話が面白い人

令和になって1年経ちました。

令和になった時に1年後、
世の中がこんな急ブレーキがかかり、
大幅な軌道修正が要求されるとは
夢にも思っていませんでした。

慌てず焦らず、こんなときだからこそ
しっかり地に足をつけて
一歩一歩進んでいきたいと思います。

今日のテーマは、
「センスは知識量」ってお話。

才能があって簡単にやっていそうな人も
裏ではかなり勉強して知識を増やし、
たくさんの経験を経て失敗もします。

例えば、イチロー選手なんか
ずば抜けた野球センスがあるから
天才的なバットコントロールができ、
守備範囲も広いって思ってしまいますが、
youtubeをみても本当、
知識と経験に基づいた勉強家で
もの凄い練習量を積まれているのがわかります。

ちなみに私は常々、
話が面白い人は「知識の引き出し数」が
多いことが第一だと思っています。
これも意味は似ていますよね・・・。

一般的には
会話の「間」がいい人や
頭の回転が速く切り返しが上手い人などが
センスある人って思われがちです。

他にも、話し声の音量が、
そのタイミング、シチュエーションで
もっとも適切な音量で話せたり、

返事する瞬間に頭の中で浮かんだ
いくつかの言葉の中から
一番適切な表現を一瞬で選べることなどの
技術的なこともセンスですけど、
(大喜利なんかまさにこうですよね)
やっぱり「知識量」がある人が
会話が面白い人の前提と思います。

テレビでもyoutubeでも見てたら
専門家が話す面白い番組って、
話しているお話の「知識量」と「経験」が
本当に際立ってます。

もちろん話し方や表現方法が上手いから
面白い人もいるのですが、
だからといって話す内容が薄っぺらかったら
ずっと話を聞きたいとも思わないわけです。

誰しも自分のセンスを磨きたいと思うわけで
それにはやっぱり勉強と実践は大事ですね。

センスがないから俺には無理、
センスがないから頑張っても無駄って
本当、言い訳にならない。
それは勉強不足なだけだから。

と言っても、いくら知識量や
情報量が多かったとしても
やたらと言葉が上から目線で
まるで神様になったのかのような話し方では
一定数以上の人からは避けられてしまいます。

これって本当もったいないですよね?

結果、独りよがりになって、
いずれは信者しか残らなくなります。
こういった人ほどもっとたくさんの人に
いろんなことを伝えてほしいですから。

会話が面白い人というか
言葉にしてみんなに伝えていく人は
話したり、教えたりすることのセンスの中に
「謙虚」って言葉も「知識量」の次に
必要なんだろうなと思いつつ、
まだまだ未熟な私はまずは
知識量を増やしていくことにします(笑)。

道を聞かれる人になりなさい。

先日、ネットで見たお話。

その人は、おばあちゃんに
「道を聞かれるような人になりなさい。」
と言われたそうです。

「なぜ?」と思い、聞いてみたら
おばあちゃんはこんな話をされたそう。

「道に迷った人が道を聞いてくるということは
とても話しかけやすい、
声をかけやすい佇まいであるということ。

といって声をかけやすいと言っても
頼りなかったら聞いてはこない。

この人なら知っているだろう、
ちゃんと教えてくれるだろう。
そんなしっかりとした、頼りがいがないと
わざわざ声は、かけてはこない。

そんな風に親しみやすいけど、
それでいてしっかりしていると
思われるような人になりなさい。」
と言われたようです。

「なるほどな~。」と、とても感心しました。

観光地で「写真を撮ってもらえますか?」と
声をかけられたり、
近所の子どもに気軽に「おっちゃん!」と
声をかけられたりすることも似てますね。

そんな親しみやすいけれど
頼りがいのあるしっかりした大人。
そんな人間になりたいなと
ふと思った今日この頃です。

ちなみに40歳過ぎてから
家の横の側溝の草引き、掃除をしていたら
通りすがりのおばあちゃん(80代位)に
「ボク、ええことしとるな。」と
誉められたことがありました(笑)。

これは一体、
何を物語っているのでしょうか?
謎です・・・・・。

「マニュアル」の重要性

コロナ騒動は、
まだまだ収まりそうもありません。
先日、9時台の新幹線に乗りましたが、
乗った車両に乗客は私だけ(!)。

もちろん新神戸、新大阪からは
乗ってこられましたが、
4分の1も埋まってませんでした。
この時間帯は70%くらいの乗客が
いつも乗られています。

新幹線が止まったりしないか
心配になってきました。

マスク、うがい、手洗い・・・
(手洗いは1日10回以上してます。)
そして、免疫力を下げない様に
早寝して体力温存、体力充電して、
毎日を過ごすように気をつけています。

