「どう伝えるか」を作り上げていく

新年あけましておめでとうございます。

年末年始の休みは、ほとんど家族と言うか
ほとんど娘達と一緒に過ごしていました。
この春には長女は小6、次女は小4になります。
本当、あっちゅーまに大きくなります。

とは言え、父親として娘と
べったり一緒にいれるのももう少しです。
その貴重な時間を噛みしめるように
この休みも一緒にいました。
あと数年間になった父と娘の時間を
もうちょっと満喫していきたいと思ってます。

さて、2020年も無事スタートしました。
年男になるこの1年も
毎日充実して過ごせるように
気合いを入れて初詣にも行きました。
おみくじは・・・・・・・でしたが。

仕事も始まり、メール確認等する中で
そんな時にネットである言葉を見て
改めて大切なことを再認識できたので
今年最初の記事にしたいと思います。

常日頃、仕事する中で
相手に何かを伝えるときは
「何を言うかでなくどう言うか」が大事と
いつもお話しさせて頂いています。

もちろん「何」の内容も大事なのですが、
「どう」言うかをきちんと考えていないと
伝えたいことの真意があまり伝わらなく、
変な意味で伝わることも多々あります。

伝え方って本当に大事。
例えば、言ってることは
いい事いってるんだけど
どうも聞く耳持てないなって感じる人は
そのほとんどが上から目線で
上手投げで、偉そうに言う人が多いです。

教師であれ、コーチであれ、コンサルであれ、
先生商売している人の半分以上が
この手のタイプって感じ。

ただ不思議なもので、
高圧的に言われたほうが
その相手に従ってしまう人が多いのも事実。

偉そうに能書きを言う人の言うことほど
信じてしまう人が世の中の半分はいますから
そういったスタンスで商売している人が
多いのも仕方ないとはいえ、
やっぱりそういった人の言うことって
正論であればあるほど、
私は拒絶してしまいます。

そんな高圧的な記事をネットで読んで
ゲップが出かかったすぐ後に(笑)、
実際の小学校の先生なのかな?
ある方の記事を見ました。

それはこんな記事でした。

『~小学生への注意の仕方の指導~

「言ってる内容は正しいけれど
   言い方はよくないよ」

この指導
1年間で100回以上します。

正しいと思っていることを
相手に指摘するとき
人はとても強い言い方になるのです。

妙に納得して、ストンと腹の中に落ちました。


人に注意するとき、説教するとき
それが正論であればあるほど
高圧的になりがちです。

高圧的に言われた方がいい人も
中にはいるかもしれませんが、

伝える相手が成熟した大人であればあるほど
そしてその意見が正論であればあるほど
穏やかに丁寧な言葉で伝えられる人に
私はなりたいなと思いました。

これまでたくさんの人にお会いしてきました。

例えば、営業マンを例にすれば、
成果を出せる人も
成果を出せない人も
「何」を言うかは結構 同じだったりします。

ただ「どう」言うかが
成果を出せる人と出せない人は
全然違うことに気づきます。

今年もいろんな人が成果を出せるように
「どう」言うかの型づくりを考える。

それぞれのキャラにあった言葉や
言い方、話し方を見つけていきつつ、
大切なことは同じことだから
それをきちんと伝えられるように・・・
そんなお手伝いをしていきます!

今年も何卒よろしくお願いします。

俯瞰してみることが大事

11月入っても暖かったですが、
急激に寒くなってきました。
今年は、夏から一気に冬になり
秋がなかったような感じですね。

家の紅葉が季節がわからなくなって
赤くなる前にこっそり
散り始めそうになっています(笑)。
(我が家は家を建てたときに
お祝いでもらった紅葉を
シンボルツリーに植えています。)

さて、今年はライブに行って音楽の秋、
ラクビーを観に行ってスポーツの秋、
移動中は本を読んで読書の秋を満喫しました。

そんな秋満喫の最後は
先日、時間がなく見損ねたので、
仕事の合間にゴッホ展に行ってきました。
芸術の秋ですね。

過去、何点かは観たことありますが、
こんなにゴッホの作品を
観たことがなかったので、
とても有意義な時間でした。

最初に思った率直な感想は、
こんなに惜しげもなく絵の具を使うんだ、
素人の絵とは全然違うな!といった
本当アホみたいな感想でした(笑)。

でも、実際観た絵の厚み?は
とても写真では伝わらない迫力がありました。

その中で2点気に入った絵がありましたので、
帰りにその絵のポストカードを買ったのですが、
当たり前とは言え、
ポストカードの絵はとても薄っぺらく
実際の絵の良さが100分の1も
伝わらないことが逆に衝撃的でした。

その1枚は、「秋の夕暮れ」という絵。
これがメッチャ綺麗な絵で、
思わずうっとり見惚れてしまいした。

でも、ポストカードでは全然、
実物の絵が伝えたいことが伝わらないです。
是非、実物を観て体感してほしいです。
(ちなみに神戸で1月からゴッホ展あります。
関西の方はぜひ、神戸で!)

