「志を得ざれば再び此地を踏まず」

朝晩涼しくなって過ごしやすくなりました。
このまま秋になっていくのでしょうか?
暑い夏はイヤですが、
夏が終わるっていうのも寂しいですね。

先日、野口英世さんのことを
深く知る機会がありました。

医術開業試験受験の為、19歳で
上京するときに生家の床柱に
医師になる決意を刻みました。

「志を得ざれば再び此地を踏まず」

医師にならない限り、故郷には帰ってこない。

19歳でそこまでの覚悟と決意を持ったこと。
驚くとともに感心してしまいました。

このような偉人と自分を比べること自体、
おかしいのかもしれませんが、
私のような50歳前の凡人でも
まだ覚悟を決めて決意する機会があるでしょう。

その時には私も決断できる勇気は
持っていたいと思った夏の終わりです。

追伸

野口英世さんは19歳で上京、
21歳で医師資格を取り、24歳で渡米。
39歳の時、2か月だけ帰国するも
そのまま日本に帰ることなく、
51歳の時、黄熱病で亡くなられました。

36歳の時にお母さんからの手紙が
届くのですが、この手紙読んだら
涙がこぼれてきました。

何回も「はやくきてくたされ」と
書いてあります。

「早く帰ってきて。」
「いつ帰れるか教えて。」
我が子を待つ母親の気持ちが
全体から滲み出ています。

若い頃なら息子目線で読んで
そんな風に思うのかなと感じたでしょうが、
今は、お母さん側の目線になりますから
読んでて同じような気持ちになりました。

「親孝行したいとき親はなし。」
親孝行できてるかと自問自答して
何もできてないように思いました。

来週は敬老の日。
時間作って家族で、
母親に会いにいきたいと思います。

正しいことをいうときは・・・・

本を読んでいても
詩を読んでいても
曲を聴いていても
映画を観ていても
時に胸をグッとつかまれるような言葉に
出逢うことがあります。

例えば、大学生の頃に
桑田佳祐さんの曲を聴いてて
「粋で優しい馬鹿でいろ」って言葉に
初めて触れた時、衝撃を受けた感じ。

例えば、30歳くらいの頃に
茨木のり子さんの詩
「自分の感受性くらい」を読んで、
カッコ悪い自分にハッて気づいたとき。

例えば、37歳で次女を授かった時、
様々なリスクを考えて産むか産まないか
奥さんと悩んでた時に、
産婦人科の先生に
「産まれてこようとするお子さんのこと
信じてやってもらえないですか?」って
言われたあの瞬間。

生きてたら本当、胸を鷲掴みされるような
出会いがしらに ぶつかるような
そんな言葉に出逢えることがあります。

先日、吉野弘さんの詩を読んで
ハッと気づかされる言葉に出逢いました。

「祝婚歌」
吉野さんが姪夫婦に贈った詩。
これから一緒に暮らしていく2人に
こうあったほうがいいと語っていく内容。

その中にこんな言葉がありました。

「正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい」

なんか胸の中でモヤモヤしてたことが
なんかスッキリしました。

時として人は、正論であればあるほど
高圧的に上から目線で語りがちです。

自分は正しい。
自分が正義なのだから
間違ってる相手は傷ついて構わない。

そんな考えで
誰かに攻撃され傷ついたことも
誰かを攻撃して傷つけたことも
思いあたることはあるはずです。

正しいことを言うときに
相手を傷つけるものだと気づいていたら
もっと言葉を選んで
もっと建設的な話ができたよなと
詩を読んだ瞬間にいっぱい頭をよぎりました。

パワハラもモラハラも
根っこはこんなことかもしれません。

正しいことであればあるほど
言い方を間違えたら相手には
一生、伝わらなくなってしまうことも
たくさんあるのではないでしょうか?