仕事であれスポーツであれ
なんでもチームでやっていることって
議論して訂正したほうがいいことや
やり方を改善したほうがいいことが
たくさんあったりします。

当事者目線でなく第三者的目線で
詳しく話を聞いていくと
改善、解決することは
結構、簡単にできるのでは?と
思うことが多くありますが、
なかなかスムーズにいかないことも多数。

頑なに「できない」っと
言われてしまうことも多いです。

傍目に見て
「そんな難しいことではないのに?」と
思いますが、なかなかできない。

「なんでだろう?」と思っていますが
最近、スムーズにいかないことって
理由が同じだなって思うようになりました。

その理由は2つあります。

1つは「リーダーが
こうでなければいけない。」って
思いこまれていること。

もちろん、理念やミッションを
そんなに簡単に変えてはいけないとは
思っていますが、
どうやってやるかの手段や方法に
こだわることもないように思います。

昔はどうだったかもしれないけど
やり方は時代で変わって当然。
「何」を変えてはいけないけど
「どう」は変えたほうがいいですから。

何百年続いた和菓子の老舗ですら
実は砂糖の量を変えたりして
時代に対応しているのですから
やり方に執着して
成果が出にくくなっているのなら
変えてみる勇気次第な気がします。

そして2つ目。
これが結構面倒くさい問題(笑)。

それは「チームの誰かが
自分の立ち位置を守るためか
その人でなければできないように
情報や作業を独占化して流れの一部を
ブラックボックス化していること。」

自分の立ち位置を守りたい気持ちが
変な形で出ている結果?

本来、業務や作業は
誰でもできるように標準化していかないと
問題点、改善点すらわからず
どんどん滞ってきます。

何よりそうしていかないと
その人が退職、休養になったとき
とたんに困ります。

そして、自分でなければ
仕事ができないようにする人に限って、
業務外や休日などに起きる
緊急な電話とかにも出ない人や
対応すらしない人が何故か多いので
本当に困ったものです(苦笑)。

きちんと休日を楽しんだり
業務外はゆっくりしたい人こそ
情報ややり方をオープンにして
誰にでもできる業務にしないといけないのに、
していない人が多いのが現実。

後から言ってみても仕方ないですから
最初から「誰かだけしかできないような
ブラックボックスを作らない。」ことを
チームのルールにして
最初に伝えていないといけません。

それをあらかじめ文言や図で形付けたものが
「マニュアル」というのなら
やっぱり大事だと言わざるをえません。

マニュアル化を否定的に言う人もいます。
対人対応においては特にその傾向が強い。

と言っても、事前に言葉やルールにすら
できていないような大事なことを
個人の力量まかせにするのも危険ですし、
そもそも何に基づいて改善したらいいのか
根拠が何かわからないので
できるはずもないのではないでしょうか?

リーダーには柔軟性を持ってもらいたい
思いもありますが、
まずはマニュアルを作って、
ブラックボックスを無くすことが先決。

いつも個人の感情次第で
トラブルが起きてめんどくさいので
マニュアル作りに取り組めたらなと思います。

もちろん我が家にも
マニュアルらしきものがある為か
とても平和な毎日です。

私が家にいるときは、
朝御飯とお弁当を作り、
洗濯をして、ゴミ出しをして、
掃除もして、子どもたちの宿題も見て、
晩御飯も作って、お風呂を貯めて、
子ども寝かしつけて、洗濯物をたたんで、
夜は力尽きるまで家事するだけで
我が家は毎日、平和です・・・・・・・・・。

ご参考にしてください(笑)。

「どう伝えるか」を作り上げていく

新年あけましておめでとうございます。

年末年始の休みは、ほとんど家族と言うか
ほとんど娘達と一緒に過ごしていました。
この春には長女は小6、次女は小4になります。
本当、あっちゅーまに大きくなります。

とは言え、父親として娘と
べったり一緒にいれるのももう少しです。
その貴重な時間を噛みしめるように
この休みも一緒にいました。
あと数年間になった父と娘の時間を
もうちょっと満喫していきたいと思ってます。

さて、2020年も無事スタートしました。
年男になるこの1年も
毎日充実して過ごせるように
気合いを入れて初詣にも行きました。
おみくじは・・・・・・・でしたが。

