伏線回収

20代の頃に見て面白かった映画
「ショーシャンクの空に」を
20数年ぶりに観ました。

最後に伏線回収される映画は大好きで
久しぶりにみて爽快な気持ちになりました。

映画を観終わった後にふと思ったのは
日頃の小さなことの積み重ねって
人生の伏線回収かもしれないなってこと。

毎日少しずつ覚えていったり
少しずつ運動していったり
少しずつ誰かに配慮していくことって
どこかで大きな意味に繋がることがあります。

まぁ、人生は映画ではないので
そううまく何でも先でハッピーエンドに
繋がっていくわけでもないのが(笑)

よほどラッキーでもなければ
勝手にハッピーエンドになることは
そうないのも人生なわけです。

少なくとも自分の周りにいる
大切だと思っている人には
敬意と配慮は心がけておきたいですね。

お金やメリットがあるうちはいいですが
逆にそれしかない相手とは
人はいつかは離れていくんだなと
思ったことが多いのが
私の人生と言う映画の脚本です。

ちなみに営業とか販売でもそうですよね。

良い提案をしてくれるなといった期待感や
かゆいところに手が届く配慮、
こまめに気遣ってくれる情報提供など

最後の決断の時に
伏線回収されるような展開ができてないと
価格勝負と言いやすい言い訳による
価格が高いから負けましたみたいな
結末が続いてしまうわけですから・・・。

小さなことの積み重ねを
疎かにしないように気をつけたいですね。

縁の下の力持ちをちゃんと評価する。

世の中の大半の人って
いわゆる「縁の下の力持ち」な人、
例えば助演者や脇役、黒子、引き立て役を
何かと周りに求める割には
あんまりちゃんと評価しない気がします。

分かりにくい抽象的なものを求めるのに
分かりやすい数字とかでしか評価しない。

そんな傾向が強い組織が多く、
こういう組織って先で見誤るというか
結果的に続かない気がします。

縁の下の力持ちが
いなくなって気づくケースもあるでしょうが
いなくなっても気づかないこともあるので
なかなか難しいような気もしますが、
一番問題なのは気づけないままなケース。

問題は解決しないまま先送りされて
改善も変化もなく年月が過ぎてしまう。
頑張っても正当に評価されにくくなる。

結果、好き嫌いを超えて
えこひいき、特別扱いが蔓延し
一部の人以外は先が見えないので
辞めていってしまう・・・
次の世代が育たない問題に
繋がるのではないでしょうか?

組織も10人位になってくると
マスコット役になる人が必要。

摩擦や衝突を中和してくれたり
円滑な人間関係の潤滑油になってくれますが
だいたい仕事ができないとかと決めつけられ
辞めさせられるのが多いのも事実。

野球は4番バッターばかりでは勝てない。
映画も主役ばかりでは成立しない。
他人事で見たら分かっているのに
自分のことになったらわからない。

一番問題な気づけないままなケースですね。

今からの時代はこれまでの時代同様ですが
集団でする仕事ほど一層、
適材適所な視点って大事な気がします。

とすれば、縁の下の力持ちは誰か?
このことをしっかり気づいて
しっかり評価してくれる組織が
強いチームになると思いますね。

みんなトップが誰を何を評価しているのか
じっと見ているのも
強いチームの条件ですから・・・。

欠点と短所は違うもの

日本人は短所を直すものだと思いがち。
でも短所はそう簡単に直せるものでもない。
それならば短所を治すことより
長所を伸ばすことの方が成長する。

そんな話を以前聞いて
妙に納得したことがあります。

確かに物は良いようで
長所と短所は表裏一体、紙一重。

同じ性格なんだけど
「あの人は優柔不断」と言えば短所になるけど
「あの人は慎重なの」と言えばこれは長所。

「短所をどれだけ長所に変えれるか?」
そう思ったら長所を伸ばすって考え方は
腑に落ちる話なわけです。

でもそれが欠点となると話は別。
欠点と短所は大きく違います。

欠点は改めるべきこと…
「時間をきちんと守れない。」
「酒癖が悪い。」など

欠点は擁護も言い訳もできない感じしますが、
短所は十分ではない弱い部分って感じ。
そして短所は長所にひっくり返せるもの。

引っ込み思案や人見知り、
口数が少ない、心配性・・・・

これは全て、
冷静沈着だの
節度があるだの
相手の話をよく聞くだの
几帳面だの
いくらでも長所としても説明できますから。

なんでもなんでもネガティブに
マイナスイメージで受け入れるより
これは欠点なのか短所なのかを
自分でもきちんと把握して理解することが
何より大事だったりするわけです。