本当はそんな結末なんて
誰も望んでいるわけではないのに、
本当はそのことが正しいことを
お互いが分かっているはずなのに、
言い方を間違えただけで
言った方は相手を馬鹿にして、
言われた方は相手を恨んで、
ただ後味が悪いだけ。

親子や夫婦、親しい友人あればあるほど
取返しのつかなくなるときって
もしかしたら内容がどうではなく
言い方がまずかっただけなことが
いっぱいあるように思います。

「それを言っちゃおしまいよ。」でなく
「そんな言い方したらおしまいよ。」
って感じかな(苦笑)。

言い方はどうでもいいんだ。
正しいことは正しいと
受け入れられないといけないんだと
言ってくる人はいるでしょう。

それも正しい考えなのかもしれませんが
それで相手に伝わらなかったときに
相手が悪いと責めるのなら
正しいこと言ってたとしても
その人は嫌われても仕方ないですよね。

なのに、なんで嫌うんだ?と言われても
それはいかがなものか?と思います。
どっちやねん!っていうほうがいいかな。

祝婚歌の最後はこんな言葉で終わります。
夫婦間であれ、友人間であれ
こんな関係でいれるように
相手に敬意をもって生きたいですね。

そんなことを思わされる
素敵な詩との出逢いでした。
いい機会でした。

「健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そしてなぜ胸が熱くなるのか
黙っていてもふたりには
わかるのであってほしい」

伊達政宗の「五常訓」

梅雨明けしました。
しばらくは暑い毎日が続きそうです。
コロナも心配ですが、
熱中症や日射病にも気をつけていきましょう。

伊達政宗の「五常訓」ってご存じですか?

これがなかなかうまくまとまった文で
戦国時代を生きぬくことはもちろん、
我々の日々の生活の中でも
ハッとするヒントになりますね。

いろいろありますが、
要は、何事もバランスが大事と
いったことを教えてくれます。

「伊達政宗五常訓」

仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂(へつらい)となる。
知に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。

気ながく心穏やかにして、
よろずに倹約を用い金を備うべし。
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、
この世に客に来たと思えば何の苦労もなし。

朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
今日の行くを送り、
子孫兄弟によく挨拶して、
娑婆の御暇申するがよし。

【意訳】
相手を優しくしすぎたら
自分が弱くなってしまう。
正しいことばかりに囚われては
融通がきかず柔軟な対応ができない。
礼儀正し過ぎたら、嫌味となり逆に失礼。
知識が増え賢くなると嘘つきになる。
他人を信じすぎたら損をしてしまう。

気を楽にして心を穏やかにして、
多少の不自由があっても倹約を心がける。
この世にお客さんとしてきていると思えば、
不足に思うこともないでしょう。

朝食や夕食がおいしくなくても
おいしい言って食べるように。
元々、お客さんであれば
好き嫌いを言える立場でもないですし。

そうやって生きていき、
いつかあの世へ旅立つときには
家族や子供に「ありがとう」と
ちゃんと挨拶をして旅立てばいい。

まずはなんでも「おいしい」って
言いながら食べることにしようっと・・。

漁師は漁に出られない時は網を繕う。

コロナ緊急事態宣言も解除となり、
週開けの6月1日から多くのお店が
再開するようですね。よかった。
このまま街の活気も戻ってほしいです。

この2か月間は身動きも出来ず
停滞したような時期でした。

英気を養う機会にされた人もいたでしょうし、
新しいことにチャレンジする準備の人も
多くいたのではないでしょうか?

身動きできずに
立ち止まったままの人も多くいましたが、
このピンチをチャンスとばかりに
精力的に動いていた人も多く存在していて
人それぞれ、物は取りようだなと思いました。

私はここぞとばかりに
ただひたすら読書をしてました。
読書と言うか勉強ですね。

改めて昔からいろいろ言い続かれている
理論や考え方が書かれた本を読み、
ノートにまとめ、一人でアウトプットして、
それをまたノートにまとめるといった
受験生ばりの日々(笑)。

30年前にこれくらい勉強していたら
あの当時の「関関同立」は無理でも
「産近甲龍」は行けてたのではないか?と
思わせる「摂神追桃」ランクの私です(笑)。
(関西エリアの40代のみ笑ってください♪)

自分自身改めていろんなことが
インプットできて貴重な機会となりました。
6月から心機一転、再スタート頑張ります。

そんな折、先日インターネットで
編み物作家の三國万里子さんのお話を見かけ
なるほどな~と感心したのでご紹介します。

コロナ自粛の2か月間こそ、まさに
「漁師は漁に出られない時は網を繕う」
この時期だったのではないでしょうか?