仕事も始まり、メール確認等する中で
そんな時にネットである言葉を見て
改めて大切なことを再認識できたので
今年最初の記事にしたいと思います。

常日頃、仕事する中で
相手に何かを伝えるときは
「何を言うかでなくどう言うか」が大事と
いつもお話しさせて頂いています。

もちろん「何」の内容も大事なのですが、
「どう」言うかをきちんと考えていないと
伝えたいことの真意があまり伝わらなく、
変な意味で伝わることも多々あります。

伝え方って本当に大事。
例えば、言ってることは
いい事いってるんだけど
どうも聞く耳持てないなって感じる人は
そのほとんどが上から目線で
上手投げで、偉そうに言う人が多いです。

教師であれ、コーチであれ、コンサルであれ、
先生商売している人の半分以上が
この手のタイプって感じ。

ただ不思議なもので、
高圧的に言われたほうが
その相手に従ってしまう人が多いのも事実。

偉そうに能書きを言う人の言うことほど
信じてしまう人が世の中の半分はいますから
そういったスタンスで商売している人が
多いのも仕方ないとはいえ、
やっぱりそういった人の言うことって
正論であればあるほど、
私は拒絶してしまいます。

そんな高圧的な記事をネットで読んで
ゲップが出かかったすぐ後に(笑)、
実際の小学校の先生なのかな?
ある方の記事を見ました。

それはこんな記事でした。

『~小学生への注意の仕方の指導~

「言ってる内容は正しいけれど
   言い方はよくないよ」

この指導
1年間で100回以上します。

正しいと思っていることを
相手に指摘するとき
人はとても強い言い方になるのです。

妙に納得して、ストンと腹の中に落ちました。


人に注意するとき、説教するとき
それが正論であればあるほど
高圧的になりがちです。

高圧的に言われた方がいい人も
中にはいるかもしれませんが、

伝える相手が成熟した大人であればあるほど
そしてその意見が正論であればあるほど
穏やかに丁寧な言葉で伝えられる人に
私はなりたいなと思いました。

これまでたくさんの人にお会いしてきました。

例えば、営業マンを例にすれば、
成果を出せる人も
成果を出せない人も
「何」を言うかは結構 同じだったりします。

ただ「どう」言うかが
成果を出せる人と出せない人は
全然違うことに気づきます。

今年もいろんな人が成果を出せるように
「どう」言うかの型づくりを考える。

それぞれのキャラにあった言葉や
言い方、話し方を見つけていきつつ、
大切なことは同じことだから
それをきちんと伝えられるように・・・
そんなお手伝いをしていきます!

今年も何卒よろしくお願いします。

俯瞰してみることが大事

11月入っても暖かったですが、
急激に寒くなってきました。
今年は、夏から一気に冬になり
秋がなかったような感じですね。

家の紅葉が季節がわからなくなって
赤くなる前にこっそり
散り始めそうになっています(笑)。
(我が家は家を建てたときに
お祝いでもらった紅葉を
シンボルツリーに植えています。)

さて、今年はライブに行って音楽の秋、
ラクビーを観に行ってスポーツの秋、
移動中は本を読んで読書の秋を満喫しました。

そんな秋満喫の最後は
先日、時間がなく見損ねたので、
仕事の合間にゴッホ展に行ってきました。
芸術の秋ですね。

過去、何点かは観たことありますが、
こんなにゴッホの作品を
観たことがなかったので、
とても有意義な時間でした。

最初に思った率直な感想は、
こんなに惜しげもなく絵の具を使うんだ、
素人の絵とは全然違うな!といった
本当アホみたいな感想でした(笑)。

でも、実際観た絵の厚み?は
とても写真では伝わらない迫力がありました。

その中で2点気に入った絵がありましたので、
帰りにその絵のポストカードを買ったのですが、
当たり前とは言え、
ポストカードの絵はとても薄っぺらく
実際の絵の良さが100分の1も
伝わらないことが逆に衝撃的でした。

その1枚は、「秋の夕暮れ」という絵。
これがメッチャ綺麗な絵で、
思わずうっとり見惚れてしまいした。

でも、ポストカードでは全然、
実物の絵が伝えたいことが伝わらないです。
是非、実物を観て体感してほしいです。
(ちなみに神戸で1月からゴッホ展あります。
関西の方はぜひ、神戸で!)

