「縁」とは偶然な必然

昔、野狐禅っていう2人組の
ミュージシャンがいました。
解散後も竹原ピストルさんはソロで
活躍中のためご存じの方も多いかと思います。

数多く発表された楽曲の中に
「ならば、友よ」という曲があります。
この曲を先日、聴き直して
いろいろと思う事があったので
今回書いてみることにしました。

この曲は、
「夢」という言葉は、あきらめた人が
「青春」という言葉は、立ち止まった人が
発明した言葉だから
友と「夢」や「青春」を語り合うのは
死ぬ間際でいいやといった内容の
なんとも熱い曲であります。

私自身、当時の背景もあり
とても心に残った曲なのですが、
その中でずっとひっかかっていた
歌詞の箇所がありました。
そこはこんな歌詞でした。

【結局、上手いこと寝つけないまま迎えた
朝っぱらの朝っぱら
半ばイヤがらせチックに、オマエに
メールなんぞを送ってみれば
バッチリ返事が返ってきやがったもんだから
思わず吹き出しつつも、ちょっくらオマエに
本音を語ってみようかと思った】

言わんとしていることはわかります。

このような理屈じゃないきっかけで
友人と関係性が深まったことも私もあります。

たまたまタイミングがあったこと自体が
もう縁があったことなわけで、
うまくいく関係性ってそもそもこんなものだと
理解して受け止める自分もいました。

ただこれを理屈で説明しようにも
ニュアンスもあり難しい。
なかなかうまく説明できない事だったのですが
その理由をを立証してくれるような話を
知る機会がありました。

それは幸福研究をされていた
心理学者 セリグマン教授が
あなたが80歳になったときに
元気で幸せかどうかを予測する魔法の質問を
紹介してくれているもの。
それはこんな質問でした。

「あなたに朝の4時に電話をして、安心して
悩みを打ち明けられる相手はいるだろうか?」

この答えがイエスならノーと言う人より
長生きできる可能性が高いのだそうです。

ちなみにこの事実を発見した
ハーバード大学の精神科医バイヤン氏は
愛される力が大事で、人間関係こそが
幸福と長生きの鍵と言われてます。

この話を照らして考えてみたら
朝っぱらにいきなりメールを送った相手が
返事がくれたことは、偶然とはいえ
本音を語れる相手だと思ったとしても
納得してしまう話だと思うわけです。

昔、私はお客様と出逢った時や
研修でたまたま隣の席になって話した方に
「縁」とは偶然な必然を言います。
 あなたさまと逢えたこと感謝します。
とハガキに書いて送っていました。

偶然の出会いを、たまたまと取るか
縁と思って素晴らしき機会と思おうかで
人生大きく変わるように思います。

物は取りようで大きく人生が変わるのなら
自分が体験するすべてのことは
意味があることだと思って生きたほうが
楽しい気がするのは私だけでしょうか?

幼馴染や高校や予備校、大学時代の友人
社会人になったときの同期達も
すべての付き合いの中に
今でもつきあいのある友人がいます。

彼らと1年に1回づつでいいから
酒を呑みつつ、語り合える機会を
作ることが人生の肥料ならば、
歳をとったことや時間があいたことを
出来ない言い訳にする前に
まずは逢えることを大事にしていきたいです。

桜の花を見ることを言い訳にして
酒を呑む花見客のように(笑)
昔の友人とも会える心のゆとりは
いつまでも持っていたいですね。