インフルエンザもかなりの猛威で
広まっているようです。
皆様、ご自愛ください。


(漢方薬の麻黄湯が
インフルエンザの予防になる?と聞いてから
予防で飲んでいます。)

さて、今日はマナーについてのお話。

例えば、家族や友達といった人間関係を
うまくやっていくためには
「コミュニケーション 力」が
大事といった話のように

会社などの組織やチームで
うまくやっていくためには
「ルール」が大事と思っています。

誰がやる
いつまでにやる
それを誰がいつ確認する
どうやって引継ぎする

そんなことを決めて行きながら
ルールを決めていくと
バトンパスしていく業務は、
うまく進んでいきます。

もしそのルールでうまくいかなければ
みんなで再検討して変更すればいいわけです。

①各自の業務内容を明確化する
②変更が必要な時は皆で話し合い変更する。

要は、誰かが勝手にルールを変えたり
やらなくなったりせず
決まったルールどおり運営されているかを
確認する場所が「会議」であり、
確認する人が「責任者(○長)」なわけで

いろいろとスタッフの方と話しているときに
社内で低気圧な不満があるときって
だいたいこのルールを破っているのが
社長や部長などの「長」であったり、

その「長」が
特定の誰かだけを許しているといった
「特例」を作っていたりするときに
いつも何か目に見えない根本の問題を
感じることが多々あります(笑)。

なので、
ルールを決める、守る、実行することが
できたらうまくいくように思っていましたが、
最近は、どうやらそのルール厳守より前に
マナー厳守のほうに
やっぱりポイントがあるように
思っています。

というのも
そもそもルールを守っていても
マナー違反する人が、
やっぱり和を乱す人なわけで

それならまずはマナー違反を
確認していったらいいように思うわけです。

「ルール」とは・・・
規則(行為や事務手続きがそれに基づいて
行なわれるように定めた事柄)。
決まり。

「マナー」とは・・・
礼儀作法(人がその社会生活を円滑に営み、
社会秩序を保つために用いる規範と実践の
総体)。
態度。

実はこういったことをいつも感じるのが
新幹線の中だったりします。

中国では今、指定席に勝手に他人が座り、
トラブルになっていることを
ニュースで見たりしますが、
日本ではまずありえないように思います。

指定席は買った人が座る。
こんな当たり前のルールを破る人は問題外で
日本は、ほぼルール違反者はいないはずです。

でも、これがマナー違反ってなると
結構いるように思いませんか?

①後部座席に人がいるのに、
配慮無くシートを最大限に倒している人。
②PC操作をしているときにやたらと
キーボードを叩く音がうるさい人。
③ずっと貧乏ゆすりをしている人。

個人的にはこの3つを
「新幹線三大マナー違反」と
しているのですが(笑)、
こうした人がいるときにいつも
周りの雰囲気が濁った感じがして
周りの方もイヤ~な気分になってたりします。
(肘掛け独占されるのもイヤですが、
肘掛けは半分?は取り返しにいくので(笑)。)


(肉まんの匂いという人もいるようですが
個人的には結構好きかも(笑)。
ただ、おなかがすいてきますね。)

社内でも
いつも怒っている人や
チヤホヤしないと不機嫌になる人、
そもそも全然、仕事をしていない人、
不平不満を言い続けている人、
口裏を合わせて派閥を作りたがる人、
自分勝手な人・・・・

ルール違反はしてないけど
マナー違反をしている人。

こういった人がやっぱりその組織において
問題の根っこなことが多いわけです。

マナーを礼儀作法に置き換えたら
挨拶や敬語、身だしなみも
大事な事がわかります。

「自分がどうでありたいかより
相手がどう感じるのか・・・。」
ビジネスってそこが大前提ですからね。

自己主張もいいですが、
やっぱり人間関係は相手があってこそ。

不快に思われては元も子もなく
やっぱり話してて気分いい人がいいです。

とはいえ、ルールやマナーを
一方的に押し付けるのはこれまた問題。

「それは抑圧であり、
相手に教えるときに
それを攻撃の材料にしてはいけないわけで、
思いやりのない指摘は
意地悪と変わらないよ。」って意見を
ネットで以前、見たことがあるのですが、
「なるほどな~。」と思いました。

