モラル・ハラスメント

7月になりました。

暑くなってきたせいか
読書することが増えました(笑)。

ここ数か月の読書のペースは
ビジネス本や自己啓発本で10冊~/月、
音楽、野球、格闘技、お笑い、麻雀などの
趣味の本が5~10冊/月といった
ほどよい いい感じ(笑)。

読み直した本が何冊もありますが
だいたいこんなペースです。

どの本も面白く、学びになる事は多いですが、
今までモヤモヤと思っていた疑問や
漠然と悩んでたことをズバッ!と
痛快に言い切ってくれるような本に
出逢えることはそうあるもんでもありません。

そんな中、久々にズバッ!と
心を切られる本を読みました。
実は先月に読んで、あまりにも納得したので
1か月ほど寝かして再度読みました(笑)。

その本は、早稲田大学名誉教授であり、
ラジオの人生相談を40年以上されている
加藤諦三さんが書かれた
「モラル・ハラスメントの心理」と言います。

今の時代、〇〇ハラスメントって言葉
何個あるんだろうと思いますが、
モラルハラスメントとはどういったものか?
興味があったので読みました。

問答無用のハラスメントはさておき、
なんでもかんでも受け手側の判断で
ハラスメントだと騒ぐことも
時として、それこそ暴力や痛がらせと
感じてしまうときもあるのですが、
これからの時代はこれらの言葉の意味を
きちんと把握しておくことは大切と思います。

そんなところで知った
モラル・ハラスメントとは、一言でいうと
「美徳による束縛」
「恩着せがましい無意識の束縛」といった
ニュアンスでした。

モラル・ハラスメントの加害者は
相手に罪の意識を持たせることが狙い。
善人の顔しながら相手に
罪の意識を持つように追い込み、
愛の言葉を持ちだして相手を支配します。

それでいて本人は悪気がなく
無意識だったりするので
結構、タチが悪かったりします(苦笑)。

言ってるほうも善人の顔をしてるから
相手も周りもそれに気づきにくい。

例えで書いてあったのは
親が子にするモラル・ハラスメントでの
典型的な言葉は
「あなたさえ幸せなら私はどうでもいい。」

表面は「愛情」 隠された内面は「束縛」
躾とか教育という美徳による支配。

暴力をふるう最悪の親は分かりやすいが、
モラハラをする親は分かりにくい。
こんな感じで書かれていました。

自分に置き換えたとき
学生時代でもいつの時代でも毎日の中で
モヤモヤしたこと、漠然と疑問に感じたような
こんな瞬間が多々ありました。

どうしていいことを言ってくれてるように
思えるのにこの違和感は何だろう?

どうして周りの人は相手だけを正しいと思い
こっちを責めてくるのだろう?

日々の中で感じていた不協和音の正体は
これだったのか?
来月47歳になる今になって
やっと気づいたりしたわけです(笑)。
遅っ。
30年くらい返せ!!!

笑って思えるだけマシなのかも知れません。

こう思うとまだセクハラやパワハラのほうが
憎む相手を特定しやすく
周りにも分かりやすいだけ
マシなのかもしれませんね。

モラハラは、相手が善人に見えるし、
言葉の響きが綺麗な分だけ
誤解して受け取ってしまいます。

「あなたのために」という言葉は
相手の心を縛り、相手を支配するための言葉。

「お前の将来を思えばこそ」という言葉は
相手を束縛することを合理化しているだけ。

正論で叱るとき、もっともらしく見えるが、
相手に当たった場合は、
それは自分の怒りの合理化である。

相手に高圧的になることは、
自分の無能を隠すためである。

読んでて「俺、大丈夫か?」と
ドキドキしてきますが(笑)、
周りの人や家族、友人、何より我が子に
自分はこういった態度でいないか?
本当に自分を客観視できるいい機会でした。

「お前はダメな人間」と言われたら
戦うこともできるが、
「あなたは罪のある人間」と言われたら
戦う気持ちすらなくなる。

本当、言葉ひとつで相手を傷つけてしまう。

ハラスメントといった言葉だけが
世の中を一人歩きして、
こういった本質が隠されないように・・・

真面目に一生懸命生きている人が
報われる世の中でありますように…

娘たちにモラル・ハラスメントをする
親になりませんように・・・

たまにこの本は読み返せるように
「定期的読み返す本 BOX」に入れました。

追伸

モラル・ハラスメントの被害者は
自分よりさらに弱い立場の人を見つければ、
時にモラル・ハラスメントの加害者に変わると
書いてありましたが、

これって高校1年生のときに
ブルーハーツが発表した曲TRAIN-TRAINの歌詞
「弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく」
と同じ意味。

先日、働き方改革の今を逆走する重労働に
心も体もすり減った大切な人と話したときに
「なるようになるさ」といい意味で開き直って
もう一度立ち上がろうとしてくれたのですが、

これって中学3年生のときに
ブルーハーツが発表した曲 少年の詩の歌詞
「どうにもならない事なんて
どうにでもなっていい事」と同じ意味。

そう思ったら30年前に
もう教えてもらってんだなって気づいてから
最近は今更ながら
ブルーハーツを聴き直しています(笑)。