「雨でも降らんと野外でやる意味がなかろう」

「せっかく旅行に来たのに
あいにくの雨で残念だった・・・」

日々、過ごしていたら
天候が悪いときがあったり
電車が遅れる時があったり
目当てのお店が大行列していたり
気が滅入るような時があります。

すいている早朝に早めに行動したり
あらかじめ予約しておいたり
もちろん工夫や準備は必要で
事前に防げる努力は前提の上ですが
それでも何かと起きるものです。

待たされてイライラしたり
ムカつくこともしばしばありますが
そんな時はいつもタイトルに書いた

ブルーハーツの甲本ヒロトさんの
「雨でも降らんと~」の言葉を
頭の中で復唱するようにしています。

確かに雨がどうしても嫌なら
屋内でできることをやればいいわけで。

それでも屋外でやりたいのなら
雨のリスクは承知の上。
そんなネガティブな状況も踏まえて
楽しめるくらいの気持ちが必要。

雨が嫌なら屋内でライブをすればよく
それでも屋外でライブをするのなら
雨が降る可能性もあって当然。
それなら雨が降ったら
びしょ濡れのライブを楽しめる
そんな機会を楽しめばいい。

そんな懐の広いスタンスも持った方が
毎日、生きやすいですよね(笑)。

もちろん、そんな訳にいかない状況が
日々の中であることもわかってます。

その上で受け入れることで
有意義に楽しめるような考え方は
持っていきたいと思う
大雪が降った日の私の独り言です(笑)。

「ゲシュタルトの祈り」

「ゲシュタルトの祈り」

私は私のことをして、
あなたはあなたのことをする。

私はあなたの期待に応えるために
この世に生まれたのではない。

あなたは私の期待に応えるために
この世に生まれたのではない。

あなたはあなた、私は私。

私には私の人生がある。

あなたにはあなたの人生がある。

もし2人、心が通じ合うことがあれば
それはそれで素晴らしいこと。

けれどももし、
わかり合えないままであっても
それはそれで致し方のないこと。
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フレディック・パールズさんが書かれた詩。

先日読んだ本に紹介されていて
たまたま知った詩なのですが、
50歳になって初めて知り、
読んだ時にすごく腑に落ちました。

まだまだ未熟なせいか
誰かの期待に応えたい思いと
自分を認めて欲しい思いに執着してますが、

こう言われたらまずは自分で
自分の思いをしっかり大事にしないと
いけないんだなって
今更ながら気づいたのであります(笑)。

誰にも期待しない、信じないといった
極端で寂しい感情が良いと
言っているのではなく、

周りを気にしてビクビクするのでなく
まずは強い自分を作ることを
大事にしないといけないってことですね。

いくつになっても人生、
まだまだ勉強のようです。
頑張ろうっと。

年明けの楽しみ

年末年始は何かと慌ただしいので
観たいテレビは録画しています。

年末年始の早朝は落語番組が多いので
最近、時間を作っては
録画していた落語を観ています。

故 立川談志さんは
「落語とは人間の業の肯定である」
と言われました。

人間は親孝行だの勤勉だの言うけれど
落語に出てくる人間達は
そんなものは嘘だと知っていたのでは?

人間とはもっと弱いもので
働きたくない、楽して金儲けしたなどと
思っているものであり、
落語はそういったことを肯定している。

確かこんなことを言われていたと思います。
要は人間はどうしようもないものなんだと
弟子の談慶さんも説明されていました(笑)。

落語は素晴らしい芸術であるとも思いますが
もっと身近でもっと気軽な大衆芸能であり、
古い過去のモノのように見えて
実は今にも通ずる不変なモノとも思います。

今の日常生活に沿わないようでいて
人間関係においてはヒントが多く

営業だの人前で話すことだの
対人関係のコミュニケーションにおいては
特に凄い勉強になるものと思っています。

でも本当はそんな難しいこと考えず
もっと気軽に楽しんだらいいんですよね。

youtubeなどでも簡単に見れる時代なので
年末年始のテレビ番組で
わざわざ観なくてもいいと言われそうですが、

自分で見る噺家さんを選んだら
それまでの知識経験の中でしか選べず
噺家さんが偏ってしまいます。

要は新しい出会いを自ら無くしかねない。

なのでこういう機会で
いろんな噺家さんを見て
新しい出会いを増やせれたらなと思います。

もちろん日常でも同じこと、
新しい出会いがありますように・・・。

今年は寄席にも もっと行きたいですね。

初心を思い出してみる

新年あけましておめでとうございます。

年末年始のお休みの間に
佐野慎輔著の「西武ライオンズ創世記」を
読んでたのですが、
不意に初心を思い出すことができて
とても年始にいい機会となりました。

1979年~1983年の西武ライオンズの
チーム内容を書かれているのですが、
西武以前のクラウンライター時代に
監督就任された根本陸夫さんについての箇所を
読んでいて久々に昔のことを思い出しました。