もちろん、今まで追いつめられるかの如く
がむしゃらに働き続けてた人にとっては
心身共に休息の機会であったのなら
それもいい機会だったと思います。

ただ私にとっては
「刃を研ぐ」時間になったので
振り返れば、何よりありがたい時期でした。

昔、読んで心に残った本も読み返しました。
昔、あまりにピンとこなかった内容も
今となれば腑に落ちた本も読み直せました。

何より、新しい本もいっぱい読めて
いろんなことが頭の中で整理できて
本当によかったです。
(この2か月間、本屋さんには
3回ほど行きました。すみません・・・・。)

自粛期間も奥さんは普通に仕事でしたので
炊事、洗濯、掃除はほぼ私が担当。
小学生の娘達の勉強みたり、
なんだかんだとお世話もしました。
家事は9時までに全て終わらせて
仕事と勉強する、そんな毎日でした。

(今なら子育て世代で共働きの奥様の
悩みや不満、ご要望などに共感しつつ
家づくりにおいても一層、
的確なアドバイスできるかと思います(笑)。)

来春には中学生になる長女。
年頃になり、反抗期も迎えるでしょうから、
これからは父と娘であるが故、
距離も日増しに開いてくるでしょう。

大きくなったのだから仕方ないですが、
父親としてちょっと寂しい気もします。

でも、そんな娘と最後?かもしれない
ベッタリとする機会だったのなら、
最高の想い出づくりだったと同時に、
いろんなことを学んだり、
改めて考え直すチャンスだったわけで、
私にとっても、三國さんのように
これからの自分を作るときだったんだと
感謝するのでありました。

「海を見る自由」

コロナ騒動が落ち着く目途は
いつになることやら…。

娘達も学校が休みになり、はや1か月半。
勉強の遅れも気になりますが、
友達とのふれあいの時間もないままで
一親として心配になります。

1学期に予定されてた運動会などの行事も
ほとんどが中止or延期となっていて、
どうなることやらと静観してます。

始業式、終業式はもちろんのこと、
入学式や卒業式までが中止になり
せっかくの節目の行事がないことに
仕方ないとはいえ、
気の毒な気にもなる自分がいます。

そんなこと思っていたら
9年前に見たある記事を思い出しました。

それは埼玉県にある高校の校長先生が
東日本大震災で卒業式ができなかった
卒業生に向けた祝辞のメッセージ。

背景は別としても
9年前も卒業式などできなかった地域が
あったことを思い出しました。

このメッセージ、胸に来ます。

いつの時代にも何かが起こり、
それによっては思い通りにいかないことも
人生には多々あります。

私の世代で言えば、
不幸でもないでしょうが、
受験生が多すぎて
大学なんて合格するだけで儲けもの。
そんな時代でした。

母校の偏差値を見れば
今はもう見るも無残な状況で
違う意味で言葉を失いましたが、
今の偏差値と私が合格した時代の偏差値を
比べてみたら、ビックリすることに
今は20以上も下がってるわけで
これもある意味、不幸な時代でした(苦笑)。

今のコロナの影響でも
厳しいのは皆さん一緒ですが、
そんな今だからこそ
新しく何かを考えたり、
改めて自分を見つめ直している機会に
している人も多くいます。

ある意味、刃を研ぎ、
再発進する人も多くいるわけで、
環境や時代、政治のせいにせず、
どう切り開いていくかチャレンジするのも
厳しい話、人それぞれなのかもしれません。

最後に先ほどお話した校長先生の言葉を
転載させて頂きます。
立教新座高校のHPより抜粋させて頂きました。

大学に行く意味も確かにそうだと思います。
「立ち止まる自由を得ること」
本当、いい言葉です。

今のコロナ騒動は、
自由ではなく強制ではありますが、
立ち止まって何かを見つける、
立ち止まって何かを見直す、
立ち止まって何かを決める機会だと思えたら
前を見て一歩、踏み出せそうな気がします。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。
その努力に、本校教職員を代表して
心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを
支えてくれた多くの人々に、
生徒諸君とともに感謝を申し上げる。
とりわけ、強く、大きく、
本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、
祝意を申し上げるとともに、
心からの御礼を申し上げたい。