もう一枚は「サン=レミの療養院の庭」

この絵が凄いのは、至近距離で観たら
何を描いてあるかなんて全く分からないのに
少しづつ離れながら観ていると
急に絵がフォーカスされて一瞬で
絵が浮かび上がってくることです。

普通に実物を観たら
もちろんどんな絵かは分かります。
でも10cmとか20cmくらいの距離で
観たら本当にわからなくなるのです。

そんなことはないだろう?と
思われるかもしれませんが、
実際、普通に絵を見ているときに
全体像がそんなに分からなくなるなんて
あんまりないように思います。

ゴッホのその絵は観ていたら
浮かび上がるような感覚が
とても印象深く残りました。

でもこれってなんか日常と似てますよね。
会社の問題点だったり、
お客さんとの進捗状況だったり、
大切な誰かとの人間関係だったり・・・

あまりにも視野が狭くて
目の前のことしか見えなくて、
どうしていいかわからなくなってしまう。
ちょっと離れたところから全体を見たら
いろんなことに気づけるのに
そういったことはしない。

至近距離で観たら何の絵かはわからなくても
少し離れて観たらどんな絵かわかる。

そんなこと思ったら
日々の生活といった日常の場面でも
素晴らしい絵を見るといった非日常の場面でも
基本となる考え方は、
似ているんだなと感心しました。

組織の中で役職や立ち位置が変わると
見えている景色は少しずつ上になっていき、
一番高いところから全体を見ているのが
社長であり、リーダーになります。

もちろん、位置が変わる毎に
責任や義務は重くなりますが、
権利や意思は得られるように思います。
もちろん、お金もですね。

でも、組織において、上に上がっていき
権利やお金はもらいたいけど
責任や義務は背負いたくない。
そんな人が多い組織こそが、
本当に大変ですね。

役職や肩書を与えることって
権利やお金も増えるけど
責任や義務も増えること。
その同意を最初にとることがポイント。

でないと、組織がうまく運営されないし、
何よりその部下の人たちが可哀そうです。

しんどい仕事はなんでも部下にふってきて
手柄だけはとられるなんて、
たまったもんじゃありませんから。

とは言え、全体が見まわせて、
その良さに気づけること。

人生を楽しむためには、
どんなことでもこれが
まずは大事なのかもしれません。

そんなこと思いながら観たゴッホの絵でした。

さて、次は何を観に行くか?
オススメあったら教えてください!

ポジションの重要性

今朝、旗当番だったので
旗を持って交差点に立っていたのですが、
短パンで行くとかなり寒かったです。

暖かい日が続いていましたが、
そう言えばもう11月なんですよね。
油断しないようにします(笑)。

昨晩あったボクシングの試合。
WBSSバンタム級トーナメント決勝戦。
テレビ観戦していましたが、
熱くなりながら観ていました(笑)。
(高校時代の友人は、
観戦に行ってたようです。羨ましい。)

相手のドネア選手が強豪とは言え、
心のどこかで早いラウンドで井上選手が
KO勝ちするかもと思っていましたが、
とんでもない。
フルラウンドの激戦でした。

若さと勢いに勝る井上選手と
年齢的にも不利?ながらも
キャリアに勝るドネア選手。
素人の私でも凄さを感じる試合でした。

もちろん技術的なことを語れるわけもなく、
専門的な知識もないので
評論家のようなことは何も言えませんが、
観てて、敗戦しましたが
ドネア選手のポジションの取り方に
とても凄いなと思いました。

昔、たぶんターザン山本氏が
「格闘技には格が存在する。
なのでリングでは格が上の選手が中央に立ち、
格が下の選手がそのまわりを
ぐるぐる回って試合が運ばれる。」
といったことを言われてました。

(これは、格さん・・・)

確かにコーナーやロープに追い詰められた時
逃げ場を失って勝敗が決まることが多いです。
ということは中央に立っている方は
相手を追いつめて攻撃もできるし、
ピンチになればどっちでも逃げられるので
圧倒的有利な試合運びができます。