大学生の頃に本を読む機会があり
根本陸夫さんのことを知ったのですが
当時、生き様にとても影響を受けました。

弱小時代の広島東洋カープ、西武ライオンズで
監督に就任し、戦力を揃えて
チームの土台を築きあげて後任に譲ると
黄金期を迎えるチームづくりの名人。

ちょうどこの時はダイエーホークスの監督で
チームづくりをしていた真っただ中。

数年後にダイエーホークスは
予想通り?に黄金期を迎えるのですが、
リアルタイムでその姿を眺めながら
根本さんの一挙手一投足を追っていました。

成功していく様をリアルに
疑似体験しているような感覚でした。

結果、私は大学時代の卒論は
ゼミの教授も面白がって後押ししてくれたので
根本陸夫さんを題材に書いたのです(笑)。

指導者やリーダーはこうあるべきと
色んな書物で読んだけれども
もしかしたら組織の内容や状況によって
適している姿は様々なのでは?と思い、
各々の時代で仮説を立てて書いてみました。

導入期は上記の根本陸夫さん、
成長期は西鉄ライオンズの三原脩監督、
成熟期は読売ジャイアンツの川上哲治監督。

三者三様で各自、素晴らしかったのですが
個人的には導入期のリーダー像、
根本さんの立ち振る舞いに感心し、
とても興味があったので
根本さんを主に書いたのでありました。

本を読みながらそんな卒論を書いたな・・・
なんて思い出していたのですが、

卒業してから27年(!)経った今、
あの頃にこんな風になりたいなんて
夢を描いていたことを、
すっかり忘れていたあの頃の思いを
不意に思い出したのでありました。

初心と言うか、原点と言うか、
未熟で若かった頃の熱い思いと言うか、

夢に溢れて希望と不安で胸いっぱいだった
「こんな大人になりたいな。」なんて
夢を描いていたそんな頃を
思い出したのであります。

全然うまくいかず悩みに悩んだ
前職時代の営業マン時代、紆余曲折の結果
「損得勘定は捨てたおせっかい」
になろうと胸に誓ってから
少しずつ上手くいったような気がします。

この歳になっても同じと思います。
これは損だ、これは得だと思う前に
もう一度、あのおせっかいオヤジになろうと
改めて胸に誓った年始の独り言であります。

皆様、今年もよろしくお願いします。

「セ・パ・ラフィネ」

今年もあと2日。
1年は早いですね。

今年もたくさん本を読みました。
いろんなものから刺激と学びを得ますが
私はやっぱり読書が一番、
身に染みて得られる気がします。

今年最後に読んだ本は「三流シェフ」
シェフ三國清三さんの自伝でした。

多くの困難を 皿洗いと
鍋磨きから突破していく様に
今の我々が忘れかけている何かを
思い出させてくれる気がしました。

様々な経験を積んでいく三國さんに
カリスマ三つ星シェフ シャペルさんが
伝えた言葉「セ・パ・ラフィネ」

直訳すれば 洗練されていない。

フランス料理において
フランス人三つ星シェフにも負けない
三國さんの料理を食べて言った一言。

これは素晴らしい料理だけど
フランス人のマネをしている
フランス料理にすぎない。
この料理に三國さん自身がいない。

そのことを指摘され言われた言葉が
「セ・パ・ラフィネ」

このエピソードがとても胸に刺さりました。

まずは誰かのマネをすることで
人は成長していきますが成長した先には
自分のオリジナリティがないといけない。

似たような他の誰かとは違う個性がないと
最後は認めてはもらえない。

そう思った時に自分自身の個性や武器、
魅力はいったい何なんですか?と
改めて考え直さないといけないことに
ハッとしたのでありました。

今年最後にいい本を読めました。
まだまだ人生勉強中ですので
来年もいろんな刺激と学びを
得ていきたいと思います。

今年も一年ありがとうございました。

決まりを作って明文化して共有するということ。

今年の大河ドラマが
鎌倉時代が舞台だったこともあり
令和の今頃になって初めて
遅ればせながら最初の武家法である
「御成敗式目」を読んでみました。

内容を知ってビックリ。
今でいう刑法の考え方や時効、
納税、相続についてなど
今の時代にもつながる考え方が
武士たちが戦争をしていた鎌倉時代に
もう存在していることに驚きました。