未来に向かう晴れやかなこの時に、
諸君に向かって
小さなメッセージを残しておきたい。

このメッセージに、
2週間前、「時に海を見よ」題し、
配布予定の学校便りにも掲載した。
その時私の脳裏に浮かんだ海は、
真っ青な大海原であった。
しかし、今、私の目に浮かぶのは、
津波になって荒れ狂い、濁流と化し、
数多の人命を奪い、
憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。
これから述べることは、
あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに
思えるかもしれない。私は躊躇した。
しかし、私は今繰り広げられる
悲惨な現実を前にして、
どうしても以下のことを述べておきたいと思う。
私はこのささやかなメッセージを
続けることにした。

諸君らのほとんどは、大学に進学する。
大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、
諸君がその時を得るということは
いかなることか。
大学に行くことは、他の道を行くことと
いかなる相違があるのか。
大学での青春とは、如何なることなのか。

大学に行くことは学ぶためであるという。
そうか。
学ぶことは一生のことである。
いかなる状況にあっても、
学ぶことに終わりはない。
一生涯辞書を引き続けろ。
新たなる知識を常に学べ。
知ることに終わりはなく、
知識に不動なるものはない。

大学だけが学ぶところではない。
日本では、大学進学率は極めて
高い水準にあるかもしれない。
しかし、地球全体の視野で考えるならば、
大学に行くものはまだ少数である。
大学は、学ぶために行くと
広言することの背後には、
学ぶことに特権意識を
持つ者の驕りがあるといってもいい。

多くの友人を得るために、
大学に行くと云う者がいる。
そうか。友人を得るためなら、
このまま社会人になることのほうが
近道かもしれない。
どの社会にあろうとも、よき友人はできる。
大学で得る友人が、すぐれたものであるなどと
いった保証はどこにもない。
そんな思い上がりは捨てるべきだ。

楽しむために大学に行くという者がいる。
エンジョイするために大学に行くと
高言する者がいる。
これほど鼻持ちならない言葉もない。
ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

君らを待つ大学での時間とは、
いかなる時間なのか。

学ぶことでも、友人を得ることでも、
楽しむためでもないとしたら、
何のために大学に行くのか。

誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、
「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を
得るためではないかと思う。
現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

中学・高校時代。
君らに時間を制御する自由はなかった。
遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。
又、それは保護者の下で管理されていた。
諸君は管理されていたのだ。

大学を出て、就職したとしても、
その構図は変わりない。
無断欠席など、会社で許されるはずがない。
高校時代も、又会社に勤めても
時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。
それは、家庭を持っても変わらない。
愛する人を持っても、それは変わらない。
愛する人は、愛している人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、
時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。
諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、
君は途中下車して海に行けるのだ。
高校時代、そんなことは許されていない。
働いてもそんなことは出来ない。
家庭を持ってもそんなことは出来ない。

「今日ひとりで海を見てきたよ。」

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。
大学での友人ならば、
黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。
波の音は、さざ波のような
調べでないかもしれない。
荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。
海原の前に一人立て。
自分の夢が何であるか。海に向かって問え。
青春とは、孤独を直視することなのだ。
直視の自由を得ることなのだ。
大学に行くということの豊潤さを、
自由の時に変えるのだ。
自己が管理する時間を、
ダイナミックに手中におさめよ。
流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、
自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、
それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。
嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。
くそまじめな男になれ。
一途な男になれ。貧しさを恐れるな。
男たちよ。船出の時が来たのだ。
思い出に沈殿するな。未来に向かえ。
別れのカウントダウンが始まった。
忘れようとしても忘れえぬであろう
大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

鎮魂の黒き喪章を胸に、
今は真っ白の帆を上げる時なのだ。
愛される存在から愛する存在に変われ。
愛に受け身はない。

教職員一同とともに、
諸君等のために真理への船出に
高らかに銅鑼を鳴らそう。

「真理はあなたたちを自由にする」
(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ
ヘー アレーテイア
エレウテローセイ ヒュマース)
ヨハネによる福音書8:32

