「なぜ、貴方は私で買わないといけないのか?」

販売業に携わってくると
いつも一定の周期で競合先との戦いが
価格勝負にしかならない時期があります。

素晴らしい商品やサービスができて、
最初は高い価値、特徴として
市場に受けいられていたものが
いつの日かその品質が当たり前になります。

商品の違いや差が分かりにくくなり、
同じようなモノの比較にしか
思えなくなった先では
価格でしか違いを比べれなくなる時期が
定期的に来るのが世の中です。

「コモディティ化」と言われる現象。

こういうと売り手や作り手側で
「同じじゃない。違いはある。」と
力説されて反論される方が多いのですが、
ここまで情報化の社会になっても
買い手側にはわかりにくいのは昔と変わらず。

現在の流れを見ても
手作業の仕事や各々の人間がしてきた仕事が
コンピュータや機械でできるようになると
結局、どこの会社の商品も
同じような品質レベルになっていく。

結果、品質で競争できなくなったために
価格勝負にならざるをえない・・・
といった話を聞いても
世の中はある周期で動いているんだなって
思わざるを得ません。

と言うことはいつの時代も
それが人であれ、商品であれ、価格であれ
何でもいいのですが、

「なぜ、貴方は私で買わないといけないのか?」

その理由をいつの時代も相手に
伝えられないといけないことに気づくのです。

その理由を
「付加価値」と言い換える人もいますし、
「感動体験」と言い変える人もいますし、
それが「価格」であってもいいわけです。

とある営業マンの方はその理由を
「私以上にあなたを
幸せにできる人はいないから」と言って
ずっと結果を出されている方がいます。

私は、その言葉そのものよりも
そう言い切られるその営業マンの
「覚悟」に感心してます。

時代が流れていく中で
そんな姿を時代遅れを笑ってる人がいましたが、
その人は昔も今も結果は出し続けられています。

ちなみにその笑っている人は
「品質」を武器に成果を出されている方でした。

でもそれって各々、
得意なことや武器が違うだけで
いかにして相手に自分で買わないといけない理由を
自分の有利で得意な形で言えるかだとすれば
やり方や目に見える部分だけで
あんまり判断しないほうがいいなって思いますね。

自分の長所って
自分の武器って
自分の得意技って何ですか?

いつの時代も自問自答することを大切したいです。

「できない」のではなく「しないでいること」を選択している。

以前に読んでいたスーザンフォワード氏の本を
読み直していたらこんな話が載っていました。

「自分にはできない」と思っているのは、
実際には「できない」のではなく、
「しないでいること」を選択しているのである。

これって昔、自分がよく言っていた
言葉に似ていることにふと気づきました。

以前、住宅営業をしている時の話。
なんだかんだ言っても「家」は
人生においては最も高価な買い物。

(最も高額な買い物は家でなく、
住宅ローンですといった説得トークで
ツッコまれても今日はスルー(笑)。)

色々と今建てるメリットを聞かされ
説得や交渉されたとしても
購入を決めることはなかなか勇気がいるもの。

そもそも人間は決断することは嫌で
理由をつけて先に延ばしがちなのも事実。

周りの人間や営業マンが
購入を無理強いするものでもなければ、
買わないことを非難するのはもってのほか。

決断するかはお客さんの意思であるべきです。

なので私は強引な営業活動を
することなかったですが
迷われている人にはいつもこう言ってました。

「いつ決断されても、どこで建てられても
全然いいのですが一つだけお願いがあります。

今、買うと決められてもいいですし、
今、買わないと決められてもOKです。

でも、今買うか買わないかを決めない事を
決めるのだけは止めてください。」

これって先のフォワードさんの言葉に
意味がとても似ている気がしました。

白黒はっきり決めるじゃないですが
中途半端でグレーなままで止めると
先で本当の決断しないといけない時に
決断できなくなる。

要は、クサいものに蓋をして
問題を先送りにしだして
決めるタイミングも勇気もなくなって
買えなくなった人をいっぱい見てきたので
それだけはしないでとお願いしてきました。

要は今、建ててもOK 。
今、建てなくてもOK。
勿論、私以外のどこの会社で建ててもOK。

でも私は、いつでもどんな形でも
住まいは作った方がいいと思っていたので
住宅を販売してきたこともあり、
それならば先で家を買えなくなる人、
決断できなくなる人にはなってほしくないと
思っていたのでそう伝えていましたね。