逆転のカウンターもありますから
一概に言い切るのは難しいとしても
有利に試合運びができることには
間違いありません。

もしこれが正しいとすれば、
いかに試合時間の大半を
リングの中央に立っていられるかが
勝率の高い、強い選手だと思うのです。

昨日の試合では追い込まれて
ピンチに立ってもドネア選手は
切り返してリングの中央のポジションを
常に取り返していたように見えました。

例え、追い込まれても
常に好ポジションをとる試合運び。
5階級制覇されるのも納得ですね。

駆け引きが上手いその老獪さは
まるでリック・フレアーのようでした(笑)。
(わかる人だけ笑ってください。)

でもこれって人間関係やビジネスでも同じ。
強い人、結果を出す人は圧倒的に
好ポジションを最初から奪うことが上手。

有利な立ち位置から交渉を進めたほうが
勝率が高いことを知っているから
勝負はいつも最初に決めている気がします。

例えは悪いですが、
車同士の交通事故を起こしたとき、
事実はどっちが悪いかはさておいても
最初に「どこ見て運転しているんや!」と
大声で怒鳴って、さも悪かったのは向こうだと
言い切ってしまったほうが
有利になることが多いのも仕組みは同じ。

有利なポジションをとったほうが
交渉事はうまく運べることを
悪用してるわけです。

私の知り合いで交渉の時に
いつも強引に向こうのペースに持っていき、
向こうの都合がいいように運ぶ人がいました。

その人はしゃべりもうまいし、
人心掌握術にも優れているのですが、
何はさておき交渉時には
いつも相手を一人(少人数)にして
自分は大人数で最初に向かい、
自分の意見を多くの仲間に同意させてから
相手に話してくるのが常でした。

こうなったらもう最初の時点で
勝敗の9割以上は決まっていますよね。

その不利な状況をひっくり返せば
それこそ英雄ですが、
そんなに毎回上手くはいかないので、
やっぱり最初に有利な立ち位置に立つ、
ポジションの重要さを
大事にしたほうがいいわけです。

昨日のボクシングの試合も
もっと単純に楽しんだ方がいいのでしょうが、
性格上いつもいろんなことを
深読みする癖があるので、
いろんなこと思いながら観てました(笑)。

風邪気味で体調がイマイチなんで
お酒でなく、炭酸水を飲みながら・・・・

あっ!
風邪気味やのに今朝、短パンで
旗当番に立つことがアカンのや!
自ら不利なポジションに
立っていることを気づかない
私の風邪は今以上に
ひどくならないでしょうか?

そんなことは今、思う時点で
私はポジションの重要性を
全く理解してないですね(笑)。

未熟な自分を恥じて
早く体調を戻すことを優先します。

自分なりのモノサシを作る。

先日の沖縄 首里城の火災。
驚きました。
3年前に家族で首里城、観に行きましたが、
とても綺麗なお城でした。
沖縄の皆様には心よりお見舞い申し上げます。

私の住む街には姫路城があります。
なんだかんだ言っても地元の象徴です。
今までそんなこと思ったこともないですが、
もし突然無くなったら寂しく
心に穴が開いたような気になります。

かける言葉もうまく見つかりません。
様々な障害や条件もあるのでしょうが、
1日も早い復興、再建ができたらと
心から願っています。

先日は午前中の空き時間を利用して
正倉院展に行ってきました。
近くでやっているゴッホ展と悩みましたが、
期間が1か月ちょっとしかないことや
ゴッホ展は来年、神戸でもやるので
今回は、正倉院展にしました。

平日なのに70分待ちでしたが、
見ごたえのある内容。
琵琶がとても綺麗でした。

美術館、博物館好きの奥さんの影響で
機会があれば観に行くようになりました。

正直、観ても価値が
分かるわけではないですが(笑)、
本物を見てみる機会を大切にして、
何か感じるものがあればと思っています。

昔、永六輔さんが言ってたお話。
「ある事柄について、
一番良いモノと一番ダメなモノを知っていれば、
その中間が来た時に、それがどのあたりの
レベルのものなのかを判断できるようになる。」

なので、一番良いとされているモノ。
古くから愛されているモノ。
受け継がれているモノ。
そういったモノを見てみることで
自分なりのモノサシを作れるように
心がけています。

