今どんな天気なのか、どんな風が吹いているのかを知る。

皆さんには憧れと言うか
生きていく上で参考にしている
そんな理想像な人っていますか?

私は以前にも何度か書いたことありますが
大学の卒論でも書かせてもらった
元プロ野球監督の根本陸夫さんって言う方です。

カープ、ライオンズ、ホークスで
黄金期を迎える直前に基礎を固めた元監督。
その根本さんのことを書いた本は
今でも定期的に読み直すことがあります。

そんな中、元西武のチームリーダー
石毛宏典さんとのやりとりを読んでて
改めてこの歳になり、
ハッと気づかされたことがありました。

それは野球選手であっても
スーツが似合う男になれって話の中で
石毛さんが、野球選手ならユニフォームか
ジャージじゃないのか?と答えた時に

おまえの同級生は年収300~400万円
おまえは年収1億円超えるような今だから
根本さんはこんな言葉を言われたようです。

「そうだなぁ。
野球人は温室の中に入っているから、
外が暑いのか寒いのか、
どんな風が吹いているのか、わかんねえだろ。

シーズンオフはお前の同級生、仲間と
一緒に飯を食え。
お前の仲間は時代とともに生きていて、
今どんな天気なのか、
どんな風が吹いているのか、
そうしたことをよくわかってるはずだから、
たくさん話をしてこい。」

石毛さんは当時は若すぎて
よくわからなかったけど、この言葉を

「野球バカじゃダメなんだぞと。
スーツを着て人と会う場所に行ったら
野球とは違った視点で自分を見つめられるし、
社会を見つめられる。
そうやっていろんなことを知りなさい。
一般常識を知りなさい、
社会のことを知らないといかんのだ。」
と歳を重ねて気づかされたとのことでした。

我々でも歳を重ねていくと
仕事絡みの付き合いが多くなり、
一般社会の中と言うよりかは
かなり狭い世界でしか物事が見えなくなりがち。

ましてや偉くなったり、
金持ちになったり、出世していくと
一般社会で生きてる人たちとは距離が開き
感じ方も何も違う世界になります。

商売相手や地域の関わりでは
住む世界が変わり目線も感じ方もかけ離れて
ピントが合わなくなるのに

何故か自分たちは
相手の気持ちが理解できるといった
大きな勘違いをされている人も多々いますよね。

偉くなればなるほど
温室のように囲われた世界から出て
ましてや自分の商売相手が
外の世界の人たちを相手にしているのなら

もっと外に出て会話し触れ合わないと
ピント外れ、的外れな裸の王様になってしまう。

とすれば、そうやって
外にも出ていく人の意見に耳を傾けるか、
自ら外に出ていき一般社会も触れていくか、
そうしないといけないことに気づかされます。

下積みをしたことない人は
下積みしている人の苦労は理解できないし
おそらく敬意は持てないことが多いでしょう。

そんなリーダーの下はしんどいです。

責任をとることなく歳を重ねた人は
いい歳になっても責任は自分のせいでなく
誰かのせいにしかできないしょう。

若い頃、あんな上司にだけは
なりたくないと言ってた
そんな上司になっていることでしょう。

年収が5000万だの1億円だのになれば
一般的な年収400万円の人の気持ちに
寄り添い理解することは至難の業でしょう。

なのに自分は理解できると思えば思うほど
ピント外れな提案しかできず、
しわ寄せがどこかに行くのでしょうね。

思いやりがあり情け深くある反面、
どこか冷静で客観視できていた根本さんの
そんな生き様にはいまだに刺激を受けます。

もう亡くなられて随分経ちますし、
簡単にお逢いできるような
そんな立ち位置の人ではありませんが、
できることなら一度、お目にかかり
お話してみたかったと思う私の憧れの一人です。