自分のいろんな性格を
長所として受け入れてくれる人は
一緒にいて楽しい人、心地いい人だし

短所として攻撃してくる人は
一緒にいて楽しくない人、不快な人。
マウント取ってくる人の必須条件(笑)。

逆になって考えたら
自分は相手からどう思ってもらいたいのか?

そう考えたらやっぱり
自分の欠点と短所を混乱せずに把握して
短所をどれだけ長所に変えられるか?
これってとても大事な考え方になるかと思います。

それはクロージング?

ここ数日、日中はまだまだ暑いですが、
朝晩は涼しくなりました。
夏が終わるのも寂しい気もしますが
早く秋が来て欲しいですね。

たまに今まで
当たり前のように使っていた言葉が
間違っていたというか
勘違いしていたと気づくときがあります。

営業活動の中で、
お客様と打合せを重ねていき
ご了承を得て契約の合意となった時、
契約書に記名押印して頂くことを
一般的にクロージングと呼んでいます。

26年前に就職し
ハウスメーカーに入社した時から
契約のご判断をして頂く場面を
何の疑問もなく教えられたまま
ずっとクロージングを呼んでいました。

でも、クロージングって言葉は、
「終わり」って言う意味。
売る方からしたら「終わり」に見えても
お客様からしたら「始まり」では?

それならクロージングって言葉は
本来、スターティングって呼んだ方がいい。

そんなことを和田裕美さんの本に
書いてあったのを読んだ時に
なんか「ハッ」としました。

今まで当たり前のように使ってた言葉に
疑問を持ち一瞬でいろんなことを思いました。

そうですよね。
お客様から見たら
契約して終わりじゃなくて、
契約してからが始まりですよね。

昔、家づくりのお手伝いをしていた時、
家を建てたら終わりじゃなくて
家を建ててから私たちとのお付き合いも
本格的に始まりですよねと
言っていたことを思い出しました。

そっか、
契約もしてもらってこそ始まりなら
契約してもらうことは
クロージングじゃなく
スターティングなんだよなと
改めて気づけた気がしました。

先月、50歳になりましたが、
まだまだ勉強中の毎日です。

「問いが変われば答えが変わる。」

お盆休みの間、本棚の整理をしました。
時間があれば次々読んでいくのですが
お盆休みの間にも
20冊くらいまとめ買いをしたので(笑)
増えていくペースの方が早かったりします。

随分昔に買ったエッセイや雑学本を
整理していて久しぶりに
ひすいこたろうさんの本を見つけました。

結局、片づける時間より読む時間は増え
整理はさほどはかどらずじまい。
まぁ、よくあることなんですが、
久々に読んだら面白いエピソードが
たくさん書いてありました。

「問いが変われば答えが変わる」もその一つ。

とある調味料メーカーが売上が下がったので
どうやったら売上があがるのか?
そんな会議をしてたら
とある女性の意見が採用され
売上があがったようです。

そんな彼女の意見は
「出てくる穴を2倍にしてみる。」

要は他の人はみんな
どうやったら売上があがるか?を考える中、
彼女だけ問いが違っていたんです。

「どうやったら早く買ってもらえるか?」

使っている人の消費ペースが早まったので
購入するペースが早くなり
売上があがっていったという話。

感じ方は人それぞれでしょうが、
私はものすごい感心してしまいました。

だれもが考えそうなことをやってみても
結果が大きく変わらないとすれば
そもそもの「問い」を変えてみたら
「結果(答え)」が大きく変わる。

これっていろんな悩みにおいての
大きなヒントになる気がします。

似たような話で
余命3ヶ月と言われたガン患者の中で
奇跡的に治った人には共通点があった模様。

ほとんどの人は余命3ヶ月と言われたら
「どうやって治すのか?」を考えるそうですが
奇跡的に治った人達は
「残された3か月をどうやって生きるか?
どう充実させるか?」を
考えられた人だったそうです。