ムンクやフェルメール、ゴッホ、ピカソ、
シャガールなどの絵も見たことあります。

何がいいのかはわかりませんでした。
でも、何故この絵は世界中の人から
愛され認められているのか・・・
それを自分なりに感じて観ています。

そういえばプロ野球の歴史を築いた一人、
裏業師の異名をとる故、根本陸夫さんも
同じようなことを言われてました。

根本氏は日本中にシンパがいて
日本中から選手の情報を得ていました。
その情報の原点はリトルリーグの試合を
眺めているおじさんだったりしたそうです。

何十年もリトルリーグの試合を観戦していたら
新しく入ってくる子どもたちの中に
あれ?っと思うような子どもを見かけます。

今まで見たことないような子が
あのチームにいるといった情報は
人を通じて根本シンパの人の耳に届き、
根本氏へその情報が届いていたそうです。

そこで目に留まった選手を見守り続け
大きくなった時にドラフトの候補として
指名するといったエピソード。

この話も何十人、何百人とみてきたから
今まで見たことないような選手に
出逢った時、気づけるこの感覚。


(当時まだ1軍で1本もホームラン
打ったことのなかった柳田選手を上げた
元 中日 井端選手。この見る目、凄い!
映像は5:30~)

人生で後悔しないコツは、
決定は自分の意思ですること。
他人の意思で決めたことは
うまく行かなかったら他人のせいにするから。

そう思ったら良いモノに
触れておく機会は大事にしたいですね。
博物館や美術館の入館料は
1,700円くらいですし・・・(笑)。

言ったもん勝ち!

梅雨明けしていい天気が続くと思ったら
台風がかすめて過ぎ去って行きました。

本日午前中はPTA行事でプールでした。
子どもたちは大喜びも
付き添いのお父さんらはバテバテ。
とはいえ楽しい幸せな時間でした。

今日は、土用の丑の日。
鰻を食べて暑さを乗り切ろう!って話。
我が家は娘たちがピアノで
一緒に夕飯を食べれないこともあり、
昨晩に1日早い土用の丑でした。

鰻なんてめったに食べませんが、
実は奥さんの大好物なこともあり、
奮発したのでありました。

とは言え、土用の丑の日に鰻を食べる習慣。
有名な通説では、
こってりしてて夏場に売れないことを嘆く
鰻屋さんが平賀源内に相談したところ
「丑の日だから″う”のつくものを
食べると縁起がよい」と語呂合わせて、
暑い夏を乗り切るには最適!と言い
「本日 土用の丑の日」と看板を揚げさせたら
何だ何だ?とお店を訪れ大繁盛。
それを見た他の鰻屋も真似をしたといった話。

そもそも鰻は秋から冬が旬の食べ物。
こじつけにも程がありますが(笑)、
こうやって売り上げをあげていくのは
ビジネスの原点。

セールスポイント
キャッチコピー
今の時代にも通じるお話です。

と言ってもこの手の話は、
「言ったもん勝ち」の世界ですよね(笑)。

でも、先に言い切ったから
ポジションを獲得して売り上げを伸ばした
成功例の話って多い事を思ったら
笑い話ではなく、耳を傾ける話だと思います。

地元のお店とかでもありませんか?
誰が言ったわけでもないけど
和菓子屋さんの店主が勝手に、
この店は〇〇饅頭が名物です!とか言ったら、
いつの日かその〇〇饅頭が
その店に名物になっていたり、

地元の居酒屋さんが、
この店は餃子が大人気です!とか言い続けたら
餃子が名物になっていたりする話。

ぶっちゃけ、本日のオススメ!とかいう
メニューもお店が勝手に言ってたりするわけで
これもベースは「言ったもん勝ち」の話。

「自分からそんなこと言えない。」
「誰かが言ってくれたから、
名物って名乗れるのであって
そんな勝手に言うのは恥ずかしい。」

そんな真面目なこと言ってる人ほど
商売で苦戦してて、
「そんなことなんでもいい。売れたら勝ち!」
なんて言ってる一見、適当な人のほうが
商売を軌道に乗せていることが多いのも事実。

売れない人、結果残せない人ほど
恰好つけて自分のスタイルに固執しがち。
売れるようになるまでは売れてる店や
売れている人のマネをすることが
実は成長の最短距離だったりします。

これが天然でできる人って
本当、商売人だなっていつも感心します。

「言ったもん勝ちよな~。」と
昔、思っていたエピソード。

住宅業界で家を売っていたときのこと。
どんなハウスメーカーでも
どんな工務店でもどんな大工さんでも
家を建て替える事もあれば、平屋も建てるし、
2世帯住宅も3階建ても建てています。

でも、ある会社は
2世帯住宅なら〇〇(会社名)
ある会社は、建替えなら〇〇(会社名)って
自ら勝手に名乗り出しただけで、

それを検討しているお客さんは
まずは行ってみようと足を運ばれていた事実が
多くあったことを思っても自ら
名乗ってみることって大事だと思うわけです。

これらのことを不真面目とは言いませんが、
真面目な人ほど言えない罠というか
深く考えない人のほうが世の中をうまく
渡っていることが多いのは
こんな背景なんでしょうね?