だから何事も「できない」って思うより
「今はしないことを選んだ」って思えた方が
次の可能性が残っているように思います。

もし、住宅営業しているのなら
今、建てるってことを選ばれたら
後は私ならできることがこれですと
きちんとお伝えすればいい。

先で建てるってことを選ばれたら
その間はただボーとしているのではなく
こんなことをしておいてくださいって
課題や目安をお伝えして
然るべき時期が来た時に
私がお手伝いしてもいいのなら
お声がけくださいってお伝えすればいい。

「検討します」って言葉は
言うのは簡単で使いがちですけど
それが決断しないまま停止するだけなら
営業マンは絶対してはいけないと思います。

自分の為にも何よりお客さんの為にも。

そんな昔、思っていたことを思いだしたので
今回は色々書いてみました。

「素敵な靴は貴方を素敵な場所で連れていってくれる」

この言葉はフランスの諺なのですが、
お洒落に疎い私にも何か胸に響きました(笑)。

著名なデザイナーがもちろん多いのですが
靴に関する言葉って結構あります。

靴って好きな人はとことんこだわるけど
興味ない人はとことん無頓着。

消耗品であるが故か
鞄や財布に比べたら敬遠しがち。

綺麗に維持するのは手入れも大変だからこそ
靴ってその人の考えが
反映されるのかもしれません。

イタリアの諺には
「靴はその人の人格を表す」
なんてものもありますし、

日本の諺にも靴ではないですが
「足元を見る」なんて言葉で
足元をその人の立場と見るくらいですから
無意識に考えや価値観が出るのでしょうね。

日々いろんなことがあると
まずは気持ちが前向きにならない限り
新しい何かにチャレンジしたり、
行きたい場所や新しい場所へ
行こうとしないのかもしれませんが、

行きたい場所や新しい場所へ
まずは行ってみたからこそ
気持ちが前向きになるような気もします。

ブログもですが文章って
考えてから書こうとすると書けませんが、
書き始めたら考えがまとまって書けるのに
とても似ている気がします。

とすれば、いろいろ悩みもあるし
いろいろ不安もあるけれど
先に素敵な靴さえ買ってしまえば
結果的に素敵な場所へ行けるのなら

先行投資の如く、
素敵な靴を買うことで
人生楽しく生きれることがあると
知っている人たちが
高額でも素敵な靴を買うのかな?と
ふと思った春の一日です。

好きなことより得意なことを大事にしてみる考え方

例えば、仕事を選ぶとき
好きなことで選ぶのがいいか、
得意なことで選ぶのがいいか。

人それぞれ基準は違うでしょうし
どっちが正しいかって話でもないですが、
私は得意な方で選んだ方がいいと思っています。

それがお金なのか、名誉なのかはさておき
望ましい結果は得意な分野の方がでやすい。

好きなことやれたら結果はどうでもいい。

そう言う人もいるでしょうが、
お金はそれなりにもらえた方がいいですし、
周りからも自分自身からも
認めて欲しいのが本音だとすれば、
いい結果は出たほうが越したことはない。

ご飯も食べていかなきゃいけないし、
子どもがいれば学校にも行かさないといけない。
たまには旅行にも行きたいし、
今月は何かと物入りなんだよな・・・。

得意なことで結果を出してから
やりたいことやるお金を貯めて、
やりたいことやるチャンスに出逢って
それで挑戦出来たら好きなことも
存分に味わえるような気もします。

世の中には親の財産受け継いで
苦労なく若いうちから勝負できる軍資金を
持っている人もいますけど
そんな人は ごく少数とすれば、

まずは自分の得意なことで
周りからも自分自身でも認めてやってから
チャレンジするしか
好きなことを好きなだけできないわけです。

以前、何かで読んだのですが
好きなこととと得意なことをあわせたものが
やりたいことなんだって話がありました。
グサッと胸に刺さって今も残っています。

記憶違いだったらすみませんけど
こんな話もありました。

やりたい音楽をやりたいけど
日本ではおそらく受け入れられないから
存分にやることができない。
それなら売れる曲?を作って結果出して
周りにも存在を認めさせ、
やりたいことやるお金もチャンスも
手にしてから自分のやりたいことをやろう。

そうしていい曲が書けると言う得意なことで
ヒット曲を書き結果を出して
やりたいことやる体制を整えて
海外での活動を始めて今に至る
久保田利伸さんの話は
まさにこれって感じがしました。

私も自分自身で
得意なことってなんだろう?
好きなことってなんだろう?
そしてやりたいことって何だろう?って
考えた時になんか自分なりの生きていく道が
ぼんやりながらも見えたような気がしたのが
35歳の頃だったような気がします。

遅かったのかもしれませんが(苦笑)。

でもそう思えた時に全ての分野で
自分ができなければいけないのではなく
各々が得意な分野を自覚して発揮したとき
チームは活性するのかなと気づけました。

今年50歳になります。
本当に一線でやれるのは後10年としたら
遠回りしながらも自分で気づけたことを
色んな人に伝えられることができたら
私自身もやりたいことが
できるような気がします。

リーダーとしての一貫性

みなさん、
ボスとリーダーの違いってご存じですか?

