ネガティブな情報を伝える大事さ

先日、改めて大事だなと思ったお話。

出張中の中で1日調整日があったので
その先ある場所に行ってみた時のこと。

見学する中で徒歩や車はもちろん
レンタサイクルやバスを使う方法が
紹介されていました。

ガイドブックを見てもHPを見ても
SNSを見ても何を見ても
同じことが書いてあり
それならばレンタサイクルか
バスを使ってみようと行ってみました。

結論的に言えばどちらもありませんでした。

シーズン最盛期の先月まではあったのですが
もうレンタサイクルは1か所のみ
バスにおいては走ってすらいませんでした。

向こうにも言い分はあるでしょうが
正直ガッカリしました。

紹介する以上は営業時期を明確にするべきで
ましてやこれだけ情報が発達した時代、
告知できない訳はありません。

地方のお店あるあるですが
掲載内容がバラバラで
どれが正しいのかわからなかったり
定休日や営業時間がウソだったりして
事前確認すらできないケースもある中、
行ってみたら定休日なんてことが多く
本当にガッカリします。

以前の築地場内飲食店も
こんな店が多かったな・・・。

正しい情報を発信することはもちろん
これを書いたら来ないかもしれないといった
ネガティブな情報こそ告知することって
商売に限らず本当に大事だと思います。

期待させて時間たって蓋を開けたら
満を持して裏切られるって
マイナス以外何物でもありません(笑)。

営業でもよくある話ですよね。

競合先より金額が高いという
自分達にとって不利な状況を
売れない人ほど最後まで隠そうとします。
売れてる人ってたぶん最初に言います。

最後まで隠すことによって
逆にお客様に金額でしか決められない
そんなシチュエーションを自ら作っておいて
売れないって嘆いているように思います。

「先方の方が安いから価格で負けました。」
もっともらしく聞こえるのですが
言い訳でしかないことが多々おきます。

本当に金額が理由だけで負けるのなら
最後までひっぱって負けずに
最初にすぐ負けたほうがいいのに。

最初にネガティブな情報を言った上で
なぜそうなるのかの理由を丁寧に伝えて
どうしますか?って確認することが大事。

言うのは容易くやるのは難しいですが、
営業マンの成長ってここがキモ。
黙っておきたかったけど
今日はしゃべってしまいました(笑)。

こんな「人生の達人」になりたい

最近、いろんな出張先で感じるのが
本屋さんの閉店と縮小。
数年前から減りつつはありましたが
コロナで拍車をかけて最近、更に増えた感じ。

再開発などで一旦お休みして
先で再開ということもあるようですが
絶対再開しますといった案内でもなく
どうなるかわからない感じも否めません。

本にしろCDにしろ
アマゾンでの購入機会や
ダウンロードでの購入が増加している今、
仕方ないのかもしれませんが
何度となく嘆いて恐縮しますが(苦笑)、
個人的には本当、寂しく思います。

音楽に関して言えば
「音」だけで楽しんでるわけでもなく、
ジャケットやライナー、歌詞カードも含めて
いろんな面で音楽を楽しんでいたので
やっぱり寂しい気もするんですよね。

本も欲しいものだけ買えたらいいと言うか
興味なかったジャンルの本も
不意に見かけることで興味も持ち
立ち読みすることで
新しい扉を開けていたように思います。

ムダなく効率よく生きるのも
「人生の達人」ですが
ムダを楽しんで更に意味あるものにできるのも
「人生の達人」とすれば、

私はどちらかといえば
後者の人生の達人を目指したいと思っています。

価値観は人それぞれあるので
どっちが正しいかの議論に意味はなく
どっちの考えも尊重しあえたら
世の中の考えや正義が
偏らなくていいのになと思いますがね。

遠回りしたことが
ムダだったのか、意味があったのかは
遠回りした本人が何年も何十年も経った先で
各々に判断するもの。

外野がとやかく言うものでもないのは
いっぱいチャレンジしたり
いっぱい失敗した人ほど
分かってもらえる話ではないでしょうか?