そう思ったらまずは、自分の売りは何?
自分の武器は何?って考えてみて
それが何なのか分かったら
その次は照れることなく自ら名乗ってみる!

それをセールポイントにする、
それをキャッチコピーにして伝える。
「言ったもん勝ち」の世界ですが、
それでポジションをとることができたら
成功の階段の一段目に登るわけです。

平賀源内ってスゲー!って
改めて思いました。

「400戦無敗」と自ら名乗った
ヒクソン・グレイシーの
セルフプロデュース力にも
改めてスゲー!と感心しました(笑)。

まさに「言ったもん勝ち」!!!

「縁」とは必然な偶然を言います。

平成も今日を入れて残り3日となりました。
あっというまの30年でした。
平成になったとき私は高校生でした。
おっさんになるはずです・・・・。

昨日から10連休もスタートしました。
遊びに行く人も、ゆっくりする人も
仕事の人も様々な方がいます。
どんな形であれケガなく病気なく
穏やかな「令和」を迎えたいものです。

今年でPTA活動始めて4年目になりました。
毎年GW初日の4月最終土曜日は
総会と懇親会があります。
今年は昨日でした。

懇親会は先生方や役員さんはもちろん、
地元の自治会長さんも揃われて
結構おおがかりな会合です。
今回は司会という大役をさせてもらいました。

こういった機会は
多くの方々との出会いがありますね。
中には再会も?

今年から来られた教頭先生は
10数年前に甥っ子の担任の先生。

懇親会前に送迎バスを待ってたら
従兄弟に出会いました。

新しい役員さんが娘の保育園時代の
お友達のお母さんだったり、
聞いたお話なら今年から来られた先生が
前職時代に家を建てさせてもらった方の
お子さんだったり、
今、お世話になっている先生が
いらっしゃったりと
いろんな関係があります。

以前ではPTAの集まりで
予備校時代の友人にあったり、
当時のお客様に出会ったり、
中学校時代通ってた塾の先生が
教頭先生になられていてお逢いしたりと
本当、多くの縁があることに
ビックリします。

なにかと賛否あるPTA活動ですが、
やるからには楽しんでやりたいし、
何より我が子の学校生活がいいものに
してあげたいと思っています。
(自分がするとは全く
思っていませんでしたが・・・・(笑)。)

以前、読んだ本に
「大人になり新しい土地で
生活をしていく中では
自治会などの活動もですが、
子どものPTA活動と子ども会の活動を
通して、その地元の人間になっていける。」
といったことが書いてありました。

本当にそうだなと最近、実感しています。

そうでもないとなかなか知り合うこともなく、
こうした活動をすることで
生活しているこの場所で多くの知り合いができ
それが今の生活にとても影響を受けています。

その中にある「ご縁」を
大事にしていくことが
やがて自分の人生を大事にしていくことに
繋がるような気がします。

10数年前に
自分で勝手に作った言葉があります。

「縁とは必然な偶然を言います。
あなたさまと逢えたこと感謝します。」

「縁」を大事にして
今まで生きてきました。
令和の時代も「縁」を大事にしていきます。

どれだけ頑張っても
一人でできることなんて
たかが知れていますから、
多くの方に助けられていることに感謝して
平成の時代を個人的に終えたいと思います(笑)。

ありがとう、平成。
よろしく、令和。

「風姿花伝」

ショーケンこと萩原健一さんが
亡くなられましたね。
数年前から闘病されてたようで驚きました。

華と色気のあるカッコいい方でした。
尖った感じは無くなりませんでしたが、
いい意味で枯れてきた感じも
とてもカッコよかったです。
残念ですがご冥福を心よりお祈りします。

ショーケンのニュースを聞いたとき
先日、読んだ本の内容がよぎりました。

その本のタイトルは「風姿花伝」
能で有名な世阿弥が書いた本です。
芸能論と言う名の人生論が書かれていて、
ハッとすることが多くてとても面白い。

普段、古典を読むこともないのですが、
一気に読んでしまいました。

世阿弥は7つの時期に分けて
その時代において大事なことを書いています。

その7つの時期とは
「7歳」「12~3歳」「17~8歳」
「24~5歳」「34~5歳」
「44~5歳」最後に「50有余歳」

「7歳」といえば今で言う小1の頃は、
ともかく叱らず、基礎をみっちりやって
しかも子どもが勝手自在にやるのをいつも
「ああ、上手上手、それでいいよ。」とでも
褒めて教えることを言われています。