医学的にも科学的にも
根拠はないのかもしれませんが
これも「問いが変われば答えが変わる」の
一例のような気がしました。

いざと言う時にこんな感じで
自問自答できることって
人生を楽しむヒントのような気がします。

先週、50歳になりました。
FBやメール、LINE、インスタなどで
多くの方から祝ってもらえました。
ありがとうございます。

素晴らしき50代になるように
いろんな問いを自分自身に尋ねてみて
自分なりの答えを発見していこうと思います。

50代も皆様宜しくお願いします。

学校は勉強をしにいくところではない?

学校は勉強をしにいくところではない。
周りの人と競って負けることで
自分の得意なことや
自分の才能を見つめるためにいく。

こんな言葉を聞いたとき
なるほどと腑に落ちたのであります。

他人との当たり障りのない付き合い方や
波風立てずに過ごす処世術など
いろんなこともあるのでしょうが
自分にとって得意なことは何か?
気づくことができるのも
学生時代に一番チャンスあります。

何でも好き勝手にしてよくなると
やりたいこととか好きなことしか
接することがなくなりますが、

興味なくても
いろんなスポーツをやってみたり、
やったことのない実験してみたり、
弾いたことない楽器に触れてみたり、

そんな経験の中で
新しい気づきや
楽しいと思えることに出逢えるわけで。

勉強はあんまりできないけれど
マラソンだったらみんなより速いとか
クラスで一番絵が上手とか
自信が持てる何かに出逢えるかもしれない。

工作で入賞したことがきっかけで
将来、ものづくりの世界に進んで
一生の仕事になるかもしれない。

そう思ったら
学校は勉強をしにいくところでない・・・
言い換えたら勉強だけをするところではない。

自分にとって得意なことや才能が何か?を
見つけるために行っている。

向いていないと思ってたことが
実際やってみたら実は自分に向いていると
気づけることが多いのも世の常。

そう思ったらいろんな経験ができる
素晴らしい機会だと再認識できますね。

「今、学生時代に戻れたらもっと勉強する」
よくこういった謎の言い訳をするのも
おっさん特有の発言なのですが(笑)、

今なら私は
「今、学生時代に戻れたら
もっといろんなことをやってみる。」
そんな風に考えるような気がします。

丁寧さが仇になる。

「丁寧さが仇となる。」

かといって無礼でいい訳ではありませんし、
馴れ馴れしさがいい訳でも
タメ口がいい訳でもありません。

商売には敬意や配慮、丁寧さは必要です。

でも、お客様と話すとき
特に初対面の人と話すとき
丁寧すぎるとうまくいかないことは
多々あると思っています。

例えば、真面目で一生懸命、
誠心誠意対応してるのに
あまり成果のでない営業マン。

傍で見てて何でだろう?と思う反面、
なんか売れない理由もわからなくない。

そんな時によく
「あれ?丁寧さが仇になってる?」って
思う時があるのです。


数ある会社の商品の中から
自分の商品を選んでもらおうとしたとき
比較される以上は言葉は悪いですが
「勝てるリング」で勝負しないと
なかなか結果は出せられないのが現実。

結果が残せる営業マンって
自分が勝てるリングがどこか気づいてるし、
いかにしてそのリングにあげることを
なにより重視しているところはあります。

そして何より困るのがそもそも
お客様がリングにあがってくれないこと。
そんなケースは始まりすらしない訳です。

丁寧であるばかりに
リングにあがってもらえないケースが
結構あるのでは?と問うてみたい。

例えばお電話をかけた際に
「〇〇様、お忙しいところすみません。」
と丁寧に言ってませんか?

「お世話になります。」と
最初に言っていませんか?