これって以前、私が言ってた
「正論バカ」の一つにすぎません(笑)。

伝え方も とても大切で
それをコミュニケーション力というのなら
もう何が一番最初に大事なのかは
頭の中がこんがらがってきたので

まずは「決まったルールを守り
マナーをもって行動する。」ことから
改めて始めたいと思います。

「満月の夕」

1995年1月17日。
あの日から今日で24年経ちました。
24年前、私はまだ大学生でした。
随分、昔の話になりました。

日々、健康で安全、平和な毎日が
当たり前だと思わずに
体調に気をつけて、
周りの人への感謝の気持ちを忘れずに
毎日を一生懸命生きたいと思います。

娘がまだ1歳にもならなかった頃、
私が毎日お風呂に入れていました。

小さな我が子を恐々抱きつつ
湯船につかっているとき毎晩、
「産まれて来てくれてありがとう」って
言ってたこと思い出しました。

大きくなってきたこともあり、
言う回数が減ってきたかな(自問自答中)。

今、出張中ですが姫路に帰ったら
娘にちゃんと言おうと思います。
もちろん、奥さんにも
「ありがとう。」って言いたいと思います。

そんなこと思った朝でした。

改めて、阪神大震災で
犠牲となられた方々の
ご冥福をお祈りいたしますとともに
ご遺族の皆様方に
心よりお悔やみ申し上げます。

「役割」を演じること

今年になってもうすぐ半月経ちました。
今日、明日は成人式ですね。

働いている子も学生してる子もいますが、
成人式では旧友と再会して
近況報告をしつつお互い祝って欲しいです。

先日、こんなデータを見る機会がありました。

カーネギー工科大学が
1万人の工場労働者を調査した結果、
成功の15%は仕事のスキルで
85%は性格的な要因、
特に他人とうまくかかわる能力によるものと
結論づけたようです。

又、ハーバード大学での研究では
解雇された数千人の男女のうち、
仕事の失敗で失業した人より
人間関係の失敗で失業した人の方が
2倍も多いことがわかり、

著名な心理学者ウィガム博士によると
1年間で失業した4000人の労働者のうち
仕事ができないからと失業したのは
全体の10%にすぎず、
残りの90%は他人とうまくかかわる事が
できないから失業した事がわかったそうです。

ここ最近を見ていると販売においては
買い手(お客様)側は
商品のモノそのものを重視する傾向が
強くなっていて
売り手側もモノにいろんなウエイトを
置いていると感じていますが、

組織においてや売り手側のベースとしては
依然として関わっているヒト側の側面が
大事なんだなと改めて思いました。

働き方改革なんかはまさにそれを
具体化したものの一つですよね。

当たり前といっちゃ当たり前なんですが、
意外とその当たり前が今の時代って
ちょっと軽く扱われている感が否めません。

そんなことを考えたときに
他人とうまく関われることのコツって何か?
と言われたら私は

自ら自分は
誰かに必要とされていると思える事
相手には
私はあなたが必要ですと伝えられる事

こう思えることではないかと思っています。

そしてどうやったら
自分は必要とされていると思えるか
相手は必要とされているか思ってもらえるか

そのために組織には
「役割」があるのではないでしょうか?

私は去年まで社員が10数人いる
会社の社長をしていましたが、
「社長」という肩書きは
「役職」というよりかは
「役割」といういう意味がわかり易いと
思っていました。

(このあたりは言葉の定義が似てるので
ニュアンスの問題なので(笑)、
ニュアンスがうまく伝わってくれたら
いいのですが・・・。)

各自その「役割」を認識して
それを演じきったら次の「役割」が
与えられるものでないといけないと
いつも思っていました。

課長という「役割」を演じきったから
部長という「役割」に
変わっていけるといった感じですね。

それを一定の年齢になったからといった
年功序列的配置の考え方や

社長の息子だからとか言って
その「役割」を無条件で与えたときに
組織内の上下関係って
大変になっているように思います。

それにその会社の各肩書きの「役割」は
どのようなものなのかを定義してないことも
混乱を招く大きな要因です。

そういったことが
部長なのにその部下の面倒をみない とか
課長の「役割」を演じたことがないから
部長になっても何をどうするかわからない、

その結果、部下ばかり重労働、重責務なのに
部長が手伝いも労いもフォローもせず
権利主張だけして定時で一人帰ってしまう。

そんなことが起きてしまいます。
(誤解なく聞いて欲しいですが
定時で帰ることが悪いわけはないですよ。)

それではその部署は
なかなか上手くいかないですよね。

上司だけがいつも正しくて
部下がいつも間違っているわけはないのなら
お互い必要と思いあえることが大事で、

そこには「役割」の定義を決めて
その「役割」を演じて定義を実践してみる事が
とても組織形成には大事だと思うのです。

トレーニングの一環で
「ロープレ」というものがあります。
正式にはロールプレイングと言いますが、
この言葉の定義は
「役割を演じる」という意味です。

お客様役になって「役割」を演じ
疑似体験をしてそこから感じるものは
何かを学びあうこと、

その様を他人事のように眺めて感じるものは
何かに気づくことが大事なのですが、

接客する人の話術やテクニックだけを
学ぶような機会だけになっているケースが
多いのもなんかもったいないですよね?
特に営業でのロープレは。

「役割」を演じきったときに
何かがわかると思ってやられているのなら
販売に置ける顧客との関わり方だけを
ロープレをするのではなく、

社内の人間関係や上下関係などの
各自の「役割」を確認しあう場としても
わかりあえるような
そんなロープレもあっても
いいのではないでしょうか?