褒めて教えるのが上達の近道であって、
叱って教えるのは効果が薄い。
そんなことを書かれていました。

「12~3歳」の頃は、
表面的人気に応えて華やかな芸を舞台で
披露しつつも、稽古は稽古で
ひたすら基礎の技術を大切に練習すること、
若い頃にどれだけ基礎的な訓練をしたか、
それが人の一生を左右する。

「17~8歳」の頃は、
能を演じる際、変声期をどう乗り越えるか
じっと耐えて、諦めず練習することが大事。
ただそれは根性論で解決できるのではない。

「24~5歳」の頃は、
実力以上に評価されがちで
慢心の虫に取り付かれやすく、
10年早いことをこれ見よがしにやりだす。
ただ心底立派な心がけを持った人であれば、
修練というものはすればするほど
また一層に己の欠点未熟に思いが至り、
更に一段の修練を積む。
それが一生の芸能の分かれ道。

「34~5歳」の頃は、
この頃までに「真実の花」
つまりは芸を極めた者は、
40歳以降になって力が衰えたとしても
別の味わいが出てくるので
衰えたようには見られないが、
真実の花を会得していない二流の者は、
この力の衰えが如実に芸にでてしまい、
急速に見どころが無くなっていく。
その衰えを補って余りある深い芸は
若いうちに勇猛努力して
仕込んでおかなくては取り返しがつかない。

「44~5歳」の頃は、
大切なことは良い助演者を持つこと。
本当の名手ならまだ見どころ魅力があり、
失せないで残っている花こそが本当の花。
老害という言葉があるとすれば、
年齢を認識せずに若いものと同じつもりで
年寄りの冷や水を好んだり、
後進に道を譲らずしていつまでも
高位に留まろうとする人を言っている。

「50有余歳」の頃は、
「麒麟も老いては駑馬に劣る」
どんなに優れた才能を持った人でも
歳を取って衰えたら
平凡な人にも及ばなくなるものである。
ただ、奥底深く会得したものであれば、
見どころが少なくなっても
「花」は残っている。

このようなことを述べられています。

まぁ、ぐうの音も出ないことの連発で
読んでてもっと若いときに読みたかったと
思った次第です(笑)。

時代や価値観が変わり
寿命も大きく変わった現在ではもう少し
年齢の枠も変わっているようにも思いますが、
現在46歳の私にとっては
「34~5歳」~「44~5歳」の時代に
生きているかと思います。

「真実の花」を手にしていないことを
今更どうすることもできませんが(苦笑)、
初心忘れずことなく勉強を辞めないで
次の世代へ伝えられることは伝えること。
そのことは丁寧にやっていくことが
今の私の年齢では大事なんだと思い、
実行していけたらと思います。


(キンモクセイの花言葉は真実)

世阿弥はこうも言われています。

「若い修行時代は夢中に稽古を過ごす、
そして壮年に名声を得たとしても、
もっと肝心なのは、いかにして引退し
後進に道を譲るかというその潔き進退が
大事でそれができぬものが凡人である。
老害によって晩節を汚した人は少なくない。」

そして、
「見事に潔く後進に道を譲り、
教えるべきことは教え、
そうして最後の最後まで元気に力を尽くして、
忽然として世を去る。
これがまさにこうありたいという辞世の姿。」

そう述べているのです。

自分が世阿弥のような人間であるとも
思っていませんが、
一人の人間としてカッコよく生きたいとは
思っています。

「上手は下手の手本 下手は上手の手本」

ちょっと上の地位になったりすると、
もうすぐに慢心して教訓をたれたがったり、
部下を見下したりする輩が多いのだが、
それは結局その人の能力の行き止まりだと
言うことであるとも世阿弥は言っています。

自分の考えが正解かどうかではなく、
自分の考えがどれだけ相手より
正しいと思わせられるかが
対人関係や競合の際には重要なことには
自分なりには整理できています。

でも、日常の生活の中では
自分が言ってることは全て正解なんだと
さも神にでもなったかのような人にも
よく出会うことがあり、
なんか違和感を感じることも多いです。

と言っても、生き様や価値感は
人それぞれですので、
自分は丁寧、謙虚で地に足がついた人生を
存分に満喫できるようにしたいと
改めて思いました。

こんな生き方が自分にとっては
カッコいい生き方です。

追伸

ネィティブアメリカンの教えで大好きな言葉

「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って
あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って
周りの人が泣くような人生をおくりなさい。」

