丁寧に間違える。綺麗に終わる。

昨日は短時間の中でいろんな事を思いました。

ピアノを習い始めて10年の長女。
昨日はピアノのコンクール。
コンクールは動画も写真も撮影禁止なので
目に焼き付けるかの如く観て
聴き洩らすことなく聴いてました(笑)。

中学生にもなると演奏する子は誰しも上手。
素人目には紙一重の差で
先生達も審査されている感じ。
入賞する子と入賞できない子は
何が違うんだろうと思っていて
ふと気づいたことがありました。

どれだけ上手い子達でも
演奏がノーミスというわけでもありません。
みんな、小さなミスは何回もあります。

ただ入賞した子達は
上手く表現できないのですが
間違いも丁寧に感じました。

コンクールは演奏が止まってしまった時、
そのまま弾き続けなければいけません。
弾き直したら採点は大減点になるはず。

なので間違えてもどれだけスムーズに
弾き続けられるか
ミスをミスとも思わずなめらかに
押し切れるのかで差が開くように思いました。

後、演奏の終わり方が
最後の一音がどれだけ綺麗に終われるかも。

でもこれって仕事の面でも同じですよね。

完璧にやりこなせたらいいのですが
そううまくいかないことが多いのが現実。
失敗する度、落ち込んでも仕方ないし
何よりその先がいいものにはなりません。

開き直って誤魔化したりすることでなく
失敗も受け止めた上で
前向きにやり通せる姿勢は大事だと思います。

終わり方が大事なのも一緒。
仕事でなら断られる時も
綺麗に断られて終わることは
とても大事なことですから・・・
これは気づいている人が少ないですけど。

ピアノを通して娘は良い体験しているなと
しみじみ思った父ちゃんなのでした。

「どう受け取るのか」を定義する大切さ

どう受け止めるのかは各々の判断。

無理強いすることはダメだとしても
自分が何を選んで何をヨシとするかは
時代が変わっても個人次第。

そんなことを思うときに
いつも思い出す話があります。

40年程前に漫画家古谷三敏さんが
書いた作品「寄席芸人伝」

明治大正昭和の各時代の架空の落語家や
寄席にまつわる話を書いたものですが
これが抜群に面白い。

40歳を過ぎた頃から
実際、寄席に行き落語を聞きだして
一層、面白く感じている次第です。

その中に「前座今昔 浮世亭喜楽」
というお話があります。

ネタバレで恐縮しますが、
簡単に説明したら
大御所になった気楽師匠が久しぶりに寄席に。

前座の若者を見て時代が変わったと感じ
昔の自分の前座時代を思い出しています。

きつく注意したらすぐ辞めるので
今の時代は失敗しても怒られない。
自分の頃は前座は1人で雑用に走り回るも
今は交代制で休憩時間もある。
前座の噺家が車を持っている など・・・
(でもこのエピソードも今の話でなく
昭和時代に感じているとすれば結局は
何も変わってないのかもしれませんね)

時代は変わったなと思っているけど
今の若い者が羨ましいのではなく、
みんなが叱って教えて育ててくれたとすれば
幸せな前座時代を過ごしたのは
あの子たちじゃなく自分なのかもしれないな。