今回は髙橋安幸さんの「根本陸夫伝」
~プロ野球のすべてを知っていた男~より
抜粋させて頂きました。

鳥の目 虫の目

物事の内容を知る時や判断する時には
「鳥の目」と「虫の目」が大事って話。

「鳥の目」とは
その物事を高い位置から観察する事。
「虫の目」とは
その物事を近くから観察する事。

そうすれば、その物事がよくわかり
正しい判断に近づけるための
情報が手に入れられます。

私の個人的なイメージでは 組織とは、
部下が現場で発生した事を
ズームアップして情報を集めて報告し、

上司がそれを鳥瞰的な目線で
全体的に見て方針を決めることが
大事だと思っています。

もちろん価値観や方針などは共有の上ですが
せっかくチームで事柄に携わるのなら
みんなが違う目線を持って臨んだ方が
最大限の成果が出るわけで・・・。

ちなみにうまく成果が出ていない時、
上司が価値観や方針ではなく、
個々のやり方まで部下に強要することが
一番、成果を出すための変化を
妨げる要因になっていると感じます。

個々のキャラや魅力を
最大限に発揮して成果を出すためにも
誰が「鳥の目」誰が「虫の目」を
大事にしないといけないのか
みんなで確認しあうことが
まずはチームにとって
最初にやることなのかもしれませんね。