もう一枚は「サン=レミの療養院の庭」

この絵が凄いのは、至近距離で観たら
何を描いてあるかなんて全く分からないのに
少しづつ離れながら観ていると
急に絵がフォーカスされて一瞬で
絵が浮かび上がってくることです。

普通に実物を観たら
もちろんどんな絵かは分かります。
でも10cmとか20cmくらいの距離で
観たら本当にわからなくなるのです。

そんなことはないだろう?と
思われるかもしれませんが、
実際、普通に絵を見ているときに
全体像がそんなに分からなくなるなんて
あんまりないように思います。

ゴッホのその絵は観ていたら
浮かび上がるような感覚が
とても印象深く残りました。

でもこれってなんか日常と似てますよね。
会社の問題点だったり、
お客さんとの進捗状況だったり、
大切な誰かとの人間関係だったり・・・

あまりにも視野が狭くて
目の前のことしか見えなくて、
どうしていいかわからなくなってしまう。
ちょっと離れたところから全体を見たら
いろんなことに気づけるのに
そういったことはしない。

至近距離で観たら何の絵かはわからなくても
少し離れて観たらどんな絵かわかる。

そんなこと思ったら
日々の生活といった日常の場面でも
素晴らしい絵を見るといった非日常の場面でも
基本となる考え方は、
似ているんだなと感心しました。

組織の中で役職や立ち位置が変わると
見えている景色は少しずつ上になっていき、
一番高いところから全体を見ているのが
社長であり、リーダーになります。

もちろん、位置が変わる毎に
責任や義務は重くなりますが、
権利や意思は得られるように思います。
もちろん、お金もですね。

でも、組織において、上に上がっていき
権利やお金はもらいたいけど
責任や義務は背負いたくない。
そんな人が多い組織こそが、
本当に大変ですね。

役職や肩書を与えることって
権利やお金も増えるけど
責任や義務も増えること。
その同意を最初にとることがポイント。

でないと、組織がうまく運営されないし、
何よりその部下の人たちが可哀そうです。

しんどい仕事はなんでも部下にふってきて
手柄だけはとられるなんて、
たまったもんじゃありませんから。

とは言え、全体が見まわせて、
その良さに気づけること。

人生を楽しむためには、
どんなことでもこれが
まずは大事なのかもしれません。

そんなこと思いながら観たゴッホの絵でした。

さて、次は何を観に行くか?
オススメあったら教えてください!

ポジションの重要性

今朝、旗当番だったので
旗を持って交差点に立っていたのですが、
短パンで行くとかなり寒かったです。

暖かい日が続いていましたが、
そう言えばもう11月なんですよね。
油断しないようにします(笑)。

昨晩あったボクシングの試合。
WBSSバンタム級トーナメント決勝戦。
テレビ観戦していましたが、
熱くなりながら観ていました(笑)。
(高校時代の友人は、
観戦に行ってたようです。羨ましい。)

相手のドネア選手が強豪とは言え、
心のどこかで早いラウンドで井上選手が
KO勝ちするかもと思っていましたが、
とんでもない。
フルラウンドの激戦でした。

若さと勢いに勝る井上選手と
年齢的にも不利?ながらも
キャリアに勝るドネア選手。
素人の私でも凄さを感じる試合でした。

もちろん技術的なことを語れるわけもなく、
専門的な知識もないので
評論家のようなことは何も言えませんが、
観てて、敗戦しましたが
ドネア選手のポジションの取り方に
とても凄いなと思いました。

昔、たぶんターザン山本氏が
「格闘技には格が存在する。
なのでリングでは格が上の選手が中央に立ち、
格が下の選手がそのまわりを
ぐるぐる回って試合が運ばれる。」
といったことを言われてました。

(これは、格さん・・・)

確かにコーナーやロープに追い詰められた時
逃げ場を失って勝敗が決まることが多いです。
ということは中央に立っている方は
相手を追いつめて攻撃もできるし、
ピンチになればどっちでも逃げられるので
圧倒的有利な試合運びができます。

逆転のカウンターもありますから
一概に言い切るのは難しいとしても
有利に試合運びができることには
間違いありません。

もしこれが正しいとすれば、
いかに試合時間の大半を
リングの中央に立っていられるかが
勝率の高い、強い選手だと思うのです。

昨日の試合では追い込まれて
ピンチに立ってもドネア選手は
切り返してリングの中央のポジションを
常に取り返していたように見えました。

例え、追い込まれても
常に好ポジションをとる試合運び。
5階級制覇されるのも納得ですね。

駆け引きが上手いその老獪さは
まるでリック・フレアーのようでした(笑)。
(わかる人だけ笑ってください。)