もちろん礼儀ですし、言った方がいいです。

でも、真面目な人ほど こう言うと
襟を正して営業に来ました、
満を持して売り込みにきました感がして
言われた方はまずは身構えてしまいます。

「この人は売り込みに来たんだ」と警戒し
拒絶する準備を整える機会を
わざわざ与えてしまってないでしょうか?

売り込み臭をプンプンさせて
売り込みにきたので断って下さいと
暗にメッセージしてないでしょうか?

丁寧であるばかり、
リングに上がらせることに
まず失敗しているケースは多くないですか?

見た目、いいかげんそうな営業マンなのに
やたら進捗が上手な人っています。
そんな人いたらやっかみ半分で
「アイツは口が上手いから」とか
「アイツは人たらしだから」とか言って
成果に蓋をして過程を非難しがちですが、

おそらくこの人はこの人なりに考えて
どうやったらまず自分の話を
聞いてもらえる場が作れるのか、
自分のリングにあがってもらえるのかを
身に着けているからだと思います。

この場合、見習う事はあっても
非難することなんか全然ないわけです。

大事なのは自分なりの方法を
ちゃんと見つけて身に着けてますか?って話。

「どうしたらいいのか教えてください。」
真面目な人ほどそう聞いてこられますが
これは自分で気づいて
見つけるしかないと思っています。

20代の男性と
30代の女性ならやり方は多分違います。
新人とベテランでも違うでしょう。
一概にこうやったらいいって
ひとつの方法ではないわけです。

自分のキャラクターや得意技、
使える武器や背景、環境などで
大きく変わるのならやっぱり
自分なりの方法を見つけるしかありません。

丁寧さは基本、大きな武器になります。
でも伝え方次第では大きなハンデになります。

そこを否定せず受け入れて考え直すことが
自分が大きく変わる秘訣だと思うわけです。
(真面目な人は石頭なので
変化することにブレーキ踏みがち。
そこから否定しない覚悟も必要ですが)

私が営業マンならまずは
こんな風に伝えていくかもしれません。

(お忙しいところすみませんとか言わず)
「自分なりの営業スタイルを
勝てる商談ステップを作っていきたい方いれば
そんなお手伝いもしていますので
いかがでしょうか?
お困りの方いたら私にお声がけ下さい。」

こんな感じですかね(笑)。

区切りをつけることの大切さ

歳を重ねてきたからか
世の中の流れを見てからか
最近、区切りをつけることの大切さを
しみじみ思うことがあります。

時間の流れはずっと繋がってはいますが
やっぱりところどころに節目はあります。

子どもの頃は小学校、中学校、高校・・・と
こちらから気にせずとも節目がありますが、
大人になって結婚し子どもが生まれ
家を建てたりしたら子どものこと以外は
もう節目がなくなってきます。

でも時間の流れは
区切りをつけていかないと
やりたいことも
やらないといけないことも
なんとなくなし崩し的になり
曖昧になってしまうことが多いと思うのです。

物事が達成できる人、
成果がきちんと出せる人、
要は人生楽しく生きてる人って
こういった節目をきちんと作り
いろんなことの〆切を明確しています。

「区切る」と言う言葉は
「けじめ」という風に言い換えたほうが
ニュアンスは伝わるかもしれません。

コロナなどの時代の流れもあり
特に冠婚葬祭は華やかにしなくなりました。

結婚式や披露宴はしないことも多く
葬式も家族葬でされることも増えました。

もちろん形式はどんな形でもいいと思います。

でも披露宴などしなくても
せめて2人だけでいいレストランに行ったり
近場でも新婚旅行に行ったりして
ここから結婚しますと区切りがつけられる
そんな機会は手を抜かずにやったほうが
その先の人生は覚悟が決まるように思います。

〆切を決めるということは
区切りをつけるということ。

区切りをつけると言うことは
けじめをつけるということ。

けじめをつけるということは
覚悟を決めるということ。

昔、住宅営業をしてたとき
結果的に家を買うことができた
お客さんに共通してたのは、

お金をたくさん持っていたわけでも
収入が高かったわけでも
土地を持ってたわけでもなく
「買う」と覚悟を決めた人でした。

生きていく中では
他にもいろんなことでそう思いました。

とすればやっぱり有意義な毎日を送るには
覚悟することは大事で
そのためにはまず人生に、時間の流れに、
きちんと「区切り」をつけることが
大切なんだと思うのであります。