一言付言する。

歴史上かってない惨状が
今も日本列島の多くの地域に存在する。
あまりに痛ましい状況である。
祝意を避けるべきではないかという
意見もあろう。
だが私は、今この時だからこそ、
諸君を未来に送り出したいとも思う。
惨状を目の当たりにして、私は思う。
自然とは何か。
自然との共存とは何か。
文明の進歩とは何か。
原子力発電所の事故には、
科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。
原子力発電所の危険が叫ばれたとき、
私がいかなる行動をしたか、
悔恨の思いも浮かぶ。
救援隊も続々被災地に行っている。
いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。
アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、
ヘリポートの基地を提供し、
ロシアは天然ガスの供給を提示した。
窮状を抱えたニュージーランドからも
支援が来た。
世界の各国から多くの救援が来ている。
地球人とはなにか。
地球上に共に生きるということは何か。
そのことを考える。

泥の海から、救い出された赤子を抱き、
立ち尽くす母の姿があった。
行方不明の母を呼び、
泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。
家族のために生きようとしたと語る
父の姿もテレビにあった。
今この時こそ親子の絆とは何か。
命とは何かを直視して問うべきなのだ。

今ここで高校を卒業できることの重みを
深く共に考えよう。
そして、被災地にあって、
命そのものに対峙して、
生きることに懸命の力を振り絞る
友人たちのために、声を上げよう。
共に共にいまここに私たちがいることを。

被災された多くの方々に
心からの哀悼の意を表するととともに、
この悲しみを胸に我々は
新たなる旅立ちを誓っていきたい。

巣立ちゆく立教の若き健児よ。
日本復興の先兵となれ。

本校校舎玄関前に、
震災にあった人々へのための
義捐金の箱を設けた。
(3月31日10時からに予定されている
チャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

被災者の人々への援助をお願いしたい。
もとより、
ささやかな一助足らんとするものであるが、
悲しみを希望に変える今日という日を
忘れぬためである。
卒業生一同として、
被災地に送らせていただきたい。

梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司

アートとデザインの違い

自分の好きなことを表現するのがアート。
相手の好きなものを表現するのがデザイン。

先日聞いて妙に納得した言葉。

絵画を習っている2人の娘に
いつも言っている言葉に
似ていることに気づきました。

私が いつも娘に言っている話。

趣味なら自分の描きたいものを
描きたいように描いたらいいけど、
コンクールで入賞したいなら
入賞できる絵を描かないといけない。

どんな絵なら相手は嬉しい?
どんな絵なら相手の目につく?
どんな絵なら相手は相手は選んでくれる?

過去、どんな絵が入賞してるの?
よく入賞する人は、どんな絵を描いてるの?
それを参考にしないといけないから
まずはそれを調べてみよう。

入賞したいのなら入賞してもらえる絵を
描かないと選んでもらえないよ。

そんなこと言っていたら
娘たちは絵を描く前に
いろんなことを考えて、
描くようになりました。

入賞するだけが全てではないけど
コンクールに申し込むなら
入賞しようと思わないといけないし、
そもそも人に誉められることって
とっても喜びと肯定をもらえますから。

少し前の流行歌が思い違いを生んでるけど、
天才ではない限り、
ナンバーワンを目指す過程がないと
オンリーワンには出逢えないと思います。

参加することに意義がある。

子どもの頃よく言われた言葉。
そんな価値観で人と競うのは逆に危険。
趣味や遊びならいいけど、
ビジネスや競争では
逆に傷つくような気がします。

趣味ならアートでいいけれど
ビジネスならデザインを目指さないといけない。

なんか現実的な大人の意見ですが、
改めて自分を見直せる機会になりました。

コロナウイルスの影響で
あまり外に出歩くこともなくなったので
ひたすら読書をする時間が増えました。

毎日、いろんな言葉に出逢えてます!!