でもこれって人間関係やビジネスでも同じ。
強い人、結果を出す人は圧倒的に
好ポジションを最初から奪うことが上手。

有利な立ち位置から交渉を進めたほうが
勝率が高いことを知っているから
勝負はいつも最初に決めている気がします。

例えは悪いですが、
車同士の交通事故を起こしたとき、
事実はどっちが悪いかはさておいても
最初に「どこ見て運転しているんや!」と
大声で怒鳴って、さも悪かったのは向こうだと
言い切ってしまったほうが
有利になることが多いのも仕組みは同じ。

有利なポジションをとったほうが
交渉事はうまく運べることを
悪用してるわけです。

私の知り合いで交渉の時に
いつも強引に向こうのペースに持っていき、
向こうの都合がいいように運ぶ人がいました。

その人はしゃべりもうまいし、
人心掌握術にも優れているのですが、
何はさておき交渉時には
いつも相手を一人(少人数)にして
自分は大人数で最初に向かい、
自分の意見を多くの仲間に同意させてから
相手に話してくるのが常でした。

こうなったらもう最初の時点で
勝敗の9割以上は決まっていますよね。

その不利な状況をひっくり返せば
それこそ英雄ですが、
そんなに毎回上手くはいかないので、
やっぱり最初に有利な立ち位置に立つ、
ポジションの重要さを
大事にしたほうがいいわけです。

昨日のボクシングの試合も
もっと単純に楽しんだ方がいいのでしょうが、
性格上いつもいろんなことを
深読みする癖があるので、
いろんなこと思いながら観てました(笑)。

風邪気味で体調がイマイチなんで
お酒でなく、炭酸水を飲みながら・・・・

あっ!
風邪気味やのに今朝、短パンで
旗当番に立つことがアカンのや!
自ら不利なポジションに
立っていることを気づかない
私の風邪は今以上に
ひどくならないでしょうか?

そんなことは今、思う時点で
私はポジションの重要性を
全く理解してないですね(笑)。

未熟な自分を恥じて
早く体調を戻すことを優先します。

自分なりのモノサシを作る。

先日の沖縄 首里城の火災。
驚きました。
3年前に家族で首里城、観に行きましたが、
とても綺麗なお城でした。
沖縄の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

私の住む街には姫路城があります。
なんだかんだ言っても地元の象徴です。
今までそんなこと思ったこともないですが、
もし突然無くなったら寂しく
心に穴が開いたような気になります。

かける言葉もうまく見つかりません。
様々な障害や条件もあるのでしょうが、
1日も早い復興、再建ができたらと
心から願っています。

先日は午前中の空き時間を利用して
正倉院展に行ってきました。
近くでやっているゴッホ展と悩みましたが、
期間が1か月ちょっとしかないことや
ゴッホ展は来年、神戸でもやるので
今回は、正倉院展にしました。

平日なのに70分待ちでしたが、
見ごたえのある内容。
琵琶がとても綺麗でした。

美術館、博物館好きの奥さんの影響で
機会があれば観に行くようになりました。

正直、観ても価値が
分かるわけではないですが(笑)、
本物を見てみる機会を大切にして、
何か感じるものがあればと思っています。

昔、永六輔さんが言ってたお話。
「ある事柄について、
一番良いモノと一番ダメなモノを知っていれば、
その中間が来た時に、それがどのあたりの
レベルのものなのかを判断できるようになる。」

なので、一番良いとされているモノ。
古くから愛されているモノ。
受け継がれているモノ。
そういったモノを見てみることで
自分なりのモノサシを作れるように
心がけています。

ムンクやフェルメール、ゴッホ、ピカソ、
シャガールなどの絵も見たことあります。

何がいいのかはわかりませんでした。
でも、何故この絵は世界中の人から
愛され認められているのか・・・
それを自分なりに感じて観ています。

そういえばプロ野球の歴史を築いた一人、
裏業師の異名をとる故、根本陸夫さんも
同じようなことを言われてました。

根本氏は日本中にシンパがいて
日本中から選手の情報を得ていました。
その情報の原点はリトルリーグの試合を
眺めているおじさんだったりしたそうです。

何十年もリトルリーグの試合を観戦していたら
新しく入ってくる子どもたちの中に
あれ?っと思うような子どもを見かけます。

今まで見たことないような子が
あのチームにいるといった情報は
人を通じて根本シンパの人の耳に届き、
根本氏へその情報が届いていたそうです。

そこで目に留まった選手を見守り続け
大きくなった時にドラフトの候補として
指名するといったエピソード。

この話も何十人、何百人とみてきたから
今まで見たことないような選手に
出逢った時、気づけるこの感覚。


(当時まだ1軍で1本もホームラン
打ったことのなかった柳田選手を上げた
元 中日 井端選手。この見る目、凄い!
映像は5:30~)