誕生日でも記念日でも我が家は
家族でお祝いすると決めています。

それが本当によかったかどうかは
先にならないと実感することは
できないかもしれませんが
悔いは残らないだろうなとは思っています。

最初に誰の話を聞いて始めるかが大事

以前、石嶺和彦という野球選手がいました。
阪急、オリックスを経て最後は阪神に在籍。
現在は沖縄にて社会人野球チームの
監督として活躍されています。

好き嫌いはあるでしょうが、
学ぶべきことが多いので
落合博満さん関連の本を読むことが多い私。

落合監督時代に打撃コーチをされていたので
石嶺さんの話が掲載されていたのですが
読んでいてなるほどなって
感心した話があったのでご紹介。

現在はアマチュアの若い選手に
日々指導されている石嶺氏。

時代も変わる中での始動では
現在っぽい悩みというか思いもあるようで
こんな話をされていました。

『若い選手を指導するのは面白いですよ。
今、youtubeでいろんな映像が
見られるじゃないですか。
若い選手に情報が入りすぎているんです。

ああいう映像はたいがい難しいボールを
難しく打っている打ち方が出ているんですよ。
うまいこと打ったなぁ、のほうが
絵になるじゃないですか。
選手はそれがスタンダードな打ち方だと思うから
練習で急に変な打ち方をし始めたりする。
昨日と打ち方が違うなと思ったら、
誰かのまねをしている。

試しでやるのはいいんですよ。
ただ、スター選手がそこにたどり着くには
やってきた過程があるのに、
そこを無視してサラッとできると思っている。

「何百万円しかもらってないんだから、
いきなり何億円の選手をまねるより、
5000~6000万円の選手の映像を見なさい、
と言ったら、そのくらいの選手の映像は
あまりyoutubeにないんだね。
だから、まずは1回、言うことを聞きなさい。
その過程を説明するから」と。

「お前らよりオレのほうがうまいんだから、
打つことに関しては1回聞きなさい」とね(笑)。』

なるほどな~って思いました。

手軽にしかも無料で
情報が手に入れられる時代になり
とても便利になりましたが、
発信側が善意な人ばかりでないのも事実。

都合よく発信側の考えに洗脳していく…
そんな意向が強いのも
結局は、商売の延長ならば仕方ない話。

とは言え妙に納得させられるのも
向こうの方が一枚も二枚も上なわけで
そうなればある程度の自己防衛は
やっておかないといけないわけです。

石嶺さんの話じゃないけれど
最初に具体的に検討する前に
ニュートラルな考え方を教えてくれる人に
出逢えるかどうかが大事なのでしょうね。

でもこれって昔から変わらない大事な話。

偏った意見ばかりで凝り固まる前に
表も裏も最初にきちんと教えてくれる人に
出逢えるかどうかがポイントだとすれば
結局は「信用」できる人に出逢えるか否かが
何事も大事なことに気づきます。

「これまでにこんな実績を出された」
といった事実に基づいて、
人は相手を「信用」するのですが、

決断するかどうかは
過去の実績は関係なくて、
叶えてくれそうな期待感に基づく
「信頼」で判断するのが事実。
(だから口先の詐欺師に
騙される人がでてくるわけです。)

でも「信頼」させようとする人の話の方が
聞いてて面白いし魅力的だから困ったもの。

その人に「信用」できる背景が
あればいいですが、よくよく聞いてたら
そうでもないこともしばしば。
だから結果、軸や根拠がなくて迷ってしまう。

情報が簡単に手に入れられる現在だからこそ
もしかしたら今まで以上に
一番最初こそ「信用」できる人の話を
聞くべきなのかもしれません。

そしてその「信用」できる人は
スマホやPC画面の中に登場してくる人より
自分の周りに実在している
自分が「信用」している人からの
情報かもしれませんね。

ちなみにそれを昔から
私たちは「クチコミ」と言っています。

ネットでもお客様の声が重宝されます。
誰もが「クチコミ」を参考にしますが
その「クチコミ」を言っている人が誰なのか
発信者が曖昧だと胡散臭いのも事実。

具体的に誰からとわかれば
その情報を信用できますが、
匿名だったり、知らない人からだったり
そもそも存在してるかもわからない声なら
そこには偏った意見に細工されてることも
多いと思わざるをえなかったりします。