これが最高の人生ですね。

(文中の世阿弥の言葉は
林望さんの「すらすら読める風姿花伝」から
抜粋させて頂きました。)

恒例行事

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

本日1月4日から奥さんが仕事始め。
奥さんが年末の仕事おさめの日に
ギックリ腰になり大変でしたが、
復活して無事出社しました。

私は年末風邪気味だったのか
大晦日は終日、味覚がなくて
全然、ご飯もお酒も味がしませんでした。
元旦は元に戻り、
おせち料理を堪能しました。

まぁ、この正月は娘達が元気だったので
ヨシとしています。

我が家はお正月に
娘達の身長を計るのが恒例行事。
今年は1月2日の朝に身長を計って
柱に書き込みました。

毎年、お正月と
この家に引越ししてきた7月13日の
年2回子どもの身長を計っています。

私は8年半前に家を建てたのですが、
我が家のリビングの真ん中には
構造上無くてもいい柱が1本あります。

家を建てるときに
娘達の成長を家のどこかに刻みたかったので
柱をむき出しにして設置しました。

娘達の成長を印すことと
背中がかゆいときにその柱を
とても重宝しています(笑)。

娘が大きくなっていく様がよく分かり
我が子の成長を喜んでいます。

私は1年の中で
なんでもいいのでその時期に応じて
恒例行事を作って行動することにしてます。

毎年、その時期が来たらその行事をして
1年間、元気で過ごせたことを再確認し
改めて頑張ろうって気持ちにしているのです。


(奥さんの実家恒例 百人一首大会)

例えば、年末年始なら
大晦日の午前中は、
母親と2人で父の墓掃除に行く。
元旦は朝一で朝風呂に入る。
お正月に娘の身長を計る。
これらは恒例行事ですね。

これらをしたら正月だって気が毎年します。


(今年は雪が積もってました)

でも、よく考えたら
大掃除をすることや実家にいくこと、
初詣にいくことも同じです。
年賀状もそんな意味がありますよね。

年賀状はめんどくさいし、お金もかかります。
今年で年賀状は最後にしますといった風潮も
見受けられました。
メールやLINEで充分といった意見も
あるでしょう。

確かにそうなんですけど
なんかそういった側面だけで
無くしていく事にいつも思う事があります。

いらない部分はなくしたとしても
そこにはいい部分もあるわけですから
そこは残して欲しいなとか思うわけです。
(それは何?といった話になると
感情論に発展していき非常にめんどくさいので
こういった話は各々の心の中で
確認するのがいいと思っています。)

何事も物事の変化や改善は
「よりよいものにするため」でないといけなく
「めんどくさい」「楽したい」だけでやると
結果的にいい事にならないのがほとんどです。

仕事ならその改革が
「お客さんが喜ぶから」とか
「みんながうまくやれるから」ならOKですけど

誰かだけが楽になるものであれば
その人は楽になっても
そのしわ寄せが誰かにいくだけだから
やっぱりそれはよくないわけです。
(先日書いた正論バカ(失礼)の人は、
この傾向が強かったりします。
自分だけが正しいと主張する人や
わがままキャラが認められてる人も
そんな人が多かったりしますが、
組織においては
本当にやっかいな人達です(苦笑)。)

何でも辞めるのも
無くすのも簡単にできますが
その前にもう一度よく吟味することは
辞めず無くさず実行したいですね。

なので我が家は年賀状は今のところ
いい部分もあると思っているので
続行することにしています。

今年もいろいろ書いていくと思いますが、
何卒よろしくお願いします。

相手を思う気持ち

11月ももうすぐ終わり。
今年も後1ヶ月となりました。
インフルエンザの予防接種も済まして
万全の体制で年末を迎える森下です。

先日、奥さんのおばあちゃんの
三回忌があり、法事に参加しました。
親戚の人達とも集まり、故人を偲んで
いろんなお話になりました。

私は11月から年末年始に向けて
いろんな人とお別れしていることもあり、
この時期が来ると、いろいろ思います。

先述したおばあちゃんは2年前の
11月末に亡くなりました。

独身時代、ずっと遊んでた親友や
新人時代の同期が亡くなったのも11月。

若い頃に可愛がってくれた先輩や
18歳のとき父が他界したのは12月。

父方、母方の祖父は2人とも
小学生の頃、お正月に亡くなってます。

なので、寒くなりだしてきたら
故人を偲んで、
昔話になることが多くなりました。


(幼い頃の私と父)