人生で後悔しないコツは、
決定は自分の意思ですること。
他人の意思で決めたことは
うまく行かなかったら他人のせいにするから。

そう思ったら良いモノに
触れておく機会は大事にしたいですね。
博物館や美術館の入館料は
1,700円くらいですし・・・(笑)。

言ったもん勝ち!

梅雨明けしていい天気が続くと思ったら
台風がかすめて過ぎ去って行きました。

本日午前中はPTA行事でプールでした。
子どもたちは大喜びも
付き添いのお父さんらはバテバテ。
とはいえ楽しい幸せな時間でした。

今日は、土用の丑の日。
鰻を食べて暑さを乗り切ろう!って話。
我が家は娘たちがピアノで
一緒に夕飯を食べれないこともあり、
昨晩に1日早い土用の丑でした。

鰻なんてめったに食べませんが、
実は奥さんの大好物なこともあり、
奮発したのでありました。

とは言え、土用の丑の日に鰻を食べる習慣。
有名な通説では、
こってりしてて夏場に売れないことを嘆く
鰻屋さんが平賀源内に相談したところ
「丑の日だから″う”のつくものを
食べると縁起がよい」と語呂合わせて、
暑い夏を乗り切るには最適!と言い
「本日 土用の丑の日」と看板を揚げさせたら
何だ何だ?とお店を訪れ大繁盛。
それを見た他の鰻屋も真似をしたといった話。

そもそも鰻は秋から冬が旬の食べ物。
こじつけにも程がありますが(笑)、
こうやって売り上げをあげていくのは
ビジネスの原点。

セールスポイント
キャッチコピー
今の時代にも通じるお話です。

と言ってもこの手の話は、
「言ったもん勝ち」の世界ですよね(笑)。

でも、先に言い切ったから
ポジションを獲得して売り上げを伸ばした
成功例の話って多い事を思ったら
笑い話ではなく、耳を傾ける話だと思います。

地元のお店とかでもありませんか?
誰が言ったわけでもないけど
和菓子屋さんの店主が勝手に、
この店は〇〇饅頭が名物です!とか言ったら、
いつの日かその〇〇饅頭が
その店に名物になっていたり、

地元の居酒屋さんが、
この店は餃子が大人気です!とか言い続けたら
餃子が名物になっていたりする話。

ぶっちゃけ、本日のオススメ!とかいう
メニューもお店が勝手に言ってたりするわけで
これもベースは「言ったもん勝ち」の話。

「自分からそんなこと言えない。」
「誰かが言ってくれたから、
名物って名乗れるのであって
そんな勝手に言うのは恥ずかしい。」

そんな真面目なこと言ってる人ほど
商売で苦戦してて、
「そんなことなんでもいい。売れたら勝ち!」
なんて言ってる一見、適当な人のほうが
商売を軌道に乗せていることが多いのも事実。

売れない人、結果残せない人ほど
恰好つけて自分のスタイルに固執しがち。
売れるようになるまでは売れてる店や
売れている人のマネをすることが
実は成長の最短距離だったりします。

これが天然でできる人って
本当、商売人だなっていつも感心します。

「言ったもん勝ちよな~。」と
昔、思っていたエピソード。

住宅業界で家を売っていたときのこと。
どんなハウスメーカーでも
どんな工務店でもどんな大工さんでも
家を建て替える事もあれば、平屋も建てるし、
2世帯住宅も3階建ても建てています。

でも、ある会社は
2世帯住宅なら〇〇(会社名)
ある会社は、建替えなら〇〇(会社名)って
自ら勝手に名乗り出しただけで、

それを検討しているお客さんは
まずは行ってみようと足を運ばれていた事実が
多くあったことを思っても自ら
名乗ってみることって大事だと思うわけです。

これらのことを不真面目とは言いませんが、
真面目な人ほど言えない罠というか
深く考えない人のほうが世の中をうまく
渡っていることが多いのは
こんな背景なんでしょうね?

そう思ったらまずは、自分の売りは何?
自分の武器は何?って考えてみて
それが何なのか分かったら
その次は照れることなく自ら名乗ってみる!