ただ私は本屋やCDショップはもちろん、
映画館や寄席、美術館や
博物館といった文化的な充実と

飲食店や服屋、文房具屋、雑貨屋などが
身近にあるような街で生きれたら

人生が豊かで楽しいだろうなと
思っているだけなんですけどね(笑)。

伏線回収

20代の頃に見て面白かった映画
「ショーシャンクの空に」を
20数年ぶりに観ました。

最後に伏線回収される映画は大好きで
久しぶりにみて爽快な気持ちになりました。

映画を観終わった後にふと思ったのは
日頃の小さなことの積み重ねって
人生の伏線回収かもしれないなってこと。

毎日少しずつ覚えていったり
少しずつ運動していったり
少しずつ誰かに配慮していくことって
どこかで大きな意味に繋がることがあります。

まぁ、人生は映画ではないので
そううまく何でも先でハッピーエンドに
繋がっていくわけでもないのが(笑)

よほどラッキーでもなければ
勝手にハッピーエンドになることは
そうないのも人生なわけです。

少なくとも自分の周りにいる
大切だと思っている人には
敬意と配慮は心がけておきたいですね。

お金やメリットがあるうちはいいですが
逆にそれしかない相手とは
人はいつかは離れていくんだなと
思ったことが多いのが
私の人生と言う映画の脚本です。

ちなみに営業とか販売でもそうですよね。

良い提案をしてくれるなといった期待感や
かゆいところに手が届く配慮、
こまめに気遣ってくれる情報提供など

最後の決断の時に
伏線回収されるような展開ができてないと
価格勝負と言いやすい言い訳による
価格が高いから負けましたみたいな
結末が続いてしまうわけですから・・・。

小さなことの積み重ねを
疎かにしないように気をつけたいですね。

「祝婚歌」

「祝婚歌」 吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かであるほうがいい
立派すぎないほうがいい

立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで 疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そして  なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