※今回のお話は、田中優介さんの
「その対応では会社が傾く」より
一部引用させて頂きました。

関係が長続きするコツ

以前からモヤモヤ思ってたことが
自分なりに整理されて明確になる機会が
1年に何回かあるのですが、
先日、そんな機会がありました。

それは、夫婦関係であれ友人関係であれ
どんな人間関係だったとしても
相手に敬意が持てると言うか
尊敬できないと長続きしないってこと。

と言うことは、相手からも同じく
自分のことを尊敬してもらえないと
関係は長くは続かない。

仕事でなら利害関係が優先されそうですが
それでも尊敬しあえる部分がないと
やっぱり長続きはしないもの。
所詮、それはお金の関係でしかないですから。

でも、尊敬しあえるって
どういうことを指すのだろう?
高いハードルを求めあうのなら
それはそれでピント外れな違った話。

相手を尊敬できるってことは
実はそんなおおげさなことじゃない。

いつも笑顔で前向きだよなとか
あのひたむきさはマネができないとか

もっと簡単に言えば
優しいよなとか
労ってくれるよなとか
じっくり話を聞いてくれるよなとか
ゴルフが上手いよなとか
ピアノが弾けるよなとか

何でもいいから
良いところが一つでもあればよい。
そういうことだと思います。

尊敬の気持ちが相手にあれば
良いところが見つけられるけど
尊敬の気持ちがなかったら
どうやっても見つからないので(笑)。

そんなこと気づいたときに
確かに妻にしろ友人にしろ
スゴイなって思えることがありました。

世間的にみたら、金や名声に比例して
立ち位置は上になるけど
そんな人が尊敬できるかっていったら
確かに金や名声と比例していないもの。

万人に好かれたいわけでもないし
万人に認められようなんて厳しい話。
でも好きな相手とは
長いこと付き合いたいのは本音。

それならば相手から見て
ひとつでも私のいいところは
見つけてもらえるようには
気をつけて生きたいなと改めて思いました。

50歳になったからこそ
利害関係や損得関係のない友人の存在が
人生において大切だと思い始めています。

毎日をゲームだと考えてみる

学生時代であれ社会人であれ
子どもであれ大人であれ
悩みのほとんどは人間関係が根っこ。

例えば、仕事をしていたら
定期的に邪魔をしてくるような人や
出来事が起こったりします。

「責任をとらない上司」とか
「自分勝手なのに自分は有能だと思い
迷惑かけてることに気づいてない人」
「モンスタークレーマー」など
キャラクターは盛り沢山(笑)。

でも自分が主人公のドラマなら
ライバル出現やトラブル発生は当然のこと、
もっとストレートに言えば
主人公は敵が付き物なわけで・・・・

何一つ、事件も災いも起きず
なだらかな展開のドラマは
例え、主人公がジャニーズの人気者でも
視聴率は悲惨なことになりそう(笑)。

そう思ったら人生や毎日はドラマ、
いや ゲームだと思えたら
ライバルもトラブルも面白がれそうです。

そしてゲームなんだからリセットも可。

いざとなったら逃げれるんだと思えば
どうにかしなければならないでなく
どうにもしようがないこともあると
いい意味で割り切れそう気がします。

自分の人生は自分が主人公で当たり前。
でも誰かがいたり、誰かが邪魔して
自分の人生なのに主人公になれないのなら
場所を変えることは正しいとも思います。

そう言えば、勉強ができた妻は
「勉強は答があるゲーム」と言ってました。

世の中には答がないことが多いけど
勉強は絶対に答えがあるから
頑張ったら達成できるから面白い。
そんなイメージだったそうです。

私も学生時代に気づいておきたかった(笑)。
でも根っこは似てる考え方。

仕事できる人とか勉強できた人に聞いてみたら
結構同じようなこと言われていたので
知っておくと便利な考え方と思っています。

ユーモアを大事にしたい

私はユーモアのある文章が大好きです。

言いにくいことを相手に伝える時や
相手の行動を注意する時、
特に正論で相手に意見するときほど
どれだけユーモアを交えられるかが
コミュニケーションには大事と思っています。

皮肉めいた発言やブラックユーモアは
今のご時世、よくないものとされてますが、
誰かに真意を伝える際には
言いにくいことも相手にきちんと
伝えられるかは大切なこと。

茶化すわけでもなく、
相手を感情論に進展させずに伝える為にも
様々な形でユーモアは
必要だと思っています。

成功には努力、プロセスは大事ですが
そもそもの話、運の部分が大きいのが事実。
でもなかなか運の存在を
受け入れてくれない人がいます。

そんな時、ジャン・コクトーさんの言葉
「運を信じるべきだ。
そうでなければ、どうやって
あの嫌い連中の成功を説明できる?」
って言われたら つい笑ってしまい
受け入れられそうな気がしませんか?

もちろん、考えや意見が正しくて
筋の通ったものでないといけないのは前提。

でも、正論であればあるほど
偉そうに相手に言っていいと思いがちな人が
マウントを取ってくることで
その人間関係を面白くなくしていますよね?

潤滑油でしかないユーモアですが、
それがないと動きにくくなり、
そして動かなくなるのが人間関係。

ガソリンやエンジンばかりに目が行き
オイル交換を怠って止まった車や

炭水化物やたんぱく質ばかりに目が行き
ビタミン不足で体調不良になる人などに
置き換えてみたらハッとするかもしれません。

十数年以上、捨てられずに本棚に並び
今でも何度となく読み返す
ユーモアに満ちた本が何十冊とある私です。

言いにくいことを相手に伝える前や
相手の行動を注意する前、
特に正論で相手に意見する前ほど
読み返しているのは内緒です(笑)。

「ゲシュタルトの祈り」

「ゲシュタルトの祈り」

私は私のことをして、
あなたはあなたのことをする。

私はあなたの期待に応えるために
この世に生まれたのではない。

あなたは私の期待に応えるために
この世に生まれたのではない。

あなたはあなた、私は私。

私には私の人生がある。

あなたにはあなたの人生がある。

もし2人、心が通じ合うことがあれば
それはそれで素晴らしいこと。

けれどももし、
わかり合えないままであっても
それはそれで致し方のないこと。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

フレディック・パールズさんが書かれた詩。

先日読んだ本に紹介されていて
たまたま知った詩なのですが、
50歳になって初めて知り、
読んだ時にすごく腑に落ちました。

まだまだ未熟なせいか
誰かの期待に応えたい思いと
自分を認めて欲しい思いに執着してますが、

こう言われたらまずは自分で
自分の思いをしっかり大事にしないと
いけないんだなって
今更ながら気づいたのであります(笑)。

誰にも期待しない、信じないといった
極端で寂しい感情が良いと
言っているのではなく、

周りを気にしてビクビクするのでなく
まずは強い自分を作ることを
大事にしないといけないってことですね。

いくつになっても人生、
まだまだ勉強のようです。
頑張ろうっと。

決まりを作って明文化して共有するということ。

今年の大河ドラマが
鎌倉時代が舞台だったこともあり
令和の今頃になって初めて
遅ればせながら最初の武家法である
「御成敗式目」を読んでみました。

内容を知ってビックリ。
今でいう刑法の考え方や時効、
納税、相続についてなど
今の時代にもつながる考え方が
武士たちが戦争をしていた鎌倉時代に
もう存在していることに驚きました。