初心忘るべからず

24年前の今日、
瀬戸内海に浮かぶ島に隔離され(笑)、
新人研修が始まりました。
私の社会人生活が始まったのです。

あっという間の24年間です。
今、振り返れば20代は、
全然うまくやれませんでした。

帰りたくない時代ですが、振り返れば、
なんと輝く時間だったことに気づきます。
嫌なことは都合よく忘れていき、
楽しかった思い出しか浮かびません(笑)。

経験も重ね、知識も増えましたが
あの頃の気持ちは忘れないようにしたいです。

「初心 忘るべからず」
世阿弥が残したこの言葉。

一般的には
「慣れてくると慢心になりがちだが
最初の頃の気持ちを忘れてはいけない。」
と使われがちです。

世阿弥は、
そんな初心を「花鏡」で
「是非の初心忘るべからず、
時々の初心忘るべからず、
老後の初心忘るねからず。」と
3つの時期に分けて説いています。

「是非の初心忘るべからず」とは、
「未熟だった頃も忘れることなく、
それを基準にしていかねばならない。」

「時々の初心忘るべからず」とは、
「その歳にふさわしいチャレンジは
その段階においては初心者である。
それを忘れてはいけない。」

「老後の初心忘るべからず」とは
「年老いて初めて行うこともあり、
そのときもやはり初心者である。
歳をとったからといってできるとか
完成したとかはない。」

そう思えば今の私は
「時々の初心」の段階ですね。

改めて、いつの時代も初心者であることは
人生においてたくさんあります。
奢り高ぶることなく、謙虚にやっていくよう
24年目を迎えた今日、
自分自身に言っておきたいと思います。

やらない理由を探すのが上手くなると・・・・

さて、突発性難聴と診断されて2週間経過。
毎日、薬は飲んでます。
聞こえてはいますが、
やっぱり違和感、継続中・・・・。
慌てず諦めずボチボチやっていきます。

先日、久々に本屋さんに行き
たくさん本を買い込みました。
最近、移動中や寝る前は読書三昧です。

本を読んでいると
いろんな気づきがあったり、
何を思い出したりして
本当、貴重で楽しい時間です。

そんな中、数年前のリクルートの
キャッチコピーなんですが、
こんな言葉を読みました。

「やらない理由を
探すのがうまくなると、
成長は止まる。」

いや~、その通りだなと感心。
経験積んで年月が経ってくると
言い訳が上手くなってくるんですよね(笑)。
私もそんな感じでした。

2年前まで住宅営業をしていましたが、
15年位前かな?
営業時代に聞いて、
ハッとした言葉に似ています。

「売れてない営業マンが
売れてる営業マンよりも
上手いことが一つだけある。
何かわかる?

それは、売れてない営業マンに
売れない理由を聞いたら
それは売れない理由や言い訳を
もっともらしく、長々と
ものすごい上手に言うんよな(笑)。」

この話を聞いたときは、
私も大笑いして聞いてました。

が、自身自分が
その売れていない営業マンなことに
その後すぐ気づいたのに、
傷つきたくないからか
その時は気づていないふりして
他人事で笑ってましたが、
その話を聞いた帰り道、
頑張って売れるようになろう・・・って
思ったことを思い出しました(笑)。

年を重ねてベテランになるほど
できてない自分を受け入れることは
日増しに至難なことになりますが、

自己防衛して現実逃避するほど
まだ年齢もキャリアも積んでなかったので
ちょっとは素直に受け入れられるときに
この言葉に出逢ってよかったな~と
50歳前の今、一層深く思いますね。

よかった、よかった。
(と言っても周りから見たら
そんなにアンタ成熟はしてないよと
ツッコまれそうですが、
今日はツッコまないでください(笑)♪)

(こんな頃だったと思います・・・。)

後、こんな話もありました。

「どうしてあの人が契約してくれたと思う?」
と聞かれたら、
いかにあの人は商品ではなく
私自身を選んでくれたんだと力説して、
「では、どうしてあの人は他決したの?」
と聞かれたら、
向こうの方が安かったからとか
向こうの方が有名な会社だったからだと
言っていました。

競合に買った理由はほとんど自分の力。
競合に負けた理由は全て価格や商品など
他の力なんだね~。
へぇ~、そんなに結果は偏ってるんだね~。

そんなことをただ言われた時に
自分が選んでもらえなかったのは
自分の力不足、提案不足、配慮不足、
ヒアリング不足だったのに、

自分には全く非がないといった態度で
見たくない現実を見ないふりしていることに
気づかされて赤面になって
早く逃げ出したくなったことも
思い出しました(苦笑)。

でも、若かったうちに
赤っ恥かかされながらも
そんなことを気づかせてもらえる機会や
人に出逢えたことは今となっては
本当に宝物で感謝の気持ちで一杯になります。

もうそんな若くない。
今更、そんなことはやらなくてもいい。
そんなことしてる時間はもうない。

そんな言い訳している自分がいることに
改めて気づかされた感じがします。

今、仕事で色々な人に色々なことを
伝えさせてもらっています。

みなさんに偉そうに言うのなら
自分自身も受け入れたくないことでも
受け入れないといけないことは
きちんと受け入れる人で
あり続けれるように
日々心掛けていかないといけないですね。