先日、会話の中で出てきた
吉野弘さんの祝婚歌。
そう言えばそんな詩があったなと
久しぶりに読み返し見てみたら
改めて、とても素晴らしい内容でした。

夫婦はもちろんのこと
友人であれ、親子であれ、師弟であれ、
上司部下であれ、人間関係は全て
こういう形であれたら幸せですね。

そんなこと思った秋の日です。

「許す」ということ

「許す」ということについて
男女の考え方の違いを先日、知りました。

男性の「許す」ということは
コップにたまった水を全て捨てることに近く
女性の「許す」ということは
コップのフチを上げて容量を増やすことに近い。

過去にあった嫌な出来事を
男性はリセットしてゼロになったと思い、
女性は受け入れる皿を大きくしてやり過ごす。

聞いててちょっと笑ったのですが
これって男女に限らず
人間関係ではよくあることで、
特にイジメにこれと同じことが
起きてるんじゃないかなと思います。

イジメが公になったとき
話し合いや仲裁をして解決したと思っても
イジメた方は謝ったら全てが
リセットされると都合よく思いがち。

イジメられた方は1回謝られたくらいで
解決したなんて思うわけもありません。

我慢する容量を泣く泣く増やすことで
一旦、解決したような空気を
仲裁者に有無を言わさず抑え込まれ
黙らされただけって感じがしてると思います。

これって全然解決なんかしてないですよね。

傷つけてきた方は
コップの中の水が無くなったと思わず
前と同じだけ残り続けていることを
本当に理解して以後も接していないと
何にも変わらないし、

関係性にメリットが一つも残らなければ
目の前からみんな去ってしまうことを
覚悟しておかないと人間関係って
望むようなものにはならないと思います。

もし、何かの機会で
コップの水が溢れてしまった時は
どれだけ謝っても
どれだけニンジンをちらつかせても
もう二度と関係性は元には戻らない。

イジメのような関係性もですが
日常での男女の関係性がそういうことなら
誰にでもありえる話なので
この道理だけは肝に銘じておきたいですね。

自分以外全員女性(妻、娘2人)が
家族の私の場合は特に(笑)。

「道」

昨日のお話。
暦が10月になり
今年ももう3ヶ月だななんて思っていたら
アントニオ猪木さんの訃報が入ってきました。

ずっと入院されていて
体調もすぐれないことも知ってはいましたが、
実際亡くなられたと聞くと驚きました。

猪木さんは子どもの頃からのスターでした。
実際、拝見したことも何度もあります。

常識では考えられない視点や行動力。
圧倒的カリスマ性とスター性。
浮世離れした天然さ(笑)を含めても
目が離せない心のアイドルの一人でした。

今、振り返っても
引退式の時に語った「道」と言う詩。

元ネタは哲学者 清沢哲夫さんの詩
「此の道を行けば
どうなるのかと危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
ふみ出せばその一足が道となる
その一足が道である
わからなくても歩いて行け
行けば わかるよ」なのですが、
猪木さんの言葉「道」に
凄い元気と理屈抜きの勇気を
ずっともらっていたような気もします。

改めてご冥福をお祈りするともに
これからも猪木さんの素晴らしさは
せめて私は次の世代・・・
娘2人には伝えていこうと思います(笑)。

引退式の最後の言葉を改めて読みました。
本当、いい事言われてますね。
昨晩はそんなことを思いながら
献杯しておきました。

最後に引退式の言葉 転載させておきます。
猪木さん、ありがとうございました。

「最後に私から皆様に
メッセージを贈りたいと思います。

人は歩みをとめたときに
そして挑戦を諦めたときに
年老いて行くのだと思います。

この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり
その一足が道となる
迷わずいけよ
行けばわかるさ
ありがとう!」

縁の下の力持ちをちゃんと評価する。

世の中の大半の人って
いわゆる「縁の下の力持ち」な人、
例えば助演者や脇役、黒子、引き立て役を
何かと周りに求める割には
あんまりちゃんと評価しない気がします。

分かりにくい抽象的なものを求めるのに
分かりやすい数字とかでしか評価しない。

そんな傾向が強い組織が多く、
こういう組織って先で見誤るというか
結果的に続かない気がします。

縁の下の力持ちが
いなくなって気づくケースもあるでしょうが
いなくなっても気づかないこともあるので
なかなか難しいような気もしますが、
一番問題なのは気づけないままなケース。

問題は解決しないまま先送りされて
改善も変化もなく年月が過ぎてしまう。
頑張っても正当に評価されにくくなる。

結果、好き嫌いを超えて
えこひいき、特別扱いが蔓延し
一部の人以外は先が見えないので
辞めていってしまう・・・
次の世代が育たない問題に
繋がるのではないでしょうか?

組織も10人位になってくると
マスコット役になる人が必要。

摩擦や衝突を中和してくれたり
円滑な人間関係の潤滑油になってくれますが
だいたい仕事ができないとかと決めつけられ
辞めさせられるのが多いのも事実。

野球は4番バッターばかりでは勝てない。
映画も主役ばかりでは成立しない。
他人事で見たら分かっているのに
自分のことになったらわからない。

一番問題な気づけないままなケースですね。

今からの時代はこれまでの時代同様ですが
集団でする仕事ほど一層、
適材適所な視点って大事な気がします。

とすれば、縁の下の力持ちは誰か?
このことをしっかり気づいて
しっかり評価してくれる組織が
強いチームになると思いますね。

みんなトップが誰を何を評価しているのか
じっと見ているのも
強いチームの条件ですから・・・。

欠点と短所は違うもの

日本人は短所を直すものだと思いがち。
でも短所はそう簡単に直せるものでもない。
それならば短所を治すことより
長所を伸ばすことの方が成長する。

そんな話を以前聞いて
妙に納得したことがあります。

確かに物は良いようで
長所と短所は表裏一体、紙一重。

同じ性格なんだけど
「あの人は優柔不断」と言えば短所になるけど
「あの人は慎重なの」と言えばこれは長所。

「短所をどれだけ長所に変えれるか?」
そう思ったら長所を伸ばすって考え方は
腑に落ちる話なわけです。

でもそれが欠点となると話は別。
欠点と短所は大きく違います。

欠点は改めるべきこと…
「時間をきちんと守れない。」
「酒癖が悪い。」など

欠点は擁護も言い訳もできない感じしますが、
短所は十分ではない弱い部分って感じ。
そして短所は長所にひっくり返せるもの。

引っ込み思案や人見知り、
口数が少ない、心配性・・・・

これは全て、
冷静沈着だの
節度があるだの
相手の話をよく聞くだの
几帳面だの
いくらでも長所としても説明できますから。

なんでもなんでもネガティブに
マイナスイメージで受け入れるより
これは欠点なのか短所なのかを
自分でもきちんと把握して理解することが
何より大事だったりするわけです。