こんなお話です。

一場面だけ切り取れば
注意されたり叱られたりしたことでも
それは老害だの、それはパワハラだのと
言う人もいるのでしょうが、

成長していく中で考えて
大きな視野で見てみたら
はたしてそれでいいのかな・・・
とか思ったりするわけです。

もちろんパワハラだのセクハラだの
モラハラだの肯定する気は全くないですが、
何をもってそう受け取るのかの
自分なりの解釈のラインは必要だなと思います。

自分の人生を振り返っても
若い頃に怒られたり注意されたことで
ありがたかったと思う事もありますから。

もちろん許せない事もありますけど(笑)。

「怒られること」と「叱られること」
ミソもクソも一緒にせず、
受け取り方と意味は違うことを
お互いが認識しあうことが
まず第一なのかもしれません。

ネガティブな情報を伝える大事さ

先日、改めて大事だなと思ったお話。

出張中の中で1日調整日があったので
その先ある場所に行ってみた時のこと。

見学する中で徒歩や車はもちろん
レンタサイクルやバスを使う方法が
紹介されていました。

ガイドブックを見てもHPを見ても
SNSを見ても何を見ても
同じことが書いてあり
それならばレンタサイクルか
バスを使ってみようと行ってみました。

結論的に言えばどちらもありませんでした。

シーズン最盛期の先月まではあったのですが
もうレンタサイクルは1か所のみ
バスにおいては走ってすらいませんでした。

向こうにも言い分はあるでしょうが
正直ガッカリしました。

紹介する以上は営業時期を明確にするべきで
ましてやこれだけ情報が発達した時代、
告知できない訳はありません。

地方のお店あるあるですが
掲載内容がバラバラで
どれが正しいのかわからなかったり
定休日や営業時間がウソだったりして
事前確認すらできないケースもある中、
行ってみたら定休日なんてことが多く
本当にガッカリします。

以前の築地場内飲食店も
こんな店が多かったな・・・。

正しい情報を発信することはもちろん
これを書いたら来ないかもしれないといった
ネガティブな情報こそ告知することって
商売に限らず本当に大事だと思います。

期待させて時間たって蓋を開けたら
満を持して裏切られるって
マイナス以外何物でもありません(笑)。

営業でもよくある話ですよね。

競合先より金額が高いという
自分達にとって不利な状況を
売れない人ほど最後まで隠そうとします。
売れてる人ってたぶん最初に言います。

最後まで隠すことによって
逆にお客様に金額でしか決められない
そんなシチュエーションを自ら作っておいて
売れないって嘆いているように思います。

「先方の方が安いから価格で負けました。」
もっともらしく聞こえるのですが
言い訳でしかないことが多々おきます。

本当に金額が理由だけで負けるのなら
最後までひっぱって負けずに
最初にすぐ負けたほうがいいのに。

最初にネガティブな情報を言った上で
なぜそうなるのかの理由を丁寧に伝えて
どうしますか?って確認することが大事。

言うのは容易くやるのは難しいですが、
営業マンの成長ってここがキモ。
黙っておきたかったけど
今日はしゃべってしまいました(笑)。

こんな「人生の達人」になりたい

最近、いろんな出張先で感じるのが
本屋さんの閉店と縮小。
数年前から減りつつはありましたが
コロナで拍車をかけて最近、更に増えた感じ。

再開発などで一旦お休みして
先で再開ということもあるようですが
絶対再開しますといった案内でもなく
どうなるかわからない感じも否めません。

本にしろCDにしろ
アマゾンでの購入機会や
ダウンロードでの購入が増加している今、
仕方ないのかもしれませんが
何度となく嘆いて恐縮しますが(苦笑)、
個人的には本当、寂しく思います。

音楽に関して言えば
「音」だけで楽しんでるわけでもなく、
ジャケットやライナー、歌詞カードも含めて
いろんな面で音楽を楽しんでいたので
やっぱり寂しい気もするんですよね。

本も欲しいものだけ買えたらいいと言うか
興味なかったジャンルの本も
不意に見かけることで興味も持ち
立ち読みすることで
新しい扉を開けていたように思います。

ムダなく効率よく生きるのも
「人生の達人」ですが
ムダを楽しんで更に意味あるものにできるのも
「人生の達人」とすれば、

私はどちらかといえば
後者の人生の達人を目指したいと思っています。

価値観は人それぞれあるので
どっちが正しいかの議論に意味はなく
どっちの考えも尊重しあえたら
世の中の考えや正義が
偏らなくていいのになと思いますがね。

遠回りしたことが
ムダだったのか、意味があったのかは
遠回りした本人が何年も何十年も経った先で
各々に判断するもの。

外野がとやかく言うものでもないのは
いっぱいチャレンジしたり
いっぱい失敗した人ほど
分かってもらえる話ではないでしょうか?

ただ私は本屋やCDショップはもちろん、
映画館や寄席、美術館や
博物館といった文化的な充実と

飲食店や服屋、文房具屋、雑貨屋などが
身近にあるような街で生きれたら

人生が豊かで楽しいだろうなと
思っているだけなんですけどね(笑)。