それをセールポイントにする、
それをキャッチコピーにして伝える。
「言ったもん勝ち」の世界ですが、
それでポジションをとることができたら
成功の階段の一段目に登るわけです。

平賀源内ってスゲー!って
改めて思いました。

「400戦無敗」と自ら名乗った
ヒクソン・グレイシーの
セルフプロデュース力にも
改めてスゲー!と感心しました(笑)。

まさに「言ったもん勝ち」!!!

「縁」とは必然な偶然を言います。

平成も今日を入れて残り3日となりました。
あっというまの30年でした。
平成になったとき私は高校生でした。
おっさんになるはずです・・・・。

昨日から10連休もスタートしました。
遊びに行く人も、ゆっくりする人も
仕事の人も様々な方がいます。
どんな形であれケガなく病気なく
穏やかな「令和」を迎えたいものです。

今年でPTA活動始めて4年目になりました。
毎年GW初日の4月最終土曜日は
総会と懇親会があります。
今年は昨日でした。

懇親会は先生方や役員さんはもちろん、
地元の自治会長さんも揃われて
結構おおがかりな会合です。
今回は司会という大役をさせてもらいました。

こういった機会は
多くの方々との出会いがありますね。
中には再会も?

今年から来られた教頭先生は
10数年前に甥っ子の担任の先生。

懇親会前に送迎バスを待ってたら
従兄弟に出会いました。

新しい役員さんが娘の保育園時代の
お友達のお母さんだったり、
聞いたお話なら今年から来られた先生が
前職時代に家を建てさせてもらった方の
お子さんだったり、
今、お世話になっている先生が
いらっしゃったりと
いろんな関係があります。

以前ではPTAの集まりで
予備校時代の友人にあったり、
当時のお客様に出会ったり、
中学校時代通ってた塾の先生が
教頭先生になられていてお逢いしたりと
本当、多くの縁があることに
ビックリします。

なにかと賛否あるPTA活動ですが、
やるからには楽しんでやりたいし、
何より我が子の学校生活がいいものに
してあげたいと思っています。
(自分がするとは全く
思っていませんでしたが・・・・(笑)。)

以前、読んだ本に
「大人になり新しい土地で
生活をしていく中では
自治会などの活動もですが、
子どものPTA活動と子ども会の活動を
通して、その地元の人間になっていける。」
といったことが書いてありました。

本当にそうだなと最近、実感しています。

そうでもないとなかなか知り合うこともなく、
こうした活動をすることで
生活しているこの場所で多くの知り合いができ
それが今の生活にとても影響を受けています。

その中にある「ご縁」を
大事にしていくことが
やがて自分の人生を大事にしていくことに
繋がるような気がします。

10数年前に
自分で勝手に作った言葉があります。

「縁とは必然な偶然を言います。
あなたさまと逢えたこと感謝します。」

「縁」を大事にして
今まで生きてきました。
令和の時代も「縁」を大事にしていきます。

どれだけ頑張っても
一人でできることなんて
たかが知れていますから、
多くの方に助けられていることに感謝して
平成の時代を個人的に終えたいと思います(笑)。

ありがとう、平成。
よろしく、令和。

「風姿花伝」

ショーケンこと萩原健一さんが
亡くなられましたね。
数年前から闘病されてたようで驚きました。

華と色気のあるカッコいい方でした。
尖った感じは無くなりませんでしたが、
いい意味で枯れてきた感じも
とてもカッコよかったです。
残念ですがご冥福を心よりお祈りします。

ショーケンのニュースを聞いたとき
先日、読んだ本の内容がよぎりました。

その本のタイトルは「風姿花伝」
能で有名な世阿弥が書いた本です。
芸能論と言う名の人生論が書かれていて、
ハッとすることが多くてとても面白い。

普段、古典を読むこともないのですが、
一気に読んでしまいました。

世阿弥は7つの時期に分けて
その時代において大事なことを書いています。

その7つの時期とは
「7歳」「12~3歳」「17~8歳」
「24~5歳」「34~5歳」
「44~5歳」最後に「50有余歳」

「7歳」といえば今で言う小1の頃は、
ともかく叱らず、基礎をみっちりやって
しかも子どもが勝手自在にやるのをいつも
「ああ、上手上手、それでいいよ。」とでも
褒めて教えることを言われています。