まだまだ私も成長していきたいので。
謙虚に丁寧に頑張っていきたいと思います。

追伸
先日のこと。
久々に友人たちと麻雀してたのですが、
人生で初めて「字一色」上がりました!
こんなことあるんだとびっくりしました。

振り込んだ対面の友人は、
そんな事実を受け入れて堂々としていました。
見習おうと思いました(笑)。

「あっという間の人生」

12月になりました。
今年も後1か月!!
歳を重ねる毎に1年が
「あっ!」という間に過ぎていきます。
1年の締めくくりとして
この1か月は色々と考えてみたいと思います。

先日、ネットを見ていたときのこと。
時間があっという間に
過ぎていくなと思う時期だからか
やけに胸に残った言葉がありました。

田口久人さんという方の
「あっという間の人生」という詩。
それはこんな感じでした。

【夢中で駆け抜ける10代
真剣に将来を考え始める20代
人生の分かれ道を迎える30代
迷いながら信じた道を突き進む40代
残り時間を意識して選択する50代
自分を確立し始める60代
どの年代もあっという間に過ぎる
行きたい所があるなら行く
会いたい人がいるなら会う
やりたいことがあるなら全てやる
人生は自分が思うよりも短く
いつ終わるかわからないから】

自分に照らし合わせてみました。

10代は何も深く考えて生きてなかったけど
18歳で父が亡くなり、
19歳は浪人生で宙ぶらりん。
確かに夢中なうちに過ぎていったな。

20代は何にもうまくやれなかったな(笑)。
でも、こんな下積みの日々がないと
おっさんになったとき輝けないから
その糧になると信じてた毎日。
少しは将来を考えていたのか?
(今の時代、下積みなんて
古臭い考えなのでしょうが、
どの道が実はよかったのかは
40歳あたりで答え合わせが
あるもんだと思ってます。)

30代は人生の分かれ道満載。
体調を崩した32歳。
結婚した35歳。
父親になった36歳。そして38歳。
前職で社長になったのも38歳。
新しい人生が始まった。

40代の今。
45歳で独立して、
まさに迷いながら信じた道を突き進む今。
迷いや不安もたくさんあったけど、
何とかやっていけています。
多くの方の理解と好意、協力に
日増しに感謝する日々です。

行きたい所には、
時間的、経済的に許す限り行っていますし、
会いたい人とは10代の頃からの友人でも
今でも会える日々を過ごしてきたので
同窓会にはいく理由もないくらいです(笑)。

やりたいことは全てはやれていませんが、
これも時間、お金、家族が許す限り
やっています。
理解して許してくれる奥さんには
いつも感謝しています。

その代わり、時間がある限り
炊事も洗濯も掃除もしますし、
子育ても必死で楽しく、奥さんとやっています。
素敵な奥さんだからということもありますが、
日々の努力もあることはアピール(笑)。

やりたいことを
やるということは、そういうこと。

好きなことをやるには、
理解してもらうためにも
身も蓋もなく言えば、
「お金」か「手間」は必要。

基本は、料理と一緒と思います♪

昨日は夜ご飯作っていて
手羽中を揚げていたら油が跳ねて
瞼をヤケドしました。
痛いです・・・。

(これが油跳ねした問題の手羽中・・・)

事故で死んだ友人もいますし、
病気で死んだ友人もいます。
自ら命を絶った友人もいます。
もうそんな歳になったのかなと思います。

やりたいことはやれるように。
何よりやりたいことは何なのかを
まずはハッキリとさせて、
この1年もいい1年だったと思えるように
師走の1か月を走り切りたいと思います!