その辺りに気づけるためにも
最初はニュートラルな考え方を
知ることが大事だと思うわけです。

ただ「信用」できる人からスタートして
頭の中を整理してからの
「情報」や「作戦」「考え方」においては
ネットの活用がいいのは
言うまでもありませんので
誤解なくよろしくお願いします(笑)。

※今回は「証言 落合博満」より
内容を抜粋させて頂いています。

「人間の本性は常に変わらない」

先日、神戸市民博物館に
大英博物館のミイラ展を観に行きました。

(そう言えば2年前位にも
ライデン国立古代博物館古代エジプト展に行き
ミイラを観に行きました。
ミイラ好きなんかな・・・(笑)。)

ミイラもですが銅像や壺などもあり
古代の時代背景や生活が分かる
なかなか興味深い内容ではありました。

ミイラは作るときには
心臓や胃、肝臓などを取りだし壺に入れ
ミイラの周りに配置します。

大きな耳かきみたい専用の器具を使い
鼻から入れて脳を掻きだすといった流れもあり、
痛そうで思わず身構えてしまいます(笑)。

古代の生活様式を眺めて感じたことは
数千年経ち時代は変わっても
人間の本性や生活はほとんど
変わっていないんだろうなってことでした。

古代エジプト時代でも
人は化粧をし装飾品をつけて
お洒落には気をつけていた模様。

楽しい時は楽器を弾き
歌を唄い、ダンスを楽しんでいるし、
パンやビールやワインを作り
呑んだり食べたりしていました。

亡くなった原因は、
ガンや循環器系の疾患が多く
多くの人が歯周病や虫歯に
悩まされていたようです。

現代の生活と大きく変わりはありません。

そんな生活だけが一緒で、
他が全く違うとは考えにくく
おそらく大きな視野で見たら
今ともほとんど変わりはないのでしょうね。

ここ数年、我々を囲む時代や環境も
大きく変化しています。

新しい考え方を利用したい人は
自分が優位な立場に立つためにも
古くからの考え方を否定することは多々あれど

人間の本性は大きく変わってはいないのが
現実なんだと思います。

ただ本質は変わらないけど
周りの背景や枝葉は変わった。

昔なら情報は本や新聞などが
仕入れるルートでしたが、
今はネット、SNS、youtubeが主流。
方法や手段は変わりました。

昔は、専門家や
実際それをやっている人達からの
発信がほとんどでしたが、
今は誰でも発信できる時代。

容易く数多くの情報が
無料で得られる便利な時代になったけど
選択肢が多くなったばかりに
逆に決められなくなった時代。

でも、誰もが正しい知識や
情報を得たいと願っているのは
今も昔も変わらない話。

とすれば改めて、
変えていいことと
変えてはいけないことは
自分で決めておかないと
決断できなくなり、

うまくいけばいいけど
うまくいかないときに
誰かのせいにして生きるようになる。

そんな人生を自ら選んでしまいます。

例えば、セールスの世界なら
レスギブリンさんが書かれていましたが、

人は大切に思われたい、
敬意を持って扱われたい、
無視されたくない欲求を持っている。

どうせ買うなら気に入った相手から買いたい。

お客様を第一とするのなら
売ろうという姿勢で接するのではなく、
助けて差し上げようという姿勢で接する。

こういったことはいつの時代も
大切なんだと気づくわけです。

何前年も昔にミイラにされた人達が
もし今を見れたとしたら
どんなことを思うのでしょうか?

便利になった近代の私たちの生活を見て
「結局、何も本性は変わってないな。」と
家族や仲間とビールやワインを呑みながら
歌って踊っているのかもしれませんね。

虫歯や歯周病に悩みながら(笑)。