御成敗式目が施行されてから
争いも減ってきたとも書いてありましたが
読んでいたら本当、納得します。

あらかじめ決まりやルールを作っておき
それを明文化して共有する。
令和の時代でも大切なことです。

明確にしていないと過大解釈する人間がいて
組織って誰かにしわ寄せがいくものです。
リーダーにしわ寄せが行く分はヨシとしても
だいたい行くのはどこの世界も弱者の方。

やっぱり人が残っていく組織は
報酬がいいこともあるでしょうが、
きちんとルールがあって
守られているからと思います。

ルールがない組織が分かるコツは
えこひいきされている人がいる場合に
分かることが多いのが感想です。

組織に特例が蔓延りだすと
去っていく人が増えるのが事実。

そう思ったらいつの時代も
同じことが起こって、
同じことに悩んだりする。

時代が変わると新しい方法や新しい考え方が
生まれてくるものですが、
根っこはそう変わらないのも
事実なのかもしれませんね。

そう思えば、自らを特例にして
都合よく運営しようとはせず、

自分は船長ではあるけれど
船員の一人でもあることを肝に銘じて
きちんと決まりをつくった御成敗式目は

室町時代にも江戸時代にも今の時代にも
790年も引き継がれていった
そんな決まりに成りえたのでしょう。

歴史って面白いな・・・
改めてそう思いました。

人を誉めることの意味

先日、目にすることがあり
50歳になって今更ながら改めて、
山本五十六さんの言葉が身に染みています。

山本五十六さんは元 元帥海軍大将。
リーダーとして手本となる指針や言葉を
数多く残されています。

一番有名な言葉は
「やってみせて 言って聞かせて やらせてみて
ほめてやらねば 人は動かじ。」

リーダーは部下にまず手本を示してやり
言葉で伝えてまずチャレンジさせてみる。
そして結果だけで評価するのではなく
チャレンジしたことを誉めてやらないと
継続してやってみようとは
たぶん誰も思わない。
そんな風に私は解釈しています。

言うのは簡単ですけど難しいですね(笑)。
でもこの言葉は続きの方が更に大事。

「話し合い 耳を傾け 承認し
任せてやらねば 人は育たず。
やっている 姿を感謝で 見守って
信頼せねば 人は実らず。」

人は教わる立場から教える立場になった時、
昔の立場を忘れてしまったかのように
若い頃、あんなリーダーには
なりたくないって思ってた姿に
自ら近づいていくような気がします(苦笑)。

山本五十六さんにはこんな言葉もあります。

「実年者は今どきの若い者などということを
絶対に言うな。
なぜならわれわれ実年者が若かった時に
同じことを言われたはずだ。
今どきの若者は全くしょうがない、
年長者に対して礼儀を知らぬ、
道で会っても挨拶もしない、
いったい日本はどうなるのだ
などと言われたものだ。
その若者がこうして年を取ったまでだ。
だから実年者は
若者が何をしたかなどと言うな。
何ができるかと
その可能性を発見してやってくれ。」

人を育てるって
本当に手がかかって、面倒くさいもの。
でも自分達も昔そうやって
育ててもらったとしたら
怒らずに叱りつつ、何より誉めてやる。

次の世代へバトンを渡すことも
自分の仕事の中で
ウエイトが大きくなってき始めしたら
「人を誉める」ってことは
自分にとっても相手にとっても
大きな意味があるように感じています。