普段、無責任な上司に
「俺について来い」みたいな
熱いキャラの役割をさせてみたり、

普段、反発ばかり言う可愛げ気のない部下に
「はい、やってみます!」と
すぐチャレンジするキャラを演じさせてみても
かなり面白いと感じています(笑)。

本人らは嫌がるでしょうが・・・。

でも、そんなロープレが
責めるだけの機会になってもダメですが、
成長には「現実を直面する」
そんなステップは大事なわけで、

その立場においての
各々の現実を直面することも
実は各自その「役割」の中にあるわけです。

それは、立場が上にいくほど
その現実は実績や数字に反映し、
立場が下にいくほど
その現実は勤務態度や姿勢に反映します。

だから、実績が出せない上司は
評価されにくく、
遅刻が多く挨拶ができない部下は
評価されにくいのです。

厳しいけどこれは各自の「役割」と思えたら
それを受け入れる覚悟もできるわけで、
そうしたら人間関係での悩みも
かなり減っていく会社になっていきます。

①自分の「役割」を定義する。
②その「役割」を演じてみて客観視してみる

こんなワークも1年に1回くらい
社長も部長も社員も
会社のみんなが笑って
ロープレできる会社になれたら
それが実はみんなが所属したい魅力ある会社に
近づいているのではないでしょうか?

うまくいかないことの原因は
他人ばかりにあるのではなく
自分の中にも最もあるといった事実を
直面できる人って本当カッコいい大人ですね。

そうなりたいと思っています。

さて、これは今から26年前での
成人式での私の写真(笑)。
体重も26kgくらい
痩せてるようにも思います(笑)。

何故、ハリセンを持っているかはさておき
この時代、男の人生は
40代が一番カッコいい!と
ずっと思っていました。

今年、47歳になります。
私はあの頃、描いていたような
カッコいい40代を過ごせているのでしょうか?

それでは、これから私の大好きな
自問自答をしようと思います・・・・・・。

ご清聴ありがとうございました(笑)。

恒例行事

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

本日1月4日から奥さんが仕事始め。
奥さんが年末の仕事おさめの日に
ギックリ腰になり大変でしたが、
復活して無事出社しました。

私は年末風邪気味だったのか
大晦日は終日、味覚がなくて
全然、ご飯もお酒も味がしませんでした。
元旦は元に戻り、
おせち料理を堪能しました。

まぁ、この正月は娘達が元気だったので
ヨシとしています。

我が家はお正月に
娘達の身長を計るのが恒例行事。
今年は1月2日の朝に身長を計って
柱に書き込みました。

毎年、お正月と
この家に引越ししてきた7月13日の
年2回子どもの身長を計っています。

私は8年半前に家を建てたのですが、
我が家のリビングの真ん中には
構造上無くてもいい柱が1本あります。

家を建てるときに
娘達の成長を家のどこかに刻みたかったので
柱をむき出しにして設置しました。

娘達の成長を印すことと
背中がかゆいときにその柱を
とても重宝しています(笑)。

娘が大きくなっていく様がよく分かり
我が子の成長を喜んでいます。

私は1年の中で
なんでもいいのでその時期に応じて
恒例行事を作って行動することにしてます。

毎年、その時期が来たらその行事をして
1年間、元気で過ごせたことを再確認し
改めて頑張ろうって気持ちにしているのです。


(奥さんの実家恒例 百人一首大会)

例えば、年末年始なら
大晦日の午前中は、
母親と2人で父の墓掃除に行く。
元旦は朝一で朝風呂に入る。
お正月に娘の身長を計る。
これらは恒例行事ですね。

これらをしたら正月だって気が毎年します。


(今年は雪が積もってました)

でも、よく考えたら
大掃除をすることや実家にいくこと、
初詣にいくことも同じです。
年賀状もそんな意味がありますよね。

年賀状はめんどくさいし、お金もかかります。
今年で年賀状は最後にしますといった風潮も
見受けられました。
メールやLINEで充分といった意見も
あるでしょう。

確かにそうなんですけど
なんかそういった側面だけで
無くしていく事にいつも思う事があります。

いらない部分はなくしたとしても
そこにはいい部分もあるわけですから
そこは残して欲しいなとか思うわけです。
(それは何?といった話になると
感情論に発展していき非常にめんどくさいので
こういった話は各々の心の中で
確認するのがいいと思っています。)

何事も物事の変化や改善は
「よりよいものにするため」でないといけなく
「めんどくさい」「楽したい」だけでやると
結果的にいい事にならないのがほとんどです。

仕事ならその改革が
「お客さんが喜ぶから」とか
「みんながうまくやれるから」ならOKですけど

誰かだけが楽になるものであれば
その人は楽になっても
そのしわ寄せが誰かにいくだけだから
やっぱりそれはよくないわけです。
(先日書いた正論バカ(失礼)の人は、
この傾向が強かったりします。
自分だけが正しいと主張する人や
わがままキャラが認められてる人も
そんな人が多かったりしますが、
組織においては
本当にやっかいな人達です(苦笑)。)

何でも辞めるのも
無くすのも簡単にできますが
その前にもう一度よく吟味することは
辞めず無くさず実行したいですね。

なので我が家は年賀状は今のところ
いい部分もあると思っているので
続行することにしています。

今年もいろいろ書いていくと思いますが、
何卒よろしくお願いします。