御成敗式目が施行されてから
争いも減ってきたとも書いてありましたが
読んでいたら本当、納得します。

あらかじめ決まりやルールを作っておき
それを明文化して共有する。
令和の時代でも大切なことです。

明確にしていないと過大解釈する人間がいて
組織って誰かにしわ寄せがいくものです。
リーダーにしわ寄せが行く分はヨシとしても
だいたい行くのはどこの世界も弱者の方。

やっぱり人が残っていく組織は
報酬がいいこともあるでしょうが、
きちんとルールがあって
守られているからと思います。

ルールがない組織が分かるコツは
えこひいきされている人がいる場合に
分かることが多いのが感想です。

組織に特例が蔓延りだすと
去っていく人が増えるのが事実。

そう思ったらいつの時代も
同じことが起こって、
同じことに悩んだりする。

時代が変わると新しい方法や新しい考え方が
生まれてくるものですが、
根っこはそう変わらないのも
事実なのかもしれませんね。

そう思えば、自らを特例にして
都合よく運営しようとはせず、

自分は船長ではあるけれど
船員の一人でもあることを肝に銘じて
きちんと決まりをつくった御成敗式目は

室町時代にも江戸時代にも今の時代にも
790年も引き継がれていった
そんな決まりに成りえたのでしょう。

歴史って面白いな・・・
改めてそう思いました。

人を誉めることの意味

先日、目にすることがあり
50歳になって今更ながら改めて、
山本五十六さんの言葉が身に染みています。

山本五十六さんは元 元帥海軍大将。
リーダーとして手本となる指針や言葉を
数多く残されています。

一番有名な言葉は
「やってみせて 言って聞かせて やらせてみて
ほめてやらねば 人は動かじ。」

リーダーは部下にまず手本を示してやり
言葉で伝えてまずチャレンジさせてみる。
そして結果だけで評価するのではなく
チャレンジしたことを誉めてやらないと
継続してやってみようとは
たぶん誰も思わない。
そんな風に私は解釈しています。

言うのは簡単ですけど難しいですね(笑)。
でもこの言葉は続きの方が更に大事。

「話し合い 耳を傾け 承認し
任せてやらねば 人は育たず。
やっている 姿を感謝で 見守って
信頼せねば 人は実らず。」

人は教わる立場から教える立場になった時、
昔の立場を忘れてしまったかのように
若い頃、あんなリーダーには
なりたくないって思ってた姿に
自ら近づいていくような気がします(苦笑)。

山本五十六さんにはこんな言葉もあります。

「実年者は今どきの若い者などということを
絶対に言うな。
なぜならわれわれ実年者が若かった時に
同じことを言われたはずだ。
今どきの若者は全くしょうがない、
年長者に対して礼儀を知らぬ、
道で会っても挨拶もしない、
いったい日本はどうなるのだ
などと言われたものだ。
その若者がこうして年を取ったまでだ。
だから実年者は
若者が何をしたかなどと言うな。
何ができるかと
その可能性を発見してやってくれ。」

人を育てるって
本当に手がかかって、面倒くさいもの。
でも自分達も昔そうやって
育ててもらったとしたら
怒らずに叱りつつ、何より誉めてやる。

次の世代へバトンを渡すことも
自分の仕事の中で
ウエイトが大きくなってき始めしたら
「人を誉める」ってことは
自分にとっても相手にとっても
大きな意味があるように感じています。

子育ても一緒ですね・・・。

「群衆から笑いが起こるのは・・・・」

よほどのことがない限り、
人は大切な何かを伝えたいから
誰かに話をして伝えようと思っています。

会議での話も 学校の授業もそう。
商談の話ではもちろんだし、
友達同士で話している時も同じ。

日常会話や井戸端会議など
仮に傍目には無意味に見える雑談(笑)に
映ったとしても話している方は
大切なことを伝えようと思っています。

いいこと、正しいこと、役に立つこと。
聞き手はこんなことを知りたがってる。

だけどいくらいい話を熱弁しても
終わってしばらくしたら
ほとんど頭に残っていなかったりします。

話し手からしたらガックリきますが(苦笑)、
そんなときに今回のタイトルに続く
コメディアン、ジョンシャーマンさんの言葉が
ヒントになると思っています。

「群衆から笑いが起こるのは、
   それだけ熱心に聞いているしるしだ。」


「真面目なこと と面白いこと は相反する」
といった日本人の間違った思い込みが
この言葉の真意に誤解を招きがちですが、

面白く表現が出来たり
適切な比喩表現で伝えられることって
どのようなシチュエーションにも
活かせられるものだと改めて思うわけです。

知識や情報は 専門内の枠 の中では大事、
でも伝え方や話し方は 専門外の枠に
いろんなヒントがあるので
色んなジャンルに興味を持つことの重要さは
昔も今も変わらないような気がします。

ネットで情報は知れるけど
何故、新聞を読む意味があるのか?