褒めて教えるのが上達の近道であって、
叱って教えるのは効果が薄い。
そんなことを書かれていました。

「12~3歳」の頃は、
表面的人気に応えて華やかな芸を舞台で
披露しつつも、稽古は稽古で
ひたすら基礎の技術を大切に練習すること、
若い頃にどれだけ基礎的な訓練をしたか、
それが人の一生を左右する。

「17~8歳」の頃は、
能を演じる際、変声期をどう乗り越えるか
じっと耐えて、諦めず練習することが大事。
ただそれは根性論で解決できるのではない。

「24~5歳」の頃は、
実力以上に評価されがちで
慢心の虫に取り付かれやすく、
10年早いことをこれ見よがしにやりだす。
ただ心底立派な心がけを持った人であれば、
修練というものはすればするほど
また一層に己の欠点未熟に思いが至り、
更に一段の修練を積む。
それが一生の芸能の分かれ道。

「34~5歳」の頃は、
この頃までに「真実の花」
つまりは芸を極めた者は、
40歳以降になって力が衰えたとしても
別の味わいが出てくるので
衰えたようには見られないが、
真実の花を会得していない二流の者は、
この力の衰えが如実に芸にでてしまい、
急速に見どころが無くなっていく。
その衰えを補って余りある深い芸は
若いうちに勇猛努力して
仕込んでおかなくては取り返しがつかない。

「44~5歳」の頃は、
大切なことは良い助演者を持つこと。
本当の名手ならまだ見どころ魅力があり、
失せないで残っている花こそが本当の花。
老害という言葉があるとすれば、
年齢を認識せずに若いものと同じつもりで
年寄りの冷や水を好んだり、
後進に道を譲らずしていつまでも
高位に留まろうとする人を言っている。

「50有余歳」の頃は、
「麒麟も老いては駑馬に劣る」
どんなに優れた才能を持った人でも
歳を取って衰えたら
平凡な人にも及ばなくなるものである。
ただ、奥底深く会得したものであれば、
見どころが少なくなっても
「花」は残っている。

このようなことを述べられています。

まぁ、ぐうの音も出ないことの連発で
読んでてもっと若いときに読みたかったと
思った次第です(笑)。

時代や価値観が変わり
寿命も大きく変わった現在ではもう少し
年齢の枠も変わっているようにも思いますが、
現在46歳の私にとっては
「34~5歳」~「44~5歳」の時代に
生きているかと思います。

「真実の花」を手にしていないことを
今更どうすることもできませんが(苦笑)、
初心忘れずことなく勉強を辞めないで
次の世代へ伝えられることは伝えること。
そのことは丁寧にやっていくことが
今の私の年齢では大事なんだと思い、
実行していけたらと思います。


(キンモクセイの花言葉は真実)

世阿弥はこうも言われています。

「若い修行時代は夢中に稽古を過ごす、
そして壮年に名声を得たとしても、
もっと肝心なのは、いかにして引退し
後進に道を譲るかというその潔き進退が
大事でそれができぬものが凡人である。
老害によって晩節を汚した人は少なくない。」

そして、
「見事に潔く後進に道を譲り、
教えるべきことは教え、
そうして最後の最後まで元気に力を尽くして、
忽然として世を去る。
これがまさにこうありたいという辞世の姿。」

そう述べているのです。

自分が世阿弥のような人間であるとも
思っていませんが、
一人の人間としてカッコよく生きたいとは
思っています。

「上手は下手の手本 下手は上手の手本」

ちょっと上の地位になったりすると、
もうすぐに慢心して教訓をたれたがったり、
部下を見下したりする輩が多いのだが、
それは結局その人の能力の行き止まりだと
言うことであるとも世阿弥は言っています。

自分の考えが正解かどうかではなく、
自分の考えがどれだけ相手より
正しいと思わせられるかが
対人関係や競合の際には重要なことには
自分なりには整理できています。

でも、日常の生活の中では
自分が言ってることは全て正解なんだと
さも神にでもなったかのような人にも
よく出会うことがあり、
なんか違和感を感じることも多いです。

と言っても、生き様や価値感は
人それぞれですので、
自分は丁寧、謙虚で地に足がついた人生を
存分に満喫できるようにしたいと
改めて思いました。

こんな生き方が自分にとっては
カッコいい生き方です。

追伸

ネィティブアメリカンの教えで大好きな言葉

「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って
あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って
周りの人が泣くような人生をおくりなさい。」

これが最高の人生ですね。

(文中の世阿弥の言葉は
林望さんの「すらすら読める風姿花伝」から
抜粋させて頂きました。)