似たような意味で使われがちですけど
立ち位置が全然違っています。

親分子分の図で説明したら
子分達に守られて後に立っているのがボスで
子分達を従え先頭に立っているのがリーダー。

ボスは「やれ」って言うけど
リーダーは「やろう」って言う。

どっちがいいか悪いかの議論でなく
親分はどっちのタイプなのかは
自覚してくれた方が子分は助かりますよね。


(これぞ、リーダーってイメージ)

矢面に立ってくれるリーダーの方が
後ろに隠れがちなボスよりも
チームは機能しやすいでしょうし
子分もついていきやすいでしょうが、
その分、権限は与えてくれるのなら
ボスであっても問題ないわけです。

ただ困るのは時と場合によって
ボスとリーダーのキャラを使い分ける親分。
これは本当に面倒くさい。
子分はどうしていいかわからなくなります。

失敗の責任を押し付けるボスであっても
終始一貫そのキャラであれば
どうやっていいかはこっちも判断できます。

ええ格好したいときなのでしょうか、
陰では責任を押し付けてくるのに
人前では失敗を率先して処理してくれるような
理解あるリーダー的にふるまわれると
これが本当にタチが悪い(苦笑)。

なので、どっちがいいかの議論より
方向性や意思については
一貫性のある親分であってほしいのが本音。

一貫性があるかないかで
自分の親分のタイプは
ボスなのかリーダーなのか
わかるのかもしれません。

(ルーズベルト大統領の言葉を借りれば
いつも何をしてるかわからない、
仕事が隠れている親分はボスタイプで、
何をしているかすぐわかるといった、
仕事内容がオープンな親分はリーダータイプ。
これは判断しやすい目安です)

「一貫性」と言う言葉を
「頑固」や「変化しないこと」の意味と
ごっちゃにしてしまうと見誤るので
注意が必要だとも併せて思います。

成熟した組織であれば
ボスはアリだと思いますが、
まだ成長段階の組織であるのなら
親分はリーダーでなければいけない。

「いつまでも社長がやってたら
部下が成長しない」と言われがちですが
リーダーがまず成功体験をさせてやらねば
部下が成長するわけはありません。

成長していく過程では
ボスとしてではなく
リーダーとしての一貫性の有無が
組織の発展には大事なんだと
改めて気づいたのでありました。

逢いたい人には逢っておこう

コロナで生活が変わってから
そろそろ丸2年が経とうとしています。

マスクなんて当たり前になりましたが
2年以上前にこんな状況なんて
誰も想像もできないわけで。

価値観はゆっくり変化はすることなく
変わるときは劇的に変わるものなので
そんなものかもしれません。

(うまく行かない人、変われない人は、
どれほどヒントを伝えても全くそれを行わず
それまでのうまく行かなかった方法を
延々と繰り返していることがほとんど。
今までとは真逆のことをやってみた人だけが
大きく変われるんですけど
こればっかりは聞ける人と聞けない人が
大きく分かれるのに
価値観の話も似ている気がします。
生まれ変わるには劇的な変化が必要って。)

そう思ったら今更ながら
ネットに始まりスマホやSNSなど
子どもの頃にはなかった価値観というか
新しい道具で生活は激変しています。

情報にあふれ便利になった世の中。
気軽に他人と触れ合えるようになったけど
かえって孤独感が増しているのも事実らしい。

確かにそれまでなら知ることもなかった
他人のプライベートや世界を見て
自分と比較することで
寂しくなる人が増えた模様は否めない。

確かにSNSなどは
苦労したことや辛い事でなく
他人の楽しそうなことしか
目に入ってきませんから(笑)。

他人の楽して金儲けした話を聞いたり、
他人の楽しく派手に暮らす様子を見たりと
幸せそうなところしか知ることもなく
結局は比べて寂しくなってしまうと聞いて
上手に使わないとマイナスしかない気がします。

ただ、とあるデータによると
実際に面と向かって人と出会い、
コミュニケーションを取った人の方が
幸せな気持ちになることが高いと知りました。

なかなか逢えない人とも交流できるし、
気軽に連絡を取りあえる便利さも
ネットやSNSにはありますが
実際に逢う事以上に満足はできないのも事実。

特にコロナ自粛と言った状況が
一層、拍車をかけて逢う機会を無くし
SNSなどでとりあえずの交流はできるけど
やっぱり逢いたい人や
逢わないといけない人とは
出来る限り逢ったほうが人生楽しそうなわけで・…