子育ても一緒ですね・・・。

「群衆から笑いが起こるのは・・・・」

よほどのことがない限り、
人は大切な何かを伝えたいから
誰かに話をして伝えようと思っています。

会議での話も 学校の授業もそう。
商談の話ではもちろんだし、
友達同士で話している時も同じ。

日常会話や井戸端会議など
仮に傍目には無意味に見える雑談(笑)に
映ったとしても話している方は
大切なことを伝えようと思っています。

いいこと、正しいこと、役に立つこと。
聞き手はこんなことを知りたがってる。

だけどいくらいい話を熱弁しても
終わってしばらくしたら
ほとんど頭に残っていなかったりします。

話し手からしたらガックリきますが(苦笑)、
そんなときに今回のタイトルに続く
コメディアン、ジョンシャーマンさんの言葉が
ヒントになると思っています。

「群衆から笑いが起こるのは、
   それだけ熱心に聞いているしるしだ。」


「真面目なこと と面白いこと は相反する」
といった日本人の間違った思い込みが
この言葉の真意に誤解を招きがちですが、

面白く表現が出来たり
適切な比喩表現で伝えられることって
どのようなシチュエーションにも
活かせられるものだと改めて思うわけです。

知識や情報は 専門内の枠 の中では大事、
でも伝え方や話し方は 専門外の枠に
いろんなヒントがあるので
色んなジャンルに興味を持つことの重要さは
昔も今も変わらないような気がします。

ネットで情報は知れるけど
何故、新聞を読む意味があるのか?

アマゾンで買えば容易く手に入れるけど
わざわざ本屋に足を運んで立ち読みして
本を買いに行く意味があるのか?

時代の移り変わりや価値観の変換に
対応していくことは大事と思っていますが
だからといって昔の方法が
全く無意味になるわけではない。
これって大事なポイントだと思います。

※ジェニファーアーカーさん、
ナオミバグドナスさんの
「ユーモアは最強の武器である」より
参考参照させて頂きました。

「どう受け取るのか」を定義する大切さ

どう受け止めるのかは各々の判断。

無理強いすることはダメだとしても
自分が何を選んで何をヨシとするかは
時代が変わっても個人次第。

そんなことを思うときに
いつも思い出す話があります。

40年程前に漫画家古谷三敏さんが
書いた作品「寄席芸人伝」

明治大正昭和の各時代の架空の落語家や
寄席にまつわる話を書いたものですが
これが抜群に面白い。

40歳を過ぎた頃から
実際、寄席に行き落語を聞きだして
一層、面白く感じている次第です。

その中に「前座今昔 浮世亭喜楽」
というお話があります。

ネタバレで恐縮しますが、
簡単に説明したら
大御所になった気楽師匠が久しぶりに寄席に。

前座の若者を見て時代が変わったと感じ
昔の自分の前座時代を思い出しています。

きつく注意したらすぐ辞めるので
今の時代は失敗しても怒られない。
自分の頃は前座は1人で雑用に走り回るも
今は交代制で休憩時間もある。
前座の噺家が車を持っている など・・・
(でもこのエピソードも今の話でなく
昭和時代に感じているとすれば結局は
何も変わってないのかもしれませんね)

時代は変わったなと思っているけど
今の若い者が羨ましいのではなく、
みんなが叱って教えて育ててくれたとすれば
幸せな前座時代を過ごしたのは
あの子たちじゃなく自分なのかもしれないな。

こんなお話です。

一場面だけ切り取れば
注意されたり叱られたりしたことでも
それは老害だの、それはパワハラだのと
言う人もいるのでしょうが、

成長していく中で考えて
大きな視野で見てみたら
はたしてそれでいいのかな・・・
とか思ったりするわけです。

もちろんパワハラだのセクハラだの
モラハラだの肯定する気は全くないですが、
何をもってそう受け取るのかの
自分なりの解釈のラインは必要だなと思います。

自分の人生を振り返っても
若い頃に怒られたり注意されたことで
ありがたかったと思う事もありますから。

もちろん許せない事もありますけど(笑)。

「怒られること」と「叱られること」
ミソもクソも一緒にせず、
受け取り方と意味は違うことを
お互いが認識しあうことが
まず第一なのかもしれません。