自分のいろんな性格を
長所として受け入れてくれる人は
一緒にいて楽しい人、心地いい人だし

短所として攻撃してくる人は
一緒にいて楽しくない人、不快な人。
マウント取ってくる人の必須条件(笑)。

逆になって考えたら
自分は相手からどう思ってもらいたいのか?

そう考えたらやっぱり
自分の欠点と短所を混乱せずに把握して
短所をどれだけ長所に変えられるか?
これってとても大事な考え方になるかと思います。

それはクロージング?

ここ数日、日中はまだまだ暑いですが、
朝晩は涼しくなりました。
夏が終わるのも寂しい気もしますが
早く秋が来て欲しいですね。

たまに今まで
当たり前のように使っていた言葉が
間違っていたというか
勘違いしていたと気づくときがあります。

営業活動の中で、
お客様と打合せを重ねていき
ご了承を得て契約の合意となった時、
契約書に記名押印して頂くことを
一般的にクロージングと呼んでいます。

26年前に就職し
ハウスメーカーに入社した時から
契約のご判断をして頂く場面を
何の疑問もなく教えられたまま
ずっとクロージングを呼んでいました。

でも、クロージングって言葉は、
「終わり」って言う意味。
売る方からしたら「終わり」に見えても
お客様からしたら「始まり」では?

それならクロージングって言葉は
本来、スターティングって呼んだ方がいい。

そんなことを和田裕美さんの本に
書いてあったのを読んだ時に
なんか「ハッ」としました。

今まで当たり前のように使ってた言葉に
疑問を持ち一瞬でいろんなことを思いました。

そうですよね。
お客様から見たら
契約して終わりじゃなくて、
契約してからが始まりですよね。

昔、家づくりのお手伝いをしていた時、
家を建てたら終わりじゃなくて
家を建ててから私たちとのお付き合いも
本格的に始まりですよねと
言っていたことを思い出しました。

そっか、
契約もしてもらってこそ始まりなら
契約してもらうことは
クロージングじゃなく
スターティングなんだよなと
改めて気づけた気がしました。

先月、50歳になりましたが、
まだまだ勉強中の毎日です。

人が仲良くなると書いて・・・

が仲 くなると書いて「」。

漢字や熟語の意味や成り立ちを見ると
いろんなことに気づいたりします。

仲が良いから一緒にご飯を食べようとするのか
一緒にご飯を食べるから仲良くなるのか
どっちが先かはさておき
確かに一緒に食べる人とは
仲は良いでしょうね。

嫌いな人と一緒に
ご飯食べるのは確かに苦痛。

説教が始めるのか、自慢が始まるか、
悪口が始まるのか・・・
確かに楽しくないのは確実です(笑)。

英語でも「会社」とか
「仲間」を意味するcompanyって単語は、
「共に」って意味のcom と
ラテン語で「パン」を意味する「panis」が
変形した「pany」を足してできてるらしく、
「食べ物を分け合って食べる」と言うことが
語源になっているのもうなずけます。

時代の流れやコロナの影響で
忘年会や呑み会といった飲食を共にする機会や
オンラインで業務が進み実際対面して
打合せする機会も少なくなってきましたが、

仕事終わりに呑みにいくとかいう形でなくとも
一緒にお菓子でも食べながら
コーヒーでも飲んで休憩するような機会は
意図して作っていくこと、
意図して残していくことは
気に留めておきたいですね。

時代や価値観が変わっても誰かがいないと
生きていけないのが人間だとも思うので。