お金はかかるし、
時間は無いし、
煩わしくてお手軽だから
SNS等で接することも否定しませんが、
それだけじゃないほうがいいのは
みなさん納得してくれると思います。

緊急事態宣言や まん防で
なかなか機会がなくなり
タイミングも難しいのですが
それでも合間をみて
たとえ30分でも逢いたい人には
逢おうと心がけています。

まぁ逢いたくない人は
逢わなくてもよくなり
これはこれでいいのかもしれませんが(苦笑)。

便利に生きるのもいいことですけど
満足度を上げることは
優先順位を間違えない事だとすれば、
私は逢いたい人とリアルに逢うことを
コミュニケーションでは
一番に考えたいと思って生きています。

オリジナリティーとは、誰にでもできそうだけど誰も真似できないモノ。

何事もまずは基本が大事。
基本を反復練習することで
動作がスムーズにできるようになります。

ハンデやネックがない方が当然有利。
一通りできるようになると
次は自分なりの個性、オリジナリティーを
発揮していきたいと思うのが一般的な流れ。

でもなかなかオリジナリティーを
発揮するって大変なこと。

そんな時に様々ミュージシャンの裏話を聞くと
実はハンデやネックは個性を産むには
必要なのかもしれないって思うのです。

ビートルズのドラマー、リンゴスターは
もともと左利きですが、ドラムは右利き用。
逆手なので叩き方に独特の「間」ができて
唯一無二のスタイルとなったようです。

好きなギタリストにウィルコジョンソン
という人がいます。
とてもカッコいいカッティングで弾くのですが
一般的にピックを使って弾かず指で弾きます。

これも元々左利きなのに右利きのギターでは
ピックを上手く掴めないからこうなった模様。
でも、それで誰にも真似できないスタイルが
築き上げられました。

昨夏亡くなられた
ローリングストーンズのドラマー
チャリーワッツもスネア叩くときには
ハイハットを叩かないといった
ある意味マイナス点になる手癖があるも
逆にそれが大きな個性へと変換。

しかも通常バンド演奏はドラムに合わせて
演奏するものなのに
ストーンズはキースのギターに合わせて
ドラムが叩かれるといった特殊演奏(笑)。

でもそれがオリジナリティー、武器となり
60年近く第一線で活躍されました。

こうしてこの面々は
誰にでもできそうだけど
誰にも真似できないモノを
作り上げられたわけです。

こうやってみてみると
最後に目指す自分らしさというか
やりたいこと、大切にしたいことは
順風満帆より少々何かがあったほうが
個性を作るのは大事な気がします。

一見、遠回りにしか思えなかった経験も
先で大きなヒントや答になるかもしれない。

とすれば成功していく過程には
様々な経験は決して無駄じゃないし、
逆のその経験を大きく活かしていけるように

自分の進んできた道は肯定して、
併せて、他人の進んできた道も否定せずに
ハンデやネックも肥やしにしていきたいです。

「足し算」ではなく「かけ算」

学生時代、テストの順位は
合計点で判断されていたこともあり
評価って足し算(+)でされる感じがしますが、
大人になってみると結構、かけ算(×)で
評価されてるなって気づきます。

英語90点、数学85点、国語90点、
理科80点、社会85点で合計430点で
順位は100人中10番!みたいに
評価されるのが子どもの頃としたら

大人の社会では例えば、
商品を比較してどこで買うか決める時、
10点満点として品質9点、デザイン9点、
実績8点、将来性8点、価格8点で
合計点34点として比較するのではなく、

これに好き(+)か嫌い(ー)をかけて
41,472点か0点のいずれかで
最終的に判断するとしたら一気に逆転、
「評価はかけ算」の恐ろしさを思い知ります。
(他決されるということは、
大人の商売の世界では0点なわけです。
厳しい話ですが、ここを誤魔化したら
やっぱりいけないと思います。)

