相手を思う気持ち

11月ももうすぐ終わり。
今年も後1ヶ月となりました。
インフルエンザの予防接種も済まして
万全の体制で年末を迎える森下です。

先日、奥さんのおばあちゃんの
三回忌があり、法事に参加しました。
親戚の人達とも集まり、故人を偲んで
いろんなお話になりました。

私は11月から年末年始に向けて
いろんな人とお別れしていることもあり、
この時期が来ると、いろいろ思います。

先述したおばあちゃんは2年前の
11月末に亡くなりました。

独身時代、ずっと遊んでた親友や
新人時代の同期が亡くなったのも11月。

若い頃に可愛がってくれた先輩や
18歳のとき父が他界したのは12月。

父方、母方の祖父は2人とも
小学生の頃、お正月に亡くなってます。

なので、寒くなりだしてきたら
故人を偲んで、
昔話になることが多くなりました。


(幼い頃の私と父)

一般的に「供養」とは
法事やお墓参りといった行動を
指すことが多いように感じます。

もちろんそれらも大事なのですが、
私は「供養」とは、
何年経っても故人を偲んで
想い出話をすることが一番だと思っています。

同じ話が繰り返されてもいいわけで、
あんなことあったなとか
こんなことあったなとみんなで
ワーワー言ってほしい。

なので7年前に亡くなった親友のことは
今でも当時の仲間達と忘年会を口実に集まり
想い出話をして7年経ちます。

「いい奴やったな。・・・アホやったけど。」
「優しい男やったよな。・・・アホやったけど。」
「楽しい人やったで。・・・アホやったけど。」

誉めてるのか、けなしているのか
よくわからないですけど(笑)、
そう言いながら酒を呑み、
親友のことを思い出しています。

そして、仲間達と
「今年一年、頑張りました。
来年も頑張ろう!」と
握手をして別れて1年が終わるのです。
なので来月、楽しみにしています。

形式とか決まりも大事ですけど
まずは「忘れないこと」
「思い出すこと」そして
「語り続けること」がなくては
本来の意味ではないように思います。

他のことでも言えるかもしれませんね。

お墓に行ったから。
お経を唱えたから。
ご仏前を供えたから。

それでOKなのではなく
当たり前ですけど、
そこに「偲ぶ気持ち」がなければ
何をしてもそれは「供養」にはならないわけで

何事も「相手を思う気持ち」が
まず一番最初になかったら

人間関係も
商売も
遊びも
奉仕も
なんか別のものになるのかな?

そんな風にいつも思っています。

でも、意外とこれって
できていない人が多かったりします。
自分は日々、気をつけていきたいですね。

ちなみに私は死んでからではなく、
死ぬ前に大切な人は逢いたいので
元気で入れたら70歳で生前葬をする予定。

誰も来なかったら寂しいので(笑)、
そのときはみなさん
是非、逢いに来てください!

私は今、46歳。
ということは24年後のお話。
ずいぶん先のお話です。