アマゾンで買えば容易く手に入れるけど
わざわざ本屋に足を運んで立ち読みして
本を買いに行く意味があるのか?

時代の移り変わりや価値観の変換に
対応していくことは大事と思っていますが
だからといって昔の方法が
全く無意味になるわけではない。
これって大事なポイントだと思います。

※ジェニファーアーカーさん、
ナオミバグドナスさんの
「ユーモアは最強の武器である」より
参考参照させて頂きました。

丁寧に間違える。綺麗に終わる。

昨日は短時間の中でいろんな事を思いました。

ピアノを習い始めて10年の長女。
昨日はピアノのコンクール。
コンクールは動画も写真も撮影禁止なので
目に焼き付けるかの如く観て
聴き洩らすことなく聴いてました(笑)。

中学生にもなると演奏する子は誰しも上手。
素人目には紙一重の差で
先生達も審査されている感じ。
入賞する子と入賞できない子は
何が違うんだろうと思っていて
ふと気づいたことがありました。

どれだけ上手い子達でも
演奏がノーミスというわけでもありません。
みんな、小さなミスは何回もあります。

ただ入賞した子達は
上手く表現できないのですが
間違いも丁寧に感じました。

コンクールは演奏が止まってしまった時、
そのまま弾き続けなければいけません。
弾き直したら採点は大減点になるはず。

なので間違えてもどれだけスムーズに
弾き続けられるか
ミスをミスとも思わずなめらかに
押し切れるのかで差が開くように思いました。

後、演奏の終わり方が
最後の一音がどれだけ綺麗に終われるかも。

でもこれって仕事の面でも同じですよね。

完璧にやりこなせたらいいのですが
そううまくいかないことが多いのが現実。
失敗する度、落ち込んでも仕方ないし
何よりその先がいいものにはなりません。

開き直って誤魔化したりすることでなく
失敗も受け止めた上で
前向きにやり通せる姿勢は大事だと思います。

終わり方が大事なのも一緒。
仕事でなら断られる時も
綺麗に断られて終わることは
とても大事なことですから・・・
これは気づいている人が少ないですけど。

ピアノを通して娘は良い体験しているなと
しみじみ思った父ちゃんなのでした。

「どう受け取るのか」を定義する大切さ

どう受け止めるのかは各々の判断。

無理強いすることはダメだとしても
自分が何を選んで何をヨシとするかは
時代が変わっても個人次第。

そんなことを思うときに
いつも思い出す話があります。

40年程前に漫画家古谷三敏さんが
書いた作品「寄席芸人伝」

明治大正昭和の各時代の架空の落語家や
寄席にまつわる話を書いたものですが
これが抜群に面白い。

40歳を過ぎた頃から
実際、寄席に行き落語を聞きだして
一層、面白く感じている次第です。

その中に「前座今昔 浮世亭喜楽」
というお話があります。

ネタバレで恐縮しますが、
簡単に説明したら
大御所になった気楽師匠が久しぶりに寄席に。

前座の若者を見て時代が変わったと感じ
昔の自分の前座時代を思い出しています。

きつく注意したらすぐ辞めるので
今の時代は失敗しても怒られない。
自分の頃は前座は1人で雑用に走り回るも
今は交代制で休憩時間もある。
前座の噺家が車を持っている など・・・
(でもこのエピソードも今の話でなく
昭和時代に感じているとすれば結局は
何も変わってないのかもしれませんね)

時代は変わったなと思っているけど
今の若い者が羨ましいのではなく、
みんなが叱って教えて育ててくれたとすれば
幸せな前座時代を過ごしたのは
あの子たちじゃなく自分なのかもしれないな。

こんなお話です。

一場面だけ切り取れば
注意されたり叱られたりしたことでも
それは老害だの、それはパワハラだのと
言う人もいるのでしょうが、

成長していく中で考えて
大きな視野で見てみたら
はたしてそれでいいのかな・・・
とか思ったりするわけです。

もちろんパワハラだのセクハラだの
モラハラだの肯定する気は全くないですが、
何をもってそう受け取るのかの
自分なりの解釈のラインは必要だなと思います。

自分の人生を振り返っても
若い頃に怒られたり注意されたことで
ありがたかったと思う事もありますから。

もちろん許せない事もありますけど(笑)。

「怒られること」と「叱られること」
ミソもクソも一緒にせず、
受け取り方と意味は違うことを
お互いが認識しあうことが
まず第一なのかもしれません。