レスギブリンさんが書かれた本、
「セールスの本質」に書いてあったのですが、

個人も会社も「どうせ買うなら
気に入った相手から買いたい」と思い、

特に競合先があなたと同じものを
同等か同等以下の値段で
売ろうとしているときに重要な要素となります。

売ってる商品が新しく斬新なもののうちは
商品力だけで逃げ切れますが、
どこも同じようなものを売りだしたときは
好き嫌いの要素が大きくなります。

自分が売ってる商品の価格が
比較して高めのときはなおさらのことですね。

善し悪し論で「良い」からと言って
好き嫌い論で「好き」だとは限りません。

凄いことは認める。良いことは認める。
でもだからといって
買ってもらえるとは限らないわけです。

いいものさえ作ったら
買ってもらえるわけではないから
商売は難しいとしても…

どうやったら相手に好かれるのか?は
お客様の立場で考えたら
いっぱいヒントがあるわけですから

自分が評価されるときに
自分のマイナス点は何か自覚して、
個人でも会社でもきちんと対応しておくことは
これからの時代、大事かもしれませんね。

上位3分の1を目指す考え方

弁護士 山口真由さんのお話を読んで
なるほどな~って思ったお話。

山口さんが東大を首席卒業されたと聞いたら
「東大で一番、頭がよかったんだ。」と
私たちは思ってしまいがちですが、
実際は意味合いが違うようです。

もちろん優秀なことには違いはありません。

ただ私たちが受け取るニュアンスは
入試をトップ合格したといったような
点数が一番高かった感じだったりしますが
首席卒業とはそういった判断ではないそうです。

大学の成績は一般的に
「優」「良」「可」「不可」といった
4段階で評価されます。

「可」以上であれば単位がとれます。
そして目安としては
全体の上位3分の1以上であれば
「優」がもらえるのが仕組み。

とすれば、あくまで大学の成績は
順番が何番だったかってわけでもなく
「単位」が取れているかどうかや
「優」の数がいくらかで判断されるもの。

どの教科も3分の1以上であれば「優」となり
おそらくすべての成績が3分の1以上なら
結果的に首席合格となるのです。
1位でなければいけない必要はありません。

入試も1位になることが目的ではなく
合格することが目的なわけで、
首席合格もどれだけ全体の3分の1以上かで
判断するかなので似ていますね。

とすれば少し苦手なことがあったとしても
3分の1以上になればいいという考え方なら
日々の生活にも参考になる話です。

例えば、営業成績でもなんでも
1番になるというのは難しく、
1番で居続けるのは至難の業。

でも、毎月成績を
全体の3分の1以上を維持することで
周囲からずっと評価されるとすれば
働き方も考え方も
いろんな方法があるのではないでしょうか?

弱みを強みに変えることは難しく
なかなか結果に結びつかないもの。

それならば強みを一層、伸ばして
全体の3分の1以上を目指す考え方って
なりたい自分になれる近道かもしれませんね。

「自分の負けを認めること」

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

年が明けて読んでた本に載っていた話。

40数年前、「エースをねらえ!」
という漫画がありました。

今となってはもう時代にそぐわない
表現になるスポ根漫画のはしりで、
テニス選手の成長を描いた物語。

少女漫画だったこともあり、
今まで読んだことはなかったのですが
その中でなんとも印象的な
名言があったのでご紹介します。

ケガで本領を発揮できなった相手側陣営から
再戦を迫られた「お蝶夫人」こと
竜崎麗香さんはこう言って切り捨てました。

「みんな、ベストの状態で
試合をできることなんてないのよ。
それでもその状態でベストを尽くすものなのよ。
自分がベストな状態ではなかったと
言い訳する人、そういう人達には
テニスに対する敬意と集中力がないのよ。

審判の判定が不利だと不服を言い、
やれ暑い、やれ寒いと天候さえ
自分に不利であるかのように語って、
自分の負けを認めないのよ。

対戦相手の勝利を讃えることが
できないような人には勝負をする資格はない。」

「・・・・・・・・・・。」

部外者の私ですら
ぐうの音もでませんでした(笑)。

人間って勝手なものです。

うまくいったら全部、自分の手柄。
うまくいったのは自分がよかったから。

でもうまくいかなかったのは…
相手に断られたのは…
他社に契約をとられた理由は・・・

景気が悪いから、
商品が悪いから、
会社が悪いから、
社長が悪いから、
〇〇さんが協力してくれなかったから、
向こうの方が安かったから・・・・

うまくいかないことは
いつも誰かや何かのせいにして
自分は悪くないと言い訳し続けて
反省もしないし、相手を尊重もしない。

そして自分には落ち度がないと言い張り
臭いものに蓋をして
自分の負けを認めないことが多々あります。

だからと言って誰かを
攻撃していいわけはありませんし、
他人を陥れてもいけないです。

でも、できなかったときは
どうしてできなかったか見つめ直し
自分自身に問い続けることを放棄しては
結局は成長も何もないわけです。

うまくいかなかったときに
自分の負けを認めること。

自分にとっても周りにとっても
おれはとても大事なことだと思います。

2022年の今年は
自分の負けを認めることを
目標にしていきたいと思います。

今年もよろしくお願いします。