「風姿花伝」

ショーケンこと萩原健一さんが
亡くなられましたね。
数年前から闘病されてたようで驚きました。

華と色気のあるカッコいい方でした。
尖った感じは無くなりませんでしたが、
いい意味で枯れてきた感じも
とてもカッコよかったです。
残念ですがご冥福を心よりお祈りします。

ショーケンのニュースを聞いたとき
先日、読んだ本の内容がよぎりました。

その本のタイトルは「風姿花伝」
能で有名な世阿弥が書いた本です。
芸能論と言う名の人生論が書かれていて、
ハッとすることが多くてとても面白い。

普段、古典を読むこともないのですが、
一気に読んでしまいました。

世阿弥は7つの時期に分けて
その時代において大事なことを書いています。

その7つの時期とは
「7歳」「12~3歳」「17~8歳」
「24~5歳」「34~5歳」
「44~5歳」最後に「50有余歳」

「7歳」といえば今で言う小1の頃は、
ともかく叱らず、基礎をみっちりやって
しかも子どもが勝手自在にやるのをいつも
「ああ、上手上手、それでいいよ。」とでも
褒めて教えることを言われています。

褒めて教えるのが上達の近道であって、
叱って教えるのは効果が薄い。
そんなことを書かれていました。

「12~3歳」の頃は、
表面的人気に応えて華やかな芸を舞台で
披露しつつも、稽古は稽古で
ひたすら基礎の技術を大切に練習すること、
若い頃にどれだけ基礎的な訓練をしたか、
それが人の一生を左右する。

「17~8歳」の頃は、
能を演じる際、変声期をどう乗り越えるか
じっと耐えて、諦めず練習することが大事。
ただそれは根性論で解決できるのではない。

「24~5歳」の頃は、
実力以上に評価されがちで
慢心の虫に取り付かれやすく、
10年早いことをこれ見よがしにやりだす。
ただ心底立派な心がけを持った人であれば、
修練というものはすればするほど
また一層に己の欠点未熟に思いが至り、
更に一段の修練を積む。
それが一生の芸能の分かれ道。

「34~5歳」の頃は、
この頃までに「真実の花」
つまりは芸を極めた者は、
40歳以降になって力が衰えたとしても
別の味わいが出てくるので
衰えたようには見られないが、
真実の花を会得していない二流の者は、
この力の衰えが如実に芸にでてしまい、
急速に見どころが無くなっていく。
その衰えを補って余りある深い芸は
若いうちに勇猛努力して
仕込んでおかなくては取り返しがつかない。

「44~5歳」の頃は、
大切なことは良い助演者を持つこと。
本当の名手ならまだ見どころ魅力があり、
失せないで残っている花こそが本当の花。
老害という言葉があるとすれば、
年齢を認識せずに若いものと同じつもりで
年寄りの冷や水を好んだり、
後進に道を譲らずしていつまでも
高位に留まろうとする人を言っている。

「50有余歳」の頃は、
「麒麟も老いては駑馬に劣る」
どんなに優れた才能を持った人でも
歳を取って衰えたら
平凡な人にも及ばなくなるものである。
ただ、奥底深く会得したものであれば、
見どころが少なくなっても
「花」は残っている。

このようなことを述べられています。

まぁ、ぐうの音も出ないことの連発で
読んでてもっと若いときに読みたかったと
思った次第です(笑)。

時代や価値観が変わり
寿命も大きく変わった現在ではもう少し
年齢の枠も変わっているようにも思いますが、
現在46歳の私にとっては
「34~5歳」~「44~5歳」の時代に
生きているかと思います。

「真実の花」を手にしていないことを
今更どうすることもできませんが(苦笑)、
初心忘れずことなく勉強を辞めないで
次の世代へ伝えられることは伝えること。
そのことは丁寧にやっていくことが
今の私の年齢では大事なんだと思い、
実行していけたらと思います。


(キンモクセイの花言葉は真実)

世阿弥はこうも言われています。

「若い修行時代は夢中に稽古を過ごす、
そして壮年に名声を得たとしても、
もっと肝心なのは、いかにして引退し
後進に道を譲るかというその潔き進退が
大事でそれができぬものが凡人である。
老害によって晩節を汚した人は少なくない。」

そして、
「見事に潔く後進に道を譲り、
教えるべきことは教え、
そうして最後の最後まで元気に力を尽くして、
忽然として世を去る。
これがまさにこうありたいという辞世の姿。」

そう述べているのです。

自分が世阿弥のような人間であるとも
思っていませんが、
一人の人間としてカッコよく生きたいとは
思っています。

「上手は下手の手本 下手は上手の手本」

ちょっと上の地位になったりすると、
もうすぐに慢心して教訓をたれたがったり、
部下を見下したりする輩が多いのだが、
それは結局その人の能力の行き止まりだと
言うことであるとも世阿弥は言っています。

自分の考えが正解かどうかではなく、
自分の考えがどれだけ相手より
正しいと思わせられるかが
対人関係や競合の際には重要なことには
自分なりには整理できています。

でも、日常の生活の中では
自分が言ってることは全て正解なんだと
さも神にでもなったかのような人にも
よく出会うことがあり、
なんか違和感を感じることも多いです。

と言っても、生き様や価値感は
人それぞれですので、
自分は丁寧、謙虚で地に足がついた人生を
存分に満喫できるようにしたいと
改めて思いました。

こんな生き方が自分にとっては
カッコいい生き方です。

追伸

ネィティブアメリカンの教えで大好きな言葉

「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って
あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って
周りの人が泣くような人生をおくりなさい。」

これが最高の人生ですね。

(文中の世阿弥の言葉は
林望さんの「すらすら読める風姿花伝」から
抜粋させて頂きました。)