まずは今晩の献立を考えよう・・・・・。

成功者の言葉しか残らないから・・・

ラクビーワールドカップも
日本代表はベスト8で終えました。
予選リーグ全勝し、期待しましたが
南アフリカは強かったですね。

まだ試合は続きます。
ニュージーランドvs南アフリカ戦での
決勝を期待しています。

日本シリーズも始まり、
スポーツの秋にふさわしい2019年の秋。

以前にも書いたことがあるかもしれませんが、
いろんなスポーツをテレビ観戦してて
あるスポーツ選手の言葉を思い出しました。

そのスポーツ選手とは
元 陸上選手の為末大さん。
為末さんは本当にたくさんのいい言葉を
残されています。

ネット界では、正論すぎるからなのか
逆に叩かれたりすることもあるようですが、
私は結構、共感している側です。

何年前だろう?
何気に為末さんの言葉をネットで見ていたとき
その説得力に心を鷲掴みにされました。
その言葉はこんな言葉です。

「成功者の言葉しか
世の中に残らないから
『やればできる』が格言になる。」

この言葉を知った時は衝撃的だったな・・・。
このあとに続く言葉は
2パターンあるみたいです。

一つは、
「現実の社会においては
はるかに敗者のほうが多いという事実は
わかっておくべきだ。」

もう一つは、
「夢は叶わないかもしれない。
叶える為の努力は無駄に
終わってしますかもしれない。
でも何かに向かっていたその日々を
君は確かに輝いて
生きていたのではないか。
それが報酬だと思わないか。」

どっちの言葉も素晴らしく
一瞬で為末さんのファンになりました(笑)。

人生の一発勝負で勝利した人がいます。
とてつもない大金持ちになっていたり、
はるか高い地位についていたり・・・。

どっちかっていったら
多くの人から尊敬されるというより、
金持ちになった人の方が
実際、世の中では成功者っていう意味が
強いと感じませんか?

こんな世の中で成功者と言われる人達に
ある人が「成功した理由は?」と聞いたら
多くの方が「運がよかった。」と
答えた話はよく聞きます。

やらなければ始まらない といったことも
分かった上でですが、
それでも大勝負して勝った人が1人いれば、
大負けした人は100人以上はいるでしょう。

だから結果「運がよかった。」みたいな話に
なっているのも事実と思えば、
成功体験を聞いてもなかなか自分の身に
落とし込めないわけです。

納得できないというか
共感できないというか。

結局、成功者と言われる人には
同じように勝負して敗北した相手を
ねぎらう気持ちやチャレンジしたことの敬意、
周りの人への謙虚な気持ちがなかったら
心の底からすごいなって思えないわけです。

こういう話をしたら
それは負け惜しみとかいう人もいますけど、
そんな風に言う人とは分かり合えないだろうし、
それでもそんな人でも嫌がらず
付き合えとか仲よくしろと強要されることが
パワハラ、モラハラってことなんだと
最近、しみじみ思いますね。

努力しても報われないなら意味がないと
損得勘定むき出しの人も
あんまり仲良くなれる気はしません。

なんでもかんでも遠回りが無駄なことだと
思っている人にも私は共感できないです。

私は人が嫌がること、やりたくないことでも
やらないといけないことは
やらないといけないと思っています。

ただそんなときいつも思うのは
どうせやるなら楽しんでやろうと・・・・
周りを巻き込んで逆に楽しみながら
やり終えることを心がけています。

やりたくないことはやらないと
自分目線だけなら一見、正しそうに感じるけど
他人目線ならわがままでめんどくさいこと
この上ない考えの人たちは
一生、気づくこともないでしょうが(苦笑)。

しんどいこと や
やりたくないことでも
やらないといけないことを
一緒にやり超えれた人達の中にこそ
お互いを尊敬し、理解しあえる
そんな友人か仲間に出逢える秘密なことに
気づくことはないのだろうなと思う私。

ちなみに、これは個人的に
人生の 達人 になる秘訣の一つ と考えています。

(これは たつじぃ・・・)

「自分の人生において
素晴らしき理解者に逢えること。」
そんな感じかな?

「やればできる」というより
「できるかどうかは分からないけど、
やらならなければできない。」
「やらなくてはいけないことを
一緒にやりきった人の中に
自分にとっての仲間や理解者がいる。」
といった格言を
娘2人には伝えていきたい、
これからの若い人たちに知ってほしいと
日々、ウザがられながら
熱く語っていきたいと思います(笑)。

娘たち、スマン・・・・・。
酔った勢いでは言わない様には心がけます。