一般的に「供養」とは
法事やお墓参りといった行動を
指すことが多いように感じます。

もちろんそれらも大事なのですが、
私は「供養」とは、
何年経っても故人を偲んで
想い出話をすることが一番だと思っています。

同じ話が繰り返されてもいいわけで、
あんなことあったなとか
こんなことあったなとみんなで
ワーワー言ってほしい。

なので7年前に亡くなった親友のことは
今でも当時の仲間達と忘年会を口実に集まり
想い出話をして7年経ちます。

「いい奴やったな。・・・アホやったけど。」
「優しい男やったよな。・・・アホやったけど。」
「楽しい人やったで。・・・アホやったけど。」

誉めてるのか、けなしているのか
よくわからないですけど(笑)、
そう言いながら酒を呑み、
親友のことを思い出しています。

そして、仲間達と
「今年一年、頑張りました。
来年も頑張ろう!」と
握手をして別れて1年が終わるのです。
なので来月、楽しみにしています。

形式とか決まりも大事ですけど
まずは「忘れないこと」
「思い出すこと」そして
「語り続けること」がなくては
本来の意味ではないように思います。

他のことでも言えるかもしれませんね。

お墓に行ったから。
お経を唱えたから。
ご仏前を供えたから。

それでOKなのではなく
当たり前ですけど、
そこに「偲ぶ気持ち」がなければ
何をしてもそれは「供養」にはならないわけで

何事も「相手を思う気持ち」が
まず一番最初になかったら

人間関係も
商売も
遊びも
奉仕も
なんか別のものになるのかな?

そんな風にいつも思っています。

でも、意外とこれって
できていない人が多かったりします。
自分は日々、気をつけていきたいですね。

ちなみに私は死んでからではなく、
死ぬ前に大切な人は逢いたいので
元気で入れたら70歳で生前葬をする予定。

誰も来なかったら寂しいので(笑)、
そのときはみなさん
是非、逢いに来てください!

私は今、46歳。
ということは24年後のお話。
ずいぶん先のお話です。

百聞は一見に如かず・・・・

出張が続き、ブログ更新が遅れました。
さっそくの言い訳からのスタートです(笑)。

先日、東京にて研修に参加しましたが、
午前中は時間があったので
東京都美術館で開催されている
ムンク展に行ってきました。

朝一に行って並びましたが、
開場前で200名~300名くらい?
会場内は思っているより少なくて
結構ゆっくり見れました。

最大のみどころは
もちろん代表作「叫び」
せっかくなので3回くらい見ました(笑)。

そんな芸術が語れるほど
目が肥えてるわけでもなく、
知識があるわけでもないので
ここで専門的な話はできませんが、

それが絵画であれ
書道であれ、仏像であれ、
なんでもいいのですが、

有名であったり、
何百年と語り継がれてるものは
見れるのならきちんと見る機会を
作るようにしています。

わからないなりにも
見て何かを感じてみたいと思っています。

「百聞は一見に如かず」と
言うやつです。

事実をありのまま見ることは
仕事においても人生においても
とても大事です。

例えば、イベントなどの反省会でも
「近隣の人が来てくれてたな~。」と
漠然と語るのではなく、
「総来場は50組、近隣の方は15組」と
具体的に確認しないと
正しい判断の参考資料にはなりません。

国語的目線ではなく
算数的目線でないと
その結果はデータにはなりません。

そういう観点からも
事実をきちんと見ておく姿勢、
百聞より一見しようとする気持ちは
大事なわけです。

ただ、この言葉 続きが有ります。
その続きまで読んで
初めてこの言葉の意味がわかります。

「百聞は一見に如かず
 百見は一考に如かず
 百考は一行に如かず
 百行は一果(効)に如かず
 百果(効)は一幸に如かず
 百幸は一皇に如かず」

意味は以下のようになります。

聞くだけでなく、
実際に見てみないとわからない。

見るだけでなく、
考えないと意味がない。

考えるだけでなく、
行動するべきである。

行動するだけでなく、
成果を出さなければならない。

成果をあげるだけでなく、
それが幸せや喜びに
つながらなければならない。

自分だけだなく、
みんなの幸せを考えることが大事。

事実をありのまま見て、
考え、行動し、成果を出す。
それが周りの人も含めて
幸せになる事が大事。

はい、その通りです・・・(笑)。

そうなるためにも
まず最初に自分はどうなりたいか
どこを目指すのか
そこははっきり決めておかないと
行き先が見誤るので
まずは「よく見てよく考える」ことを
改めて取り